見出し画像

自分の文章に自信がなくて吐きそう



「取材し直してこい」。



必死に書いた取材原稿。

上司からそう言われて突き返された。

突き返された原稿は真っ赤だった。修正の赤文字が多すぎて、「赤いペンキを1缶ぶちまけました」みたいになってた。
私が書いた元の原稿なんて、もう原型をとどめていなかった。






新卒で、必死に就活して入った編集部。
日本を代表する大手Web媒体の編集部に配属されて、すごくうれしかった。でも、そこで待ってたのは華やかな編集者人生なんかじゃなく。

すさまじく泥くさい、執筆の毎日だった。



「は?編集者なのに、自分で執筆すんの?」

と。入社初日に思った。


「編集者ってライターに原稿依頼して、納品された原稿を編集するのが仕事なんじゃないの?」と。すると私の教育係になった上司がこう答えた。

「自分で原稿を書けない編集者が、他人の原稿を編集できるわけないでしょ」

って。



そこからは、毎日毎日毎日、執筆の日々だった。
自分が所属している媒体に家電のニュースを掲載した。こういうやつ。

パナソニック コネクトは、直販サイト「Panasonic Store Plus」において、14型モバイルノートパソコン「Let's note FV5」を本日4月13日に発売する。

14型QHD液晶(2160×1440ドット、縦横比3:2)を搭載したモバイルノートパソコン。厚さ18.2mm、重さ約1.134kgと薄型・軽量ながらも、NPU「インテル AI ブースト」に対応したCPU「Core Ultra」を搭載しており、生成AIなどNPUを利用できるアプリの処理速度を向上させている。

価格.com 新製品ニュースより引用


簡単に読める文章だ。
だが、簡単に読める文章だからといって「簡単に書ける」わけではない。


毎日毎日、テキストエディタ秀丸を使って原稿を書いて。
それを印刷して上司に渡す。
そしてすぐ左に座っている上司が、私のあまりにひどい原稿に頭を抱えて「ん~~~~」ってうなってるのを横目に見ながら、私はまた次の原稿を書く。そして赤入れが終わり、ボッッッッコボコに直された自分の原稿を見てへこみまくる。



毎日毎日。

これの繰り返し。



まったく、成長しなかった。
一年たってもまだ、私は上司に原稿を直してもらっていた。
同時期に入社した同期2人は、とっくに「上司による原稿チェック」の段階なんか卒業し、一人前の編集者として自分でバリバリ仕事をしている。


なんかもう、限界だった。





自分の文章に、自信が持てません。

たしか小田急線の経堂駅だったと思う。

とある取材イベントを取材するために経堂に行き、イベントが終わったのが夜の8時半。駅で上司と二人、涼しい夜風にあたりながら電車を待っている時、なんかもう限界がきてポツリともらした。


そしたら上司からは何も返ってこなかった。黙ったまんま。
「あれ聞こえなかったんかな」と思ってふと上司の顔を見たら、すがすがしいほど。

――苦笑いしてた。




失言だった。


瞬時にそう悟った。





あの時の上司の顔は忘れられない。

「こいつ、もう、どうしようもねぇな」

っていうあの顔。
それくらい、自分がとんでもない失言をしたのだと気づいた。




でも、なぜ「自分の文章に自信が持てません」が失言なのかわかんなかった。わからなかったが、とにかくすべきことは理解できた。

文章を、自分の力で書けるようになる。

これが私のすべきことだと。




それからはプライドなんざ全部捨てて学びまくった。
私はどこかで、

「自分は文章を書ける人間だ」

って思ってたんだと思う。そういう驕りがあったんだと思う。
「文章を書けない自分」を、どこかで認められてなかったんだと思う。




だからちゃんとその事実を受け入れて、ひたすら学んで書いて「文章を書ける自分」に少しでも近づけるよう努力を積み重ねた。


上司はもちろん、先輩、同僚、はては文章を書くのがうまい友人知人。いろんな人にお願いをして文章力を鍛えてもらった。ライティングの本もしこたま読んだ。オンラインサロンに入って添削もいっぱい受けた。

どうやったら書けるようになるか。

死ぬほど考えてできることはすべてやった。



「今日から、俺のチェックなしで原稿掲載していいよ」。

もうすぐ編集者三年生になるという頃。

やっと上司からOKが出た。

もう上司のチェックなしに原稿を掲載できる。やっと、夢見ていた「文章を書ける自分」になれた気がした。




会社のお昼休み。会社のビルの屋上。
柵ごしに丸の内のビル街を見下ろしながら、ぼーっとしてた。
ほかの人たちはお弁当を食べたり、バレーをしたりと楽しそうにしている。

