自分の文章に自信がなくて吐きそう
「取材し直してこい」。
必死に書いた取材原稿。
上司からそう言われて突き返された。
突き返された原稿は真っ赤だった。修正の赤文字が多すぎて、「赤いペンキを1缶ぶちまけました」みたいになってた。
私が書いた元の原稿なんて、もう原型をとどめていなかった。
新卒で、必死に就活して入った編集部。
日本を代表する大手Web媒体の編集部に配属されて、すごくうれしかった。でも、そこで待ってたのは華やかな編集者人生なんかじゃなく。
すさまじく泥くさい、執筆の毎日だった。
と。入社初日に思った。
「編集者ってライターに原稿依頼して、納品された原稿を編集するのが仕事なんじゃないの?」と。すると私の教育係になった上司がこう答えた。
って。
そこからは、毎日毎日毎日、執筆の日々だった。
自分が所属している媒体に家電のニュースを掲載した。こういうやつ。
簡単に読める文章だ。
だが、簡単に読める文章だからといって「簡単に書ける」わけではない。
毎日毎日、テキストエディタ秀丸を使って原稿を書いて。
それを印刷して上司に渡す。
そしてすぐ左に座っている上司が、私のあまりにひどい原稿に頭を抱えて「ん~~~~」ってうなってるのを横目に見ながら、私はまた次の原稿を書く。そして赤入れが終わり、ボッッッッコボコに直された自分の原稿を見てへこみまくる。
毎日毎日。
これの繰り返し。
まったく、成長しなかった。
一年たってもまだ、私は上司に原稿を直してもらっていた。
同時期に入社した同期2人は、とっくに「上司による原稿チェック」の段階なんか卒業し、一人前の編集者として自分でバリバリ仕事をしている。
なんかもう、限界だった。
たしか小田急線の経堂駅だったと思う。
とある取材イベントを取材するために経堂に行き、イベントが終わったのが夜の8時半。駅で上司と二人、涼しい夜風にあたりながら電車を待っている時、なんかもう限界がきてポツリともらした。
そしたら上司からは何も返ってこなかった。黙ったまんま。
「あれ聞こえなかったんかな」と思ってふと上司の顔を見たら、すがすがしいほど。
――苦笑いしてた。
失言だった。
瞬時にそう悟った。
あの時の上司の顔は忘れられない。
っていうあの顔。
それくらい、自分がとんでもない失言をしたのだと気づいた。
でも、なぜ「自分の文章に自信が持てません」が失言なのかわかんなかった。わからなかったが、とにかくすべきことは理解できた。
これが私のすべきことだと。
それからはプライドなんざ全部捨てて学びまくった。
私はどこかで、
って思ってたんだと思う。そういう驕りがあったんだと思う。
「文章を書けない自分」を、どこかで認められてなかったんだと思う。
だからちゃんとその事実を受け入れて、ひたすら学んで書いて「文章を書ける自分」に少しでも近づけるよう努力を積み重ねた。
上司はもちろん、先輩、同僚、はては文章を書くのがうまい友人知人。いろんな人にお願いをして文章力を鍛えてもらった。ライティングの本もしこたま読んだ。オンラインサロンに入って添削もいっぱい受けた。
どうやったら書けるようになるか。
死ぬほど考えてできることはすべてやった。
もうすぐ編集者三年生になるという頃。
やっと上司からOKが出た。
もう上司のチェックなしに原稿を掲載できる。やっと、夢見ていた「文章を書ける自分」になれた気がした。
会社のお昼休み。会社のビルの屋上。
柵ごしに丸の内のビル街を見下ろしながら、ぼーっとしてた。
ほかの人たちはお弁当を食べたり、バレーをしたりと楽しそうにしている。
そんな中、私ひとりだけ柵を握りしめてぼーっとしてた。
この時だった。なぜか瞬時に、すべてを理解した。
と言った私に対して、上司が苦笑いした理由が。
自信が何でできているか。
努力だ。
誰にも負けない努力を積み重ねた先に、自信があるんだ。
「自信がありません」ってセリフはすなわち
「私は一切努力していません」
と同義だ。
あまつさえ、それを他人に言うなど話にならない。
だってそれってつまり、
って言ってるようなもんだ。
「辞めちまえよ、
