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2021年のご挨拶

あけましておめでとうございます。

2020年は新型コロナの年だった。中国から広がったこのウィルスは瞬く間に世界中に広がり社会の構造を大きく変化させた。

僕自身、個人的にも変化が多かった年である。ウィルスを広めないソーシャルディスタンスという概念により人と会えず、これまで当たり前のように行ってきた講演や子供のキャンプなどの仕事に大きな影響があった。また海外の渡航も制限されているので海外の山にも登りに行くことができなくなった。
しかし、反対にコロナによって気が付いたことも多くあった。家族と過ごす時間が多くなり、家族に目を向ける時間が多くなった。また離れた初めてわかる友人たちとの大切な時間についても考えさせられた。

こうした中、多くの時間を地元で過ごすこととなり新しい見方が芽生えてきた。以前から地元の逗子から目の前にある富士山に人力で行って見たいと思っていた。それを地元のアウトドアクラブ「そっか」とその子供達を連れてアウトリガーカヌーと登山をしながら行ってきた。総距離110キロの遠征である。

このプロジェクトには多くのご協力があった。そっかのご父兄、トレイルランのエキスパート宮﨑喜美乃さん、小川町のきのこ名人都倉洋一さん、プロカメラマンの志津野雷さん等多くの山に関わるプロが子供たちと一緒に歩いてくれた。
そこで見せた子供達の反応は様々であった。写真に興味を持つ子、山に走ることに目覚める子、山のものを食べることに夢中になる子供もいた。

僕にとってこれまで山はスキーと登山といった中での関わりだった。スキーでは競技と技術の追求、登山では困難とそこから先に見える素晴らしい景色を求めていた。しかし、こうした経験を通じて山との関わり以上に物事の見方を変えるきっかけとなった。山はよく人生に例えられる、これは比喩だと思っていたが本当に同じ山を登っていてもその裾野は大きいのであるということを感じた。そしてこうしたことを分かち合うことに大きな喜びがあるということも再認識した。今後僕が進む方向性がようやく見えてきた気がする。

今年、コロナ以外にもう一つ大きな変化があった。父である三浦雄一郎が頸髄硬膜外血腫という病気を発症した。頚椎の硬膜外に出血しそれにより中枢神経を圧迫、麻痺を伴う運動機能の低下が見られた。これは100万人に一人という非常に珍しい病態であり、もし処置が遅れたら厳しい後遺症があるものだった。しかし幸い発見が早く、すぐに北海道医療センターにて発症した当日に手術ができたこと、そしてその後の医療スタッフやリハビリスタッフの献身的な努力により回復が著しく進んでいる。この病気と現在蔓延する病院のコロナ対策によりほとんど父と会えなくなった。

こうした一連の流れで気がついたことがある。これまでの20年間、父がエベレストをはじめとした様々な挑戦を行ってきた。僕はそれをサポートすることが仕事であり共通の目標でもあった。しかし、今になって思うのは僕が父を支えると同時に父がエベレストに登るというエネルギーに支えられていたということだ。
そしてこれまで父が残してきたもの、それは単に記録や名声だけではなく、大きな挑戦を行う父の後ろ姿をみて受け取るものこそ大切であるということに気付かされた。この病気が発症した当時、脊髄損傷のため父は首から下がほとんど動かなくなってしまった。しかし、そんな状況の中でも周りの気遣いを忘れず、ユーモアを忘れなかった。それから6ヶ月たち、現在に至るまでその病状に向き合いリハビリを続けている。今では階段を登り、スクワットなどの筋力トレーニングを行えるまでになった。

これまで父と一緒に行く遠征には安心感と面白さがあった。それはどんなに困難な状況でもそれを冗談や笑いに変換し、どんな最悪な環境でもそれを楽しんでいた。現在父の目線は東京五輪の聖火リレーを富士山にて行うことを目標にしている。

最後に新型コロナの感染はまだまだ予断を許さない状況である。父の入院先でもその受け入れ体制には緊張感があり、命がけである。こうした医療従事者こそが尊敬する本当のヒーローである。感謝をしたい。

皆様においては実りのある一年になるよう心からお祈りいたします。

三浦豪太

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