そんな中、私ひとりだけ柵を握りしめてぼーっとしてた。





この時だった。なぜか瞬時に、すべてを理解した。

「自分の文章に自信がないです」

と言った私に対して、上司が苦笑いした理由が。




自信が何でできているか。

努力だ。

誰にも負けない努力を積み重ねた先に、自信があるんだ。



「自信がありません」ってセリフはすなわち

「私は一切努力していません」


と同義だ。




あまつさえ、それを他人に言うなど話にならない。
だってそれってつまり、

「私は一切努力をしていませんし、これからもするつもりはありません。だからこんなレベルの低い文章を書くのを見逃してください。あとヘコんでるから慰めてください」

って言ってるようなもんだ。




「辞めちまえよ、

そこまで努力する気がないなら」。


上司はすんでのところで、このセリフを我慢してくれたんだと思う。
でも、我慢しきったけど顔には出ちゃった。
だから、苦笑いしてたんだ。




そんな当たり前だけど大切なことに気づいたとき、なんかゴールに到達した気分になった。

もうこれで大丈夫、これから先、大変なことはない。
もう私は平気だ。
一人前の編集者だ。

これが映画とか小説なら、これでエンディングだろう。
「めでたしめでたし」で終わる。


だがこれは現実だ。

この先にも、「壁」が私を待ち受けていた。





上司のチェックなしに原稿を掲載できるようになる。
すなわちそれは、一人前の編集者になったということだ。
一人前の編集者になるということは、どういうことか。


ノルマが課されるのだ。


Web媒体の編集者には、毎月きついノルマが課される。
私の場合は、毎月300万PVを達成することだった。




上司の庇護のもと、ぬくぬくと毎日原稿をチェックしてもらっていたあの生ぬるい日常はもうどこにもなかった。


とにかくPV、PV、PV。
300万PVを下回ると容赦なく降格、ボーナス減額。



死ぬほど、つらかった。





結婚して同居を始めた夫からはこう言われることもあった。

あのさ、昨日寝言で、「今月(のノルマ達成)、大丈夫です」って言ってたよ。

って。ビックリした。寝言で

「今月大丈夫です」


って言うくらい、追い込まれてた。




しかも「今月大丈夫」だったとしても、翌月の1日からはまた完全にリセット。またゼロからのスタートになる。

もう、これの、繰り返しだった。

完全に、数字しか考えていなかった。




まだ、原稿をチェックしてもらっていたころの新人時代のほうが、(文章は書けていないにしても)もっと、ずっと、ちゃんとしていた。

「この原稿アップしたら、画面の向こうにいる人はよろこんでくれるかな」

「この原稿は、こういう人が読むだろうから、こういう順番で書いたほうがきっと読みやすいだろうな」

「この原稿は、こういう悩みを解決するために書くから、まずは画面の向こうにいる人たちの悩みとちゃんと、向き合おう」

って。




「画面の向こうにいる人の役に立ちたい」。

あのころの私が、キラキラ輝いててもう直視できなかった。




もう私にとって、読んでくれる人なんてただの数字だった。


いろんな企業から毎日送られてくるリリースや、PR TIMESに載ってるリリースを見て、「これは数字がとれそうだ」と思うものをライターに投げて原稿にしてもらい、ニュースとして掲載する。

その時に、読んでくれる人によろこんでもらおうなんて、もはや考えなかった。

「こういう系のリリースは、過去の統計から判断して数字(PV)がとれるから掲載しよう」

ただ、それだけ。



幸い(?)なことに、私に文章の才能はなかったけど、数字をとる才能はあった。
だから何千人という社員の中から「社員賞」をもらった。
賞金30万円とハワイ旅行もプレゼントされた。


でも、正直迷惑だった。



ハワイ旅行なんてプレゼントされた以上、行かねばならない。
断る権利は社員にはない。



だがそんな旅行なんて行ってたら数字がとれない。成績がさがる。「今月大丈夫」じゃなくなる。目標PVを達成できなかったら降格だってありうる。ボーナスだって大幅に減らされる。

賞をとってもまったく、うれしくなかった。心の底から迷惑だった。もはやドス黒い怒りさえ覚えた。

「私が数字をとるのを邪魔するな」

頭に浮かんだのはこれだけだった。




もはやここまでくると、「いかに、読者に反応させるか」しか考えなくなった。毎日毎日いかに反応させるか、それだけを考える。

そんなある日、私の原稿をチェックしてくれたあの上司がこんなことを言った。

「君、いつもは家電カテゴリやってくれてるけど、今月だけちょっと『妊娠出産』カテゴリを担当してよ」

と。



私がいたWeb媒体は総合媒体だった。
つまり、家電以外にも旅行やグルメ、金融など、さまざまなカテゴリがある。

そんな中、新しく「妊娠出産カテゴリ」ができたのだった。しかし、この妊娠出産カテゴリのPVがおもわしくなかった。

そこで、「PVをとることにだけは長けている私」が抜擢されたというわけだ。




別にそれは良い。

抜擢された先で、PVをとって成績を残せばもうそれでよいのだから。どこのカテゴリであろうがPVさえとれれば評価される。だから抜擢されたこと自体は迷惑ではなかった。


だが次の瞬間、上司がこう言った。

「無痛分娩に関するアンケート」の結果公表の記事を書いてほしい

と。



アンケート記事というのは、すごくシンプルな記事だ。

「〇〇についてどう思う?」

と読者にアンケートをとり、その結果を記事にするというもの。




テーマはなんでもいい。

「奈良でオススメの観光スポットは?」とか
「夏のボーナスの使い道を教えて!」とか

そういうアンケートをとって、結果を発表する。ただ、それだけ。

上司が私に依頼してきたのは「無痛分娩って、どう思う?」というアンケート記事だった。すでにアンケートはとってあるというので、数百件もあるアンケートの回答を記事としてまとめるだけ。