そこまで努力する気がないなら」。
上司はすんでのところで、このセリフを我慢してくれたんだと思う。
でも、我慢しきったけど顔には出ちゃった。
だから、苦笑いしてたんだ。
そんな当たり前だけど大切なことに気づいたとき、なんかゴールに到達した気分になった。
これが映画とか小説なら、これでエンディングだろう。
「めでたしめでたし」で終わる。
だがこれは現実だ。
この先にも、「壁」が私を待ち受けていた。
上司のチェックなしに原稿を掲載できるようになる。
すなわちそれは、一人前の編集者になったということだ。
一人前の編集者になるということは、どういうことか。
ノルマが課されるのだ。
Web媒体の編集者には、毎月きついノルマが課される。
私の場合は、毎月300万PVを達成することだった。
上司の庇護のもと、ぬくぬくと毎日原稿をチェックしてもらっていたあの生ぬるい日常はもうどこにもなかった。
とにかくPV、PV、PV。
300万PVを下回ると容赦なく降格、ボーナス減額。
死ぬほど、つらかった。
結婚して同居を始めた夫からはこう言われることもあった。
って。ビックリした。寝言で
「今月大丈夫です」
って言うくらい、追い込まれてた。
しかも「今月大丈夫」だったとしても、翌月の1日からはまた完全にリセット。またゼロからのスタートになる。
もう、これの、繰り返しだった。
完全に、数字しか考えていなかった。
まだ、原稿をチェックしてもらっていたころの新人時代のほうが、(文章は書けていないにしても)もっと、ずっと、ちゃんとしていた。
って。
「画面の向こうにいる人の役に立ちたい」。
あのころの私が、キラキラ輝いててもう直視できなかった。
もう私にとって、読んでくれる人なんてただの数字だった。
いろんな企業から毎日送られてくるリリースや、PR TIMESに載ってるリリースを見て、「これは数字がとれそうだ」と思うものをライターに投げて原稿にしてもらい、ニュースとして掲載する。
その時に、読んでくれる人によろこんでもらおうなんて、もはや考えなかった。
ただ、それだけ。
幸い(?)なことに、私に文章の才能はなかったけど、数字をとる才能はあった。
だから何千人という社員の中から「社員賞」をもらった。
賞金30万円とハワイ旅行もプレゼントされた。
でも、正直迷惑だった。
ハワイ旅行なんてプレゼントされた以上、行かねばならない。
断る権利は社員にはない。
だがそんな旅行なんて行ってたら数字がとれない。成績がさがる。「今月大丈夫」じゃなくなる。目標PVを達成できなかったら降格だってありうる。ボーナスだって大幅に減らされる。
賞をとってもまったく、うれしくなかった。心の底から迷惑だった。もはやドス黒い怒りさえ覚えた。
頭に浮かんだのはこれだけだった。
もはやここまでくると、「いかに、読者に反応させるか」しか考えなくなった。毎日毎日いかに反応させるか、それだけを考える。
そんなある日、私の原稿をチェックしてくれたあの上司がこんなことを言った。
と。
私がいたWeb媒体は総合媒体だった。
つまり、家電以外にも旅行やグルメ、金融など、さまざまなカテゴリがある。
そんな中、新しく「妊娠出産カテゴリ」ができたのだった。しかし、この妊娠出産カテゴリのPVがおもわしくなかった。
そこで、「PVをとることにだけは長けている私」が抜擢されたというわけだ。
別にそれは良い。
抜擢された先で、PVをとって成績を残せばもうそれでよいのだから。どこのカテゴリであろうがPVさえとれれば評価される。だから抜擢されたこと自体は迷惑ではなかった。
だが次の瞬間、上司がこう言った。
と。
アンケート記事というのは、すごくシンプルな記事だ。
と読者にアンケートをとり、その結果を記事にするというもの。
テーマはなんでもいい。
そういうアンケートをとって、結果を発表する。ただ、それだけ。
上司が私に依頼してきたのは「無痛分娩って、どう思う?」というアンケート記事だった。すでにアンケートはとってあるというので、数百件もあるアンケートの回答を記事としてまとめるだけ。