そこで、寄せられた回答を見せてもらった。


吐き気がした。




無痛分娩を選んだ女性に対する誹謗中傷、罵詈雑言。悪意と偏見にまみれたどろどろで真っ黒なタールのような呪言ばかりだった。



読者の立場になって考えれば、こんなの掲載すべきではないと2秒でわかる。
妊娠出産カテゴリの記事を読みにきてくれる人は、きっと今おなかに赤ちゃんがいて、一生懸命頑張ってる妊婦さんなんだから。




そんな人たちを攻撃するようなアンケート結果があがってきてる。

こんなの、載せられるわけがない。

「これじゃ記事にできません」

そう上司に伝えたら、次の瞬間こう言われた。



『リテラシーの低い層』は、弱者を痛めつけるこういう罵詈雑言が大好きじゃない。

だから、こういう無痛分娩を選んだ女性を攻撃するアンケート結果を載せれば、リテラシーの低い層を『反応』させることができて数字とれるよ。

アンケート結果の罵詈雑言をリテラシーの低い層に読ませることで『そうだそうだ!無痛分娩は悪だ!』って反応がとれる。

つまり、数字がとれる。

すると今度は『そんなことはない』って人が現れてさらにそっちの反応もとれる。PV、爆発的にとれるよ。

って。




あ、もう無理だ。


ってなんかもう、いろんなものが崩れ落ちた。




なんで編集者になったんだっけ。

なんで記事を書いてるんだっけ。

誰にためにこの仕事してるんだっけ。

なんかもう、よくわからなくなった。




だからスパっと辞めた。
心機一転、もう一度編集者としてやり直すために。

少なくともあと2か所の編集部で経験を積みたい。
編集者として、成長するために。



だから、ベンチャー企業が運営する小さなWeb媒体で働いた後、上場企業の編集部に転職した。この上場企業の編集部が、私が所属した最後の編集部になった。

そして今は、独立して自分の会社をやっている。事業はいろいろだけど、メイン事業は「新人編集者」や「新人ライター」への研修業務だ。


つまり、今も編集者をやっているのだ。




編集者とは、「他人が書いた文章をより良くデザインする」仕事だ。

著者と「一緒に」、二人でよい文章をつくっていく。

そういう仕事だ。



だから基本的に自分で文章を書くことは、ない。
だけど、日本一の編集者として仕事をしている以上、編集者として学び続けたいし学び続けなければならない。

だから、書くのだ。

自分で、自分の文章を。




あの時上司が言った言葉は、真実だと思う。

「自分で原稿を書けない編集者が、他人の原稿を編集できるわけないでしょ」

という、この言葉だ。




「リテラシーの低い層を反応させて数字をとる」なんて言ったことはど~~~しても許せそうにないし、一生忘れん。

でも、別にそれはその人の「一つの側面」なのであって、その人の「すべて」が悪いわけじゃないと思う。




世の中には「善人」と「悪人」がきれいに分かれて存在しているわけではない。そうじゃなくて、一人の人が善いことも悪いこともする。

ただ、それだけだ。



だから上司からもらったこの「自分で文章を書ける編集者じゃないと、他人の原稿を編集できない」って言葉はとても良い言葉だと思う。



だから、書くのだ。


日本一の編集者であり続けるために。





じゃあ何を書くのか。
これが問題になる。
が、答えはシンプルだ。2秒で即答できる。

「伝えたいことを書く」。



これだけだ。



たとえばこのnote。

これは別に「私は別居婚をしています」ってことを伝えたかったんじゃない。
そうじゃなくて、

「みんな、好きなところに行き、好きに生きたらいいじゃない」

ってことを伝えたかった。そのことを伝えるためだけに書いた文章なんだ。



このnoteはコンテストでグランプリも受賞したから、雑誌やTV局、Web媒体から、けっこうな数の取材依頼が来ているそうだ(マネージャーから聞いた)。

だが、全部断ってる。

なぜか。



理由はシンプルで、「別居婚はアリかナシか」という軸で企画が組まれているからだ。
私が伝えたいのはそこじゃない。
「こういう選択肢もあるんだ」という、ただそれだけを伝えたいんだ。


画面の向こうにいる人をただ反応させて、数字をとる。


このやり方は否定しない。

私もさんざんやってきたし、このやり方じゃないと食っていけない媒体はたくさんある。それは理解している。





でも、私はもうその世界からは「降りた」。

あの時の無痛分娩事件みたいに。

もう私は、「伝えたくない」ことは伝えない。

それができる世界にいる。

だから、やらない。




伝えたいことだけを、書く。
伝えたいことがあるから、書く。
これが、書くということの本質だと私は思う。




物書きの世界にはこういう言葉がある。

「良い書き手は、良い読者が育てる」

これはまさに至言だ。




私が昔書いたnoteを見るとそれがすぐわかる。
昔のnoteは、正直かなり、ひどい。

今読むと全部書き直したいくらい拙い。「原稿チェックお願いします」とか言われたら赤いペンキぶちまけたみたいに真っ赤に修正入れまくってボコボコにして返す。

だが、それは良いことだと思う。

当時の文章を「直したい」と思うってことは、昔より自分が成長できている証だと思うから。



では、なぜここまで成長できたかって、読んでくれた人が育ててくれたからだ。いっぱいイイネをくれて、いっぱい感想をくれて。

そうやって物書きとして、

育ててもらったんだ。




こうやって文章にするとなんかもう浅い言葉に見えるかもしれない。

「育ててくれてありがとう」とか。小雨が2分降った日の水たまりくらいあっさい、ちゃらんぽらんな言葉に聞こえるかもしれない。
だが感想がどれだけ書き手を育てるか、過去の私のnoteと最新作を比べてもらうとすぐわかると思う。

まっっっっっったく、違う。

読めばわかる。すさまじく成長している。



だから、もらった感想は全部写真として印刷してアルバムに保存している。私を成長させてくれた、私の宝物だから。

こういう分厚いアルバムに入れてる
キャプチャをとって、ネップリで印刷
文章を書くときに何度も読み返してる





noteを始めて2年になるけど、2年もやってると、時々すごく驚きの言葉をもらうことがある。

華さんの大ファンです

これ初めて言われたときは宇宙猫みたいな顔になった。



うれしいよりも先に「ファン……、って、何……?」みたいな。
この時の私はまだ、「書きたいことを書いているだけ」という段階だったから「読んでくれた人によろこんでもらえた」という事実がよく理解できなかった。




でも、最近はちゃんと

「ファンって言ってくれるくらいだから、きっと私が書いた文章でよろこばせることができたんだろう」

って思えるようになった。「ファンです」という言葉をちゃんと「うれしい言葉」として受け止めることができるようになってきた。




でも、その「ファン」の人たちに物書きとして育ててもらって。
このままでいいのかって思った。

今までは、

育ててもらった恩返しに、新作のnoteを全力で書く。

それで、思いきり楽しんでもらえればいい。

これが私のなりの「育ててくれてありがとう」のお礼だった。

でも、最近は「もっと何かできることがあるんじゃないか」って思うようになったきた。



そしたら、あることに気づいた。

「ファンです」って言ってきてくれる人たちは全員文章を書いている人なのだ。
noteには「読みに来ている」というよりも「書きに来ている」という人が多かったのだ。


だから、思った。

「私がみんなに物書きとして育ててもらったように、私もみんなが物書きとして成長していくためのきっかけを何か提供できるんじゃないか」

って。




「華さんの大ファンです!」

そう言ってもらえることはすごくうれしい。
そう言ってくれたコメントを、印刷して本にしてるくらいだからね。
そのよろこびっぷりはもう計り知れないよ。




でも、「ファンです」って言ってくれる人が「物書き」なら話は別だ。

物書きならば、ファンで終わってほしくないんだ。




物書きであるならば。

「あなたは私の敵です」って言ってほしいんです。



「打倒すべき私の敵です」って。
「打倒して乗り越えるべき私の敵です」って。
そう言ってほしいんですよ。



そうして敵として乗り越えた後、大きく成長したその時に。
「あなたは私の師です」って言ってほしいんです。
「あなたがいたおかげで、こんなに成長できました」って。
「あなたは私の大切な恩師です」って言ってほしいんです。



そうして私もあなたも一緒にたくさん書いて、悩んで、また書いて、成長して。
そうして私もあなたも「一緒に」成長していった先に、「あなたは私の同士です」「あなたは私の仲間です」って言ってほしいんです。

「あなたは私の大切な、戦友です」って言ってほしいんです。



そうして一緒に成長した「私の」姿を見て、最後に。

「あなたは、私の誇りです」

って言ってほしいんです。





だから、コンテストを開催したんですよ。このコンテストを。

ず~っと夢だった自主開催コンテスト。やっとこないだスタートさせることができてめっちゃうれしい。


このコンテスト、物書きならば楽しんで書けるし、グランプリを受賞すれば賞金と賞品がもらえる。書くのが好きな人にとっては、良いことづくしだと思う。



でもこれがみんなへの恩返しなわけでは、別にない。

そうじゃなくて、みんなが私を成長させてくれたように、この私のコンテストでみんなが成長する場を提供したいってそう思ってるんだ。

いや偉そうなこと言ってごめん、ほんとにごめん、いやでもこれ本当に恩返しになるからちょっと聞いてほしい。




私のコンテストに応募したいなって思ってる人は、たぶんだけど「note創作大賞」にもチャレンジしようと思ってる人が多いと思う。

もうみんなどの部門に応募するか決まった?