そこで、寄せられた回答を見せてもらった。
吐き気がした。
無痛分娩を選んだ女性に対する誹謗中傷、罵詈雑言。悪意と偏見にまみれたどろどろで真っ黒なタールのような呪言ばかりだった。
読者の立場になって考えれば、こんなの掲載すべきではないと2秒でわかる。
妊娠出産カテゴリの記事を読みにきてくれる人は、きっと今おなかに赤ちゃんがいて、一生懸命頑張ってる妊婦さんなんだから。
そんな人たちを攻撃するようなアンケート結果があがってきてる。
こんなの、載せられるわけがない。
そう上司に伝えたら、次の瞬間こう言われた。
って。
あ、もう無理だ。
ってなんかもう、いろんなものが崩れ落ちた。
なんで編集者になったんだっけ。
なんで記事を書いてるんだっけ。
誰にためにこの仕事してるんだっけ。
なんかもう、よくわからなくなった。
だからスパっと辞めた。
心機一転、もう一度編集者としてやり直すために。
少なくともあと2か所の編集部で経験を積みたい。
編集者として、成長するために。
だから、ベンチャー企業が運営する小さなWeb媒体で働いた後、上場企業の編集部に転職した。この上場企業の編集部が、私が所属した最後の編集部になった。
そして今は、独立して自分の会社をやっている。事業はいろいろだけど、メイン事業は「新人編集者」や「新人ライター」への研修業務だ。
つまり、今も編集者をやっているのだ。
編集者とは、「他人が書いた文章をより良くデザインする」仕事だ。
著者と「一緒に」、二人でよい文章をつくっていく。
そういう仕事だ。
だから基本的に自分で文章を書くことは、ない。
だけど、日本一の編集者として仕事をしている以上、編集者として学び続けたいし学び続けなければならない。
だから、書くのだ。
自分で、自分の文章を。
あの時上司が言った言葉は、真実だと思う。
という、この言葉だ。
「リテラシーの低い層を反応させて数字をとる」なんて言ったことはど~~~しても許せそうにないし、一生忘れん。
でも、別にそれはその人の「一つの側面」なのであって、その人の「すべて」が悪いわけじゃないと思う。
世の中には「善人」と「悪人」がきれいに分かれて存在しているわけではない。そうじゃなくて、一人の人が善いことも悪いこともする。
ただ、それだけだ。
だから上司からもらったこの「自分で文章を書ける編集者じゃないと、他人の原稿を編集できない」って言葉はとても良い言葉だと思う。
だから、書くのだ。
日本一の編集者であり続けるために。
じゃあ何を書くのか。
これが問題になる。
が、答えはシンプルだ。2秒で即答できる。
「伝えたいことを書く」。
これだけだ。
たとえばこのnote。
これは別に「私は別居婚をしています」ってことを伝えたかったんじゃない。
そうじゃなくて、
ってことを伝えたかった。そのことを伝えるためだけに書いた文章なんだ。
このnoteはコンテストでグランプリも受賞したから、雑誌やTV局、Web媒体から、けっこうな数の取材依頼が来ているそうだ(マネージャーから聞いた)。
だが、全部断ってる。
なぜか。
理由はシンプルで、「別居婚はアリかナシか」という軸で企画が組まれているからだ。
私が伝えたいのはそこじゃない。
「こういう選択肢もあるんだ」という、ただそれだけを伝えたいんだ。
このやり方は否定しない。
私もさんざんやってきたし、このやり方じゃないと食っていけない媒体はたくさんある。それは理解している。
でも、私はもうその世界からは「降りた」。
あの時の無痛分娩事件みたいに。
もう私は、「伝えたくない」ことは伝えない。
それができる世界にいる。
だから、やらない。
伝えたいことだけを、書く。
伝えたいことがあるから、書く。
これが、書くということの本質だと私は思う。
物書きの世界にはこういう言葉がある。
これはまさに至言だ。
私が昔書いたnoteを見るとそれがすぐわかる。
昔のnoteは、正直かなり、ひどい。
今読むと全部書き直したいくらい拙い。「原稿チェックお願いします」とか言われたら赤いペンキぶちまけたみたいに真っ赤に修正入れまくってボコボコにして返す。