部門が決まった人は、きっと応募部門の審査員たちのコメントを読んでいると思う。今年の審査員たちのコメントが、こんな感じだ。

生き方・マインドセットなど読者のQOLを高める情報の発信を行うべく、皆様のリアルな「生活」を様々な視点から切り取った作品を拝読したいと考えております。

オレンジページ編集部(エッセイ部門)

とにかく夢中になって読み進めたくなる作品との出会いに期待して、あなたの応募をお待ちしています。

メディアワークス文庫(KADOKAWA)エッセイ部門

楽しくて長く読み継がれる良質なエンターテインメント作品を待っております。

双葉社(エッセイ部門)


これね、鵜呑みにしちゃダメですよ。




審査員たちって、当然ながら会社員なわけですよ。
会社員だから会社のレギュレーションがある。だから、「どんな思いで審査に臨んでいるか」をすべて赤裸々に書くわけにはいかないんですね。

だから、鵜呑みにしちゃだめ。

これは「レギュレーションに違反しないようにきれいにコーティングされた文章」だから。「どんな思いで審査に臨んでいるか」はここには書かれていないんだ。




じゃあ、「どんな思いで審査に臨んでいるか」を知るすべはないのか?
それが、あるんですよ。
書籍編集者が書いた「生のnote」を読めばいいんです。



私は数百を超える書籍編集者のnoteを読んできた。

一番好きなのが、黒木郁さんが書いたこのnote。



どこが好きかって、等身大の言葉で一生懸命書いてるのが伝わってくるところですよ。

書籍編集者を目指したワケとか、編集者になってから初めて経験した挫折とか、書籍編集者として仕事をしているときの喜びとか。そういうのを赤裸々に書いてくれている。



小さい頃から本を読むのが好きだった。文庫本などのあとがきで、「編集の〇〇さん、あなたの助けがなければこの本はできませんでした。」といった賛辞が贈られているのを見て、編集者に憧れるようになっていった。

初めてつけた書籍のタイトルも、帯のコピーも、いまから思えば全然ダメだった。その2本は見事に売れなくてつらかった。

同僚の編集者と、非常階段のすみっこで、考えている企画や、気になっている著者の話をするのが何よりも楽しかった。あの非常階段は青春だった。

なんか大学の時の友達と久々にあって、居酒屋でどんな仕事をしているか聞いている気分になれるんですよね。
カッコつけようとせず、「自分にしか書けないこと」を、素直に書いている。ここがとっても好きなんです。私にはできない。



でね、このnoteは最後こういう言葉で締めくくられます。

本が好きでなったはずの仕事なのに、仕事に追われるなかでの「読書」は、どんどん苦しくなっていった。

会社にいると、仕事のことを考えると、動悸が止まらなくなって、そして以前にも書いたように母親の病気が決定打になって、辞めてしまった。

結局は、編集者でいることの責任に耐えられなかったのだと思う。
原稿のなおし方もろくにわからないのに、偉そうに意見を言う自分。

著者から夜中にかかってくる相談の電話。人生について相談されることもあった。答えるに値する経験も知見もないのに。




どんな思いで、書籍編集者をやっていたか、わかりますか。




こういう人たちが、画面の向こうにいるんですよ。
画面の向こうで、こういう人たちが創作大賞の審査員をやってるんですよ。
こういう人たちが、あなたが応募したnoteを読んでるんですよ。

さっき載せた、「審査会社のコメント」をうのみにしちゃダメだっていった理由が、黒木郁さんのnoteを読むとよくわかるデショ。



審査してくれる書籍編集者は、「もう本なんて作りたくない」って思ってるかもしれない。
「もう会社やめたい」「もう限界だ」「編集者になんかなるんじゃなかった」、そう思ってるかもしれないんです。




創作大賞に挑む人に、伝えたいことがある。

画面の向こうにいるのは、書籍編集者なんです。

創作大賞でやることはたった一つ。

彼らの心を奪うことなんです。




彼らが一体どんな想いで、書籍編集者になったのか。

小さいころ、たった一冊の本に、心を、命を、人生を助けられたかもしれない。
そんな本を、自分も生み出したい。
だから、そんな本を書ける人を血眼で探したい。

そういう思いで、審査してるんですよ。



創作大賞は、誰もが気楽に応募できる自由なコンテストです。だから、

「グランプリでなくとも参加賞ぐらいはもらえたら良いなぁ~」
「自分が本を出せればそれでいいや」

そう考えちゃいますよね。わかる。すんごくわかる。

だがダメだ。




画面の向こうにいる審査員に向けて、彼らに「これこそ本にしたい、極上の作品だ」と思われるような文章を書かなければならないんですよ。




私はつい先日、創作大賞で賞をとる人のためにこういうnoteを書きました。

目次がこんな感じ。

【準備段階でやること】
応募部門を選んで書き始めるのは絶対ダメ
応募部門を決めた後にやる大切なこと
他人の欲望を満たした人間だけが生き残る
コレを決めると、書き方がゴロっと変わってくる
「ご挨拶」のページを必ず見ろ
誰に書くかで何をどう書くかが決まる
創作大賞と就活の共通点
具体例をリサーチすると一気にnoteが書きやすくなる
「何を書くか」は自分が決めることではない
リサーチが9割、執筆1割の力配分にする
ネトストをしろ
たった一人の魂を奪いに行く
過去に書いたnoteで応募するなぞ言語道断
リサーチの段階ですべきこと5つ
創作大賞で受賞した時の実際のリサーチ結果を大公開

【構成案でやること】
リサーチ終わっちゃえばあとはラク
初公開!創作大賞で受賞した作品の、実際の構成案はこんな感じ
普通の構成案ではお話にならない
最初の構成案は「たった一行」から始まる

【書くときにすべきこと】
執筆時に覚えておかないと原稿が死ぬ3つのこと
タイトル、タイトル、タイトル!
審査員はあなたのnoteのこの4か所を見ている
実際の例を見てみよう
ブックマークされるための3つのコツ

【クリックされるタイトルの秘訣】
タイトルをつけられるようになるのに5年かかると言われている
クリックされないだめなタイトルに共通する「あること」
「このタグ」がついたnoteだけは創作大賞の応募前に絶対に見ておけ
「noteの要約」をタイトルにしては絶対に、ダメ
タイトルは、「だから、何?」と思われたら負け

【離脱されない一行目の書き方】
クリックしてもらうという最難関を突破しても次なる難関が待ち受ける
自分の文章を全部読んでもらえると思ったら大間違い
3冊の本から共通点を学ぶ
どうしても一行目が思いつかないときの最終奥義

【読まれる本文の書き方】
一言一句ていねいに読む時間はない
読了されることがすべて
授賞パーティーで「やっぱり」と思ったとある出来事
読了される3つのコツ
少量の不安を文章にまぶせ
「ここは読まなくてもいいよ」という箇所をつくる
「役立つ情報」で終わったらダメ
読まれる文章とYOASOBIの「夜に駆ける」の共通点
楽しさで文章をサンドイッチしろ
良い文章からは、「読んでくれてありがとうね」がにじみ出ている。これは隠し通せるものじゃない。

【最後の仕上げ】
最後の一文で魂をねこそぎ奪いにいけ
衝撃的な最後の一文を書ける人が読んでいる4冊の本
HTMLタグ<br>を最後の一行の後ろに20個入れろ
これやると書籍化されないから絶対にするな

【賞をとるために必要なこと】
創作大賞で賞をとるのに必要なのは熱意ではない。殺意だ。
「ライバルは他の応募者」と思うのは大きな間違い
相手の土俵で戦ったらだめだ、自分の土俵に引きずり込め
今は確かにプロじゃないかもしれない。だがプロ意識だけは持て

【おわりに】
(続編)創作大賞の「中間選考」に残ったけど、「最終選考」を突破できないnoteに共通すること5点




ありがたいことに、すさまじい量のレビューも届いている(全部紹介しきれないから、一部だけね)。





▼立ち読みはこちら


レビューに書いてもらった通り、すんごく濃厚な内容になってる。
第一回創作大賞の受賞者である私が書いた作品だからね。自信あるよ。



ところがどっこい。
1つだけ問題がある。




このnoteでは「創作大賞で受賞するための知識と戦略」を徹底的に解説してるんですが、それを実践しようと思うと創作大賞にぶっつけ本番になっちゃうんですよ。

もちろん、このnoteを読んでない人にも同じことが言える。

考えて、書いて、応募する。

そういうぶっつけ本番になっちゃうんだ。



ぶっつけ本番だぞ!?!?


ダメだよそんなの!!!!
部活のスポーツの試合でも合唱コンクールの発表でも、必ずリハがあったでしょ!?!?リハ、めっちゃ大事!!!




だから、創作大賞のリハーサルができる「場」として

「なぜ、私は書くのか」というコンテストを開催したんです。


【9月20日追記】
本コンテストは無事に終了しました~!結果発表はこちらのページで紹介してます♡


このコンテストでは、もちろん私が審査員を務めます。
つまり、「私に向かって」作品を書くということになるんです。
つまり、創作大賞で「審査員に向かって」作品を書くということのリハになるんです。



創作大賞の準備運動に、

もってこいだと思いませんか?




いいですか、手の内を全部、すべて、包み隠さずおっぴろげます。

コンテストの裏側をここまでおっぴろげること、ないですよ。

だからこっからは、よ~く聞いてほしいんです。



Webの世界では「クリックされること」がすべてです。
どんな素敵な文章を書いたとしても、クリックされないと読まれないんですよ。

「noteを書いたからみんな読んでね~!」

ってツイッターで告知とかするじゃない。
でも全然クリックしてもらえなかった経験あるでしょ(私はある)。



だから、クリックですよ。クリックされることがすべてなんです。

んで、クリックされるには、「タイトル」がすべてなんです。



だから、この「なぜ、私は書くのか」というコンテストでは

「クリックしたいな」と審査員が思った作品だけが

中間選考を突破します。



クリックすらされなかった作品は、

すべて落ちます。



私は最終選考を担当しますが、中間選考では別の人間が審査を担当します。
中間選考の審査員には「タイトル至上主義者」を用意しました。




誰だと思います?