だが、それは良いことだと思う。
当時の文章を「直したい」と思うってことは、昔より自分が成長できている証だと思うから。
では、なぜここまで成長できたかって、読んでくれた人が育ててくれたからだ。いっぱいイイネをくれて、いっぱい感想をくれて。
そうやって物書きとして、
育ててもらったんだ。
こうやって文章にするとなんかもう浅い言葉に見えるかもしれない。
「育ててくれてありがとう」とか。小雨が2分降った日の水たまりくらいあっさい、ちゃらんぽらんな言葉に聞こえるかもしれない。
だが感想がどれだけ書き手を育てるか、過去の私のnoteと最新作を比べてもらうとすぐわかると思う。
まっっっっっったく、違う。
読めばわかる。すさまじく成長している。
だから、もらった感想は全部写真として印刷してアルバムに保存している。私を成長させてくれた、私の宝物だから。
noteを始めて2年になるけど、2年もやってると、時々すごく驚きの言葉をもらうことがある。
これ初めて言われたときは宇宙猫みたいな顔になった。
うれしいよりも先に「ファン……、って、何……?」みたいな。
この時の私はまだ、「書きたいことを書いているだけ」という段階だったから「読んでくれた人によろこんでもらえた」という事実がよく理解できなかった。
でも、最近はちゃんと
って思えるようになった。「ファンです」という言葉をちゃんと「うれしい言葉」として受け止めることができるようになってきた。
でも、その「ファン」の人たちに物書きとして育ててもらって。
このままでいいのかって思った。
今までは、
これが私のなりの「育ててくれてありがとう」のお礼だった。
でも、最近は「もっと何かできることがあるんじゃないか」って思うようになったきた。
そしたら、あることに気づいた。
「ファンです」って言ってきてくれる人たちは全員文章を書いている人なのだ。
noteには「読みに来ている」というよりも「書きに来ている」という人が多かったのだ。
だから、思った。
って。
そう言ってもらえることはすごくうれしい。
そう言ってくれたコメントを、印刷して本にしてるくらいだからね。
そのよろこびっぷりはもう計り知れないよ。
でも、「ファンです」って言ってくれる人が「物書き」なら話は別だ。
物書きならば、ファンで終わってほしくないんだ。
物書きであるならば。
「あなたは私の敵です」って言ってほしいんです。
「打倒すべき私の敵です」って。
「打倒して乗り越えるべき私の敵です」って。
そう言ってほしいんですよ。
そうして敵として乗り越えた後、大きく成長したその時に。
「あなたは私の師です」って言ってほしいんです。
「あなたがいたおかげで、こんなに成長できました」って。
「あなたは私の大切な恩師です」って言ってほしいんです。
そうして私もあなたも一緒にたくさん書いて、悩んで、また書いて、成長して。
そうして私もあなたも「一緒に」成長していった先に、「あなたは私の同士です」「あなたは私の仲間です」って言ってほしいんです。
「あなたは私の大切な、戦友です」って言ってほしいんです。
そうして一緒に成長した「私の」姿を見て、最後に。
「あなたは、私の誇りです」
って言ってほしいんです。
だから、コンテストを開催したんですよ。このコンテストを。
ず~っと夢だった自主開催コンテスト。やっとこないだスタートさせることができてめっちゃうれしい。
このコンテスト、物書きならば楽しんで書けるし、グランプリを受賞すれば賞金と賞品がもらえる。書くのが好きな人にとっては、良いことづくしだと思う。
でもこれがみんなへの恩返しなわけでは、別にない。
そうじゃなくて、みんなが私を成長させてくれたように、この私のコンテストでみんなが成長する場を提供したいってそう思ってるんだ。
いや偉そうなこと言ってごめん、ほんとにごめん、いやでもこれ本当に恩返しになるからちょっと聞いてほしい。
私のコンテストに応募したいなって思ってる人は、たぶんだけど「note創作大賞」にもチャレンジしようと思ってる人が多いと思う。
もうみんなどの部門に応募するか決まった?
部門が決まった人は、きっと応募部門の審査員たちのコメントを読んでいると思う。今年の審査員たちのコメントが、こんな感じだ。
これね、鵜呑みにしちゃダメですよ。
審査員たちって、当然ながら会社員なわけですよ。
会社員だから会社のレギュレーションがある。だから、「どんな思いで審査に臨んでいるか」をすべて赤裸々に書くわけにはいかないんですね。
だから、鵜呑みにしちゃだめ。
これは「レギュレーションに違反しないようにきれいにコーティングされた文章」だから。「どんな思いで審査に臨んでいるか」はここには書かれていないんだ。
じゃあ、「どんな思いで審査に臨んでいるか」を知るすべはないのか?
それが、あるんですよ。
書籍編集者が書いた「生のnote」を読めばいいんです。
私は数百を超える書籍編集者のnoteを読んできた。
一番好きなのが、黒木郁さんが書いたこのnote。
どこが好きかって、等身大の言葉で一生懸命書いてるのが伝わってくるところですよ。
書籍編集者を目指したワケとか、編集者になってから初めて経験した挫折とか、書籍編集者として仕事をしているときの喜びとか。そういうのを赤裸々に書いてくれている。
なんか大学の時の友達と久々にあって、居酒屋でどんな仕事をしているか聞いている気分になれるんですよね。
カッコつけようとせず、「自分にしか書けないこと」を、素直に書いている。ここがとっても好きなんです。私にはできない。
でね、このnoteは最後こういう言葉で締めくくられます。
どんな思いで、書籍編集者をやっていたか、わかりますか。
こういう人たちが、画面の向こうにいるんですよ。
画面の向こうで、こういう人たちが創作大賞の審査員をやってるんですよ。
こういう人たちが、あなたが応募したnoteを読んでるんですよ。
さっき載せた、「審査会社のコメント」をうのみにしちゃダメだっていった理由が、黒木郁さんのnoteを読むとよくわかるデショ。
審査してくれる書籍編集者は、「もう本なんて作りたくない」って思ってるかもしれない。
「もう会社やめたい」「もう限界だ」「編集者になんかなるんじゃなかった」、そう思ってるかもしれないんです。
創作大賞に挑む人に、伝えたいことがある。
画面の向こうにいるのは、書籍編集者なんです。
創作大賞でやることはたった一つ。
彼らの心を奪うことなんです。
彼らが一体どんな想いで、書籍編集者になったのか。
小さいころ、たった一冊の本に、心を、命を、人生を助けられたかもしれない。
そんな本を、自分も生み出したい。
だから、そんな本を書ける人を血眼で探したい。
そういう思いで、審査してるんですよ。
創作大賞は、誰もが気楽に応募できる自由なコンテストです。だから、
そう考えちゃいますよね。わかる。すんごくわかる。
だがダメだ。
画面の向こうにいる審査員に向けて、彼らに「これこそ本にしたい、極上の作品だ」と思われるような文章を書かなければならないんですよ。
私はつい先日、創作大賞で賞をとる人のためにこういうnoteを書きました。
目次がこんな感じ。
ありがたいことに、すさまじい量のレビューも届いている(全部紹介しきれないから、一部だけね)。
▼立ち読みはこちら
レビューに書いてもらった通り、すんごく濃厚な内容になってる。
第一回創作大賞の受賞者である私が書いた作品だからね。自信あるよ。
ところがどっこい。
1つだけ問題がある。
このnoteでは「創作大賞で受賞するための知識と戦略」を徹底的に解説してるんですが、それを実践しようと思うと創作大賞にぶっつけ本番になっちゃうんですよ。
もちろん、このnoteを読んでない人にも同じことが言える。
考えて、書いて、応募する。
そういうぶっつけ本番になっちゃうんだ。
ぶっつけ本番だぞ!?!?
ダメだよそんなの!!!!
部活のスポーツの試合でも合唱コンクールの発表でも、必ずリハがあったでしょ!?!?リハ、めっちゃ大事!!!
だから、創作大賞のリハーサルができる「場」として
「なぜ、私は書くのか」というコンテストを開催したんです。
このコンテストでは、もちろん私が審査員を務めます。
つまり、「私に向かって」作品を書くということになるんです。
つまり、創作大賞で「審査員に向かって」作品を書くということのリハになるんです。
創作大賞の準備運動に、
もってこいだと思いませんか?