それは、普段、「あなたのnoteを読んでいる読者」です。




いや、ごめん、ウソ。審査員は私のマネージャーです。マネージャーは30代の女性で、文章といったら「書く」ことよりももっぱら「読む」ことのほうが多い。本は月に2冊くらいは読むけど、Webの文章のコンテンツは隙間時間でたま~に読むくらい。こういう人です。



でも、これってつまり、「普段私たちが相手にしている読者」と言えそうじゃないですか?



審査員を務めるマネージャーにはこう伝えてあります。

「審査の業務は仕事だから、もちろん業務時間内にやってほしい」

「ただし、条件がある」

「審査は、『隙間時間』で行ってほしい」

「仕事中の電車移動とか、ちょっとしたお茶休憩とか、お昼買いにコンビニ行ってレジ待ちしてるときとか、駅のプラットフォームで帰りの電車を待ってる時とか、そういう時に審査してほしい」

「間違っても、『朝起きて顔洗って散歩して朝ごはん食べてメイクして着替えてパソコンの前に座ってさぁ読むぞ!』って気合いれないでほしい」

「とにかく隙間時間に、『時間つぶしに何か読むかぁ~』ぐらいの温度感でやってくれ」

「で、その隙間時間でぼーっと応募作品を眺め、自分がクリックして、しかも最後まで読んだ作品だけ、私んトコにあげてほしい」

と。



これ、なんでだと思います?




それはね、noteって隙間時間で読むからですよ。

みんなそうでしょ?
朝起きて朝食済ませて着替えて椅子に座って「さぁ読むぞ!」ってこと、ないでしょ?


絶対に、隙間時間で読むんですよ。
その隙間時間で、選ばれたnoteだけが「読まれるnote」、そして「読む価値があるnote」なんです。


ついさっきとったキャプチャだけど、みんなだってここに表示されているnote「ぜんぶ」はクリックしないでしょ。私もそう。



「は」、コンテストに応募された作品を全部読みますよ。
コンテスト主催者として読む責任があるから。
あと単純に興味があるから。

でも、それじゃダメなんですよ。

「普通の読者」にクリックしてもらい、そして読了してもらえる文章こそが良質な文章なんです。
だから、中間選考の審査員として「タイトル至上主義者」をご用意したんですよ。



だからこのコンテストはある意味、とっっっても奇妙だと思う。

「順序が逆」なんですよね。


クリックする義務なんざ一切ない「タイトル至上主義者」が中間選考を担当し、気になっちゃうから全部クリックしたくなる「コンテスト主催者」が最終選考を担当する。




たとえるなら「ラスボス」が先で、

ラスボスを倒した先に「中ボス」がいるみたいな感じ。



でも、それでいいんです。
だって目的は

「どうしたらクリックしてもらえるか」
「どうやったら最後まで読んでもらえるか」

を考え、それを実践する場を提供することだから。




ただ、今最終選考の審査を担当する自分のことを「中ボス」って表現したけど。

この最終選考だってキッツイよぉ~!(笑)

だって、私のコンテストの参考作品として書いたこのnote。
「自分の文章に自信がなくて吐きそう」を超える作品じゃないと、最終選考を突破できないんだから。

わかりますか。今まさに読んでくれている、私のこのnoteを叩きのめせないと、グランプリはとれないんです。



私は毎日、日本一の編集者として仕事をしている。
実際は日本一じゃないかもしれないよ?
でも、日本一になった「つもり」で仕事をしている。

日本一であり続けるために、書いている。
日本一の物書きとして、文章を書き続けている。
その覚悟、闘志、矜持をもって書き続けている。




だから、第一回創作大賞の受賞者になれた。
だから、noteのフォロワー30人、投稿件数1件でも初めてnoteが書籍化されて全国の書店に並んだ。



書き続けたおかげで、私の文章を読んだたくさんの人からすごく愛情のこもった言葉をもらうこともできた。

「読み終わるのが寂しくて読む手を止めてしまった」

「華さんみたいな物書きになりたい」

「毎日5回、華さんの文章を読み返しています、何度読んでも新しい発見があります」

「読んだ後、しばらく動けませんでした、注文したハーブティーが冷めてました」

「いやぁ……すごかった、日本一の花火大会を特等席で眺めた気分になりました」

これ、実際に私がもらった言葉なんですよ。




極めつけはこれ。

「なんでそこまで尽くしてくれるの?」

という言葉でした。




先日書いた私の最高傑作。

このnoteで「創作大賞で受賞するためにやるべきこと」を全部、全部、ぜ~んぶ書ききった。そしたらこのnoteを買ってくれたとある方からこう聞かれた。

「なんで、僕たち物書きのために、ここまで尽くしてくれるんですか」

なんでって私はそのために生まれてきたからですよ。




編集者っていうのは、職業じゃないんです。

生き方なんです。

この世にいるたくさんの物書きと「一緒に」、文章を書いていく。

そのために生まれてきたんです。



物書きと一緒に文章をつむいでいけるなら、何だってやりますよ。
当たり前でしょう。編集者なんだから。
だから、物書きのみんながより良い文章を書けるように。
自分が手掛けるどのnoteでも全力を出し切ったんです。