いいですか、手の内を全部、すべて、包み隠さずおっぴろげます。
コンテストの裏側をここまでおっぴろげること、ないですよ。
だからこっからは、よ~く聞いてほしいんです。
Webの世界では「クリックされること」がすべてです。
どんな素敵な文章を書いたとしても、クリックされないと読まれないんですよ。
ってツイッターで告知とかするじゃない。
でも全然クリックしてもらえなかった経験あるでしょ(私はある)。
だから、クリックですよ。クリックされることがすべてなんです。
んで、クリックされるには、「タイトル」がすべてなんです。
だから、この「なぜ、私は書くのか」というコンテストでは
「クリックしたいな」と審査員が思った作品だけが
中間選考を突破します。
クリックすらされなかった作品は、
すべて落ちます。
私は最終選考を担当しますが、中間選考では別の人間が審査を担当します。
中間選考の審査員には「タイトル至上主義者」を用意しました。
誰だと思います?
それは、普段、「あなたのnoteを読んでいる読者」です。
いや、ごめん、ウソ。審査員は私のマネージャーです。マネージャーは30代の女性で、文章といったら「書く」ことよりももっぱら「読む」ことのほうが多い。本は月に2冊くらいは読むけど、Webの文章のコンテンツは隙間時間でたま~に読むくらい。こういう人です。
でも、これってつまり、「普段私たちが相手にしている読者」と言えそうじゃないですか?
審査員を務めるマネージャーにはこう伝えてあります。
と。
これ、なんでだと思います?
それはね、noteって隙間時間で読むからですよ。
みんなそうでしょ?
朝起きて朝食済ませて着替えて椅子に座って「さぁ読むぞ!」ってこと、ないでしょ?
絶対に、隙間時間で読むんですよ。
その隙間時間で、選ばれたnoteだけが「読まれるnote」、そして「読む価値があるnote」なんです。
ついさっきとったキャプチャだけど、みんなだってここに表示されているnote「ぜんぶ」はクリックしないでしょ。私もそう。
私「は」、コンテストに応募された作品を全部読みますよ。
コンテスト主催者として読む責任があるから。
あと単純に興味があるから。
でも、それじゃダメなんですよ。
「普通の読者」にクリックしてもらい、そして読了してもらえる文章こそが良質な文章なんです。
だから、中間選考の審査員として「タイトル至上主義者」をご用意したんですよ。
だからこのコンテストはある意味、とっっっても奇妙だと思う。
「順序が逆」なんですよね。
クリックする義務なんざ一切ない「タイトル至上主義者」が中間選考を担当し、気になっちゃうから全部クリックしたくなる「コンテスト主催者」が最終選考を担当する。
たとえるなら「ラスボス」が先で、
ラスボスを倒した先に「中ボス」がいるみたいな感じ。
でも、それでいいんです。
だって目的は
を考え、それを実践する場を提供することだから。
ただ、今最終選考の審査を担当する自分のことを「中ボス」って表現したけど。
この最終選考だってキッツイよぉ~!(笑)
だって、私のコンテストの参考作品として書いたこのnote。
「自分の文章に自信がなくて吐きそう」を超える作品じゃないと、最終選考を突破できないんだから。
わかりますか。今まさに読んでくれている、私のこのnoteを叩きのめせないと、グランプリはとれないんです。
私は毎日、日本一の編集者として仕事をしている。
実際は日本一じゃないかもしれないよ?
でも、日本一になった「つもり」で仕事をしている。
日本一であり続けるために、書いている。
日本一の物書きとして、文章を書き続けている。
その覚悟、闘志、矜持をもって書き続けている。
だから、第一回創作大賞の受賞者になれた。
だから、noteのフォロワー30人、投稿件数1件でも初めてnoteが書籍化されて全国の書店に並んだ。
書き続けたおかげで、私の文章を読んだたくさんの人からすごく愛情のこもった言葉をもらうこともできた。
これ、実際に私がもらった言葉なんですよ。
極めつけはこれ。
という言葉でした。
先日書いた私の最高傑作。
このnoteで「創作大賞で受賞するためにやるべきこと」を全部、全部、ぜ~んぶ書ききった。そしたらこのnoteを買ってくれたとある方からこう聞かれた。
なんでって私はそのために生まれてきたからですよ。
編集者っていうのは、職業じゃないんです。
生き方なんです。
この世にいるたくさんの物書きと「一緒に」、文章を書いていく。
そのために生まれてきたんです。
物書きと一緒に文章をつむいでいけるなら、何だってやりますよ。
当たり前でしょう。編集者なんだから。
だから、物書きのみんながより良い文章を書けるように。
自分が手掛けるどのnoteでも全力を出し切ったんです。
でもさ、私が書いたことをみんなに読んでもらえるだけじゃ足りないって思った。やっぱ実践だよ、実践。座学で終わったらだめだ。
だから、創作大賞の「準備運動」の場としてコンテストを開催したんです。
安全に、身に着けた知識を実践できる場所として。
ここが創作大賞のリハーサル会場だと思って、
おもいっっっきり書いてみてほしいんだ。
そうしてしっかりリハを経験したうえで、創作大賞で無事賞をもらい、トロフィーをとってきてほしいんだ。
それが、私の願いだ。
それが、私ができるみんなへの恩返しなんだ。
絶対に創作大賞で受賞する。夢だった書籍化を現実にする。
そのためにならなんだってするよ。
だってここまで育ててもらったんだから。
ここで恩返しせずにどこでするん?って話になっちゃうもん。
と、いうことでっっっ!!!!!!!!!
コンテスト「なぜ、私は書くのか」を開催しま―――す♡♡♡♡♡♡
審査員はこの私だ。
ぶちのめしに来い。
〜あとがき〜
最近クイックルワイパーで床掃除する時さ、ラジオ代わりにYouTube聴いてるんだよね。
YouTuberって動画が始まる時にみんな独自のあいさつするじゃない。
ヒカキンなら「ブンブンハローYouTube」とかさ。
最近好きになったYouTuberのあいさつがさ、
で狂おしいほど好きなんだよね。私もこのメンタルで文章を書きたい。
このあいさつに惹かれて動画見たんだけどさ。
ま~熱意がすっごいのよ。
どうやったら見てくれる人を楽しませられるか、死ぬほど考え抜いたんだなってことが伝わってくる。
これさ、文章も一緒だよね。
今回コンテストを開催したワケだけど。
どんな文章を書いたかとか、もう正直どうでもいいんですよ。
そうじゃなくて。
どれだけ本気になれたか。
そこが大切だと思うんです。
あらやだ人生と一緒ね。ふふっ。
だから、マジで本気を出しやすいよう「なぜ、私は書くのか」をテーマとして選んだ。
いやもうめっちゃ楽しみ。
noteにうごめく物書きたちが本気を出すとどうなるのか、今からもうめっちゃ楽しみだよ。ぜひ、本気で、血反吐を吐く思いで内臓全部ぶちまけて書いてみてね。
きっと楽しいよ~!思いきり、自分らしく、そして楽しみながら書いてみてね!!
私が開催したコンテスト「なぜ、私は書くのか」は終了しちゃったんだけど、note公式からは常にこんなにたのしいコンテストが開催されてます。
コンテストで受賞するとね、その受賞作品にはかなり注目が集まる。すると、
これって、「書くことを仕事にしたい!」と思っている人にとってはものすごい実績だよね。
私もnoteのコンテストで2回賞をもらった。第一回創作大賞で優秀賞を受賞し、noteコンテスト「思い込みが変わったこと」でグランプリを受賞。
その結果、こんなにたくさんの実績をつくることができた。
もうここに書ききれないから、こういった実績はプロフィールに記載してあるんだけどさ。
と思っている人にとって、コンテストで受賞することは「大きな実績をつくるために必須」だと思う。
まずは毎月開催されているnoteでの「ミニコンテスト」で、肩慣らしとして賞をとりにいくなら、これを読んでほしい。
私がグランプリをとるためにやったこと、全部書ききった。うれしいことにすっごく好評でたくさん感想をもらえたよ。
また、書籍化やドラマ化、漫画化される可能性が極めて高い、日本最大級のコンテスト「創作大賞」に挑むならこちら。
特に「今年の創作大賞への応募、間に合わなかった!」って方に読んでほしい。今から準備すれば、数か月もかけてじっくり応募作品を書くことができるし、受賞の確率が格段に上がる。
そんな人はぜひコンテストにチャレンジしてみてね。
ではまた!
華より