でもさ、私が書いたことをみんなに読んでもらえるだけじゃ足りないって思った。やっぱ実践だよ、実践。座学で終わったらだめだ。

だから、創作大賞の「準備運動」の場としてコンテストを開催したんです。
安全に、身に着けた知識を実践できる場所として。




ここが創作大賞のリハーサル会場だと思って、

おもいっっっきり書いてみてほしいんだ。

そうしてしっかりリハを経験したうえで、創作大賞で無事賞をもらい、トロフィーをとってきてほしいんだ。

それが、私の願いだ。
それが、私ができるみんなへの恩返しなんだ。

絶対に創作大賞で受賞する。夢だった書籍化を現実にする。
そのためにならなんだってするよ。

だってここまで育ててもらったんだから。
ここで恩返しせずにどこでするん?って話になっちゃうもん。





と、いうことでっっっ!!!!!!!!!

コンテスト「なぜ、私は書くのか」を開催しま―――す♡♡♡♡♡♡

審査員はこの私だ。

ぶちのめしに来い。








〜あとがき〜


最近クイックルワイパーで床掃除する時さ、ラジオ代わりにYouTube聴いてるんだよね。


YouTuberって動画が始まる時にみんな独自のあいさつするじゃない。
ヒカキンなら「ブンブンハローYouTube」とかさ。



最近好きになったYouTuberのあいさつがさ、

「お前たちの貴重な時間を一秒でも多く奪ってやる!!」

で狂おしいほど好きなんだよね。私もこのメンタルで文章を書きたい。


このあいさつに惹かれて動画見たんだけどさ。
ま~熱意がすっごいのよ。
どうやったら見てくれる人を楽しませられるか、死ぬほど考え抜いたんだなってことが伝わってくる。


これさ、文章も一緒だよね。



今回コンテストを開催したワケだけど。
どんな文章を書いたかとか、もう正直どうでもいいんですよ。


そうじゃなくて。
どれだけ本気になれたか。
そこが大切だと思うんです。


あらやだ人生と一緒ね。ふふっ。



だから、マジで本気を出しやすいよう「なぜ、私は書くのか」をテーマとして選んだ。

いやもうめっちゃ楽しみ。

noteにうごめく物書きたちが本気を出すとどうなるのか、今からもうめっちゃ楽しみだよ。ぜひ、本気で、血反吐を吐く思いで内臓全部ぶちまけて書いてみてね。

きっと楽しいよ~!思いきり、自分らしく、そして楽しみながら書いてみてね!!

【追記】コンテスト「なぜ、私は書くのか」、無事に終了しました~!たくさんのご応募、ありがとうございました!


私が開催したコンテスト「なぜ、私は書くのか」は終了しちゃったんだけど、note公式からは常にこんなにたのしいコンテストが開催されてます。


コンテストで受賞するとね、その受賞作品にはかなり注目が集まる。すると、

・雑誌やテレビから取材が来たり
・Web媒体から連載の依頼が来たり
・出版者から「本にしませんか」と声がかかったりする

これって、「書くことを仕事にしたい!」と思っている人にとってはものすごい実績だよね。



私もnoteのコンテストで2回賞をもらった。第一回創作大賞で優秀賞を受賞し、noteコンテスト「思い込みが変わったこと」でグランプリを受賞。

その結果、こんなにたくさんの実績をつくることができた。

・コンテストの賞金としてなんと10万円ももらえたし、
・コンテストの受賞作品は書籍化されて全国書店に並んだし、
・日経WOMANなど超有名雑誌や
・JapanTimesなどの海外新聞社に掲載されたし
・フジテレビから取材も来た。



もうここに書ききれないから、こういった実績はプロフィールに記載してあるんだけどさ。

「執筆を本業にはしないけど、書くことをちょっとした仕事にして、少しでも収入の足しにしたい」

と思っている人にとって、コンテストで受賞することは「大きな実績をつくるために必須」だと思う。



まずは毎月開催されているnoteでの「ミニコンテスト」で、肩慣らしとして賞をとりにいくなら、これを読んでほしい。

私がグランプリをとるためにやったこと、全部書ききった。うれしいことにすっごく好評でたくさん感想をもらえたよ。



また、書籍化やドラマ化、漫画化される可能性が極めて高い、日本最大級のコンテスト「創作大賞」に挑むならこちら。

特に「今年の創作大賞への応募、間に合わなかった!」って方に読んでほしい。今から準備すれば、数か月もかけてじっくり応募作品を書くことができるし、受賞の確率が格段に上がる。


「いつか本を出したい」

「自分の連載を持ってみたい」

「執筆を本業にはしないけど、書くことをちょっとした仕事にして、少しでも収入の足しにしたい」

そんな人はぜひコンテストにチャレンジしてみてね。


ではまた!


華より





いいなと思ったら応援しよう!

藤原華|編集者
もしこのnoteが面白かったら300円サポートお願いします!😭肩こりと背中の痛みがひどくて椅子にすわれないことが多くて……。整形外科で回300円の電気治療してるんだけど、いただいたサポートでもっと電気治療通いたい!!頂いた治療費、大切に使わせて頂いてます🙇