音楽史10『古典派音楽の前史』
バロックの末期、イタリアからオランダに定住した著名なヴァイオリニスト・作曲家のピエトロ・ロカテッリや著名なカストラートの歌手ファリネッリとその兄リッカルド・ブロスキなどが活躍した。
ヴェネツィアでは『奥様女中』を爆発的に成功させ従来の貴族的な「オペラ・セリア」と異なる市民的な内容の「オペラ・ブッファ」を確立、他にも多くの甘い旋律とされるオペラを書いた巨匠ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージが活躍、「オペラ・ブッファ」の作曲家としては同じくヴェネツィアのバルダッサーレ・ガルッピも著名である。
(↑グルック「メロディー」)
他にもミラノで学び西欧各地を回った巨匠クリストフ・ヴィリバルド・グルックは自由な様式をとったナポリのニコロ・ヨンメッリの影響で、オペラを音楽と詩を合わせたものにしドラマチックな場面に即興装飾を強調すると言うやり方ではなく転調を使うなどして装飾と歌手の技巧の優先をやめ、オペラを大きく変えることとなり、その一方で従来のやり方で成功を収めたニコロ・ピッチンニもいた。
一方、ドイツではスカルラッティの弟子のオペラ作曲家・作家のヨハン・アドルフ・ハッセがオペラ・セリアで名声を獲得し、詩人・オペラ作家のピエトロ・メタスタージオと組んでオペラ・セリアの様式を本格的に確立したとされる。
また、18世紀中頃、西欧諸国では絶対王政が確立されたことで、文化の中心地が従来の教会から宮廷のサロンに移っており、そこでは同じような雰囲気が続くバロック音楽の楽曲は堅苦しいものとされフランスでは反動的なシンプルなコードやメロディックで部分の反復が多い旋律、対比的な強弱、変化に富んだ装飾などを持つ優美な「ギャラント様式」が誕生、ここではバロック音楽の解説で先述したフランソワ・クープランとジャン=フィリップ・ラモーという二人の巨匠作曲家が活躍した。
また、ギャラント様式と同じ頃にフランス宮廷で起こっていた「ロココ」と呼ばれる繊細な美術、建築の様式に感化されたドイツ北方のプロイセン王・思想家で啓蒙専制君主として国家の強大化を達成したフリードリヒ2世、通称フリードリヒ大王の宮廷で保護された音楽家などによって「ギャラント様式」は発展していくこととなり、これが古典派音楽の出発点となった。
大きく栄え、現在の音楽の基礎がいよいよ築かれたと言えるバロック音楽だが、次の古典派の時代には忘れられていき、再び広く認知されて評価されるのは19世紀中期から20世紀初期の頃となる。
ドイツではバッハの息子でフリードリヒ大王の保護を受けたカール・フィリップ・エマヌエル・バッハが繊細かつ単純なギャラント様式や率直に自然に感情を表現する「多感様式」を研究、これらの作品はその後の巨匠に真似され古典派音楽の基礎になった。
他にもフリードリヒ大王の宮廷ではオペラ作曲家のカール・ハインリヒ・グラウンやフルート教師であったヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ、ヴァイオリニストのフランツ・ベンダなどが活躍した。
他にもドイツの港町である自由ハンザ都市ハンブルクで名声を得たラインハルト・カイザーや音楽理論家・作家・外交官のヨハン・マッテゾン、そしてバロック音楽で触れたクラシックで最も多作の巨匠テレマンが活躍した。
スペインやポルトガルではイタリア出身のドメニコ・スカルラッティが鍵盤楽器の新技法の開発などを行なうなどしてギャラント様式を発展させたとされ、同じくナポリ派に属すオペラ作曲家のニコラ・ポルポラもギャラント様式まで作品を残し、他にもトンマーゾ・トラエッタやヨンメッリも活躍した。
また、ナポリ派オペラでは「シンフォニア」という歌のない器楽の序曲が書かれ当時栄え始めた市民コンサートの中で単独演奏されることもあり、特にジョヴァンニ・バッティスタ・サンマルティーニはシンフォニアを発展させ古典派の交響曲に影響を残した。
また、ドイツのファルツ選帝侯の宮廷でカール・テオドールが芸術、特に音楽を保護したことで生まれた「マンハイム楽派」が美しい転調の作成やクラリネットの導入など多くのオーケストラ技法を生み出し、その影響から「交響曲」つまりオーケストラによって演奏される4つ程度の楽章で構成されるその形式が誕生した。
マンハイム楽派はチェコ出身のヴァイオリニストであるヨハン・シュターミッツを始祖としており、ソナタに2つの主題の対比を導入、分散和音による上昇音形や掛留音の音形、大胆な強弱法を取り入れ、オーケストラの表現方法を大きく発展させたとされリハーサルを楽団に義務付けてそのレベルも上昇させた。
その他、イギリスのロンドンに移住したバッハの息子ヨハン・クリスティアン・バッハは明瞭に区切ったりするフランス音楽と和声的で複雑なイタリア音楽を融合させた音楽を作り上げ、非常に大きな名声を獲得し当時のイギリスで最も著名な音楽家となり、同じくロンドンに移った大バッハの楽団のカール・フリードリヒ・アーベルもヴィオラ・ダ・ガンバの名手として著名である。
そして、他にもバッハの息子でギャラント様式や多感様式と従来のバロック様式を併せ持つような作風を持ったヴィルヘルム・フリーデマン・バッハは当初はハレで活躍したが怠惰のためクビとなり生前は名声を得ることなかった。
また、オーストリアのウィーン宮廷で活躍したソナタ楽章の3部構造を用いたハープシコードやオルガンの楽曲を作ったゲオルク・クリストフ・ヴァーゲンザイルはその後に音楽の都となるウィーンの作曲家達に影響を与え、決まったソナタ形式の1楽章・様々な形式をとる緩やかな2楽章・速い3楽章という古典派のソナタの成立に貢献したとされる。
他にもイタリアでチェンバロの弾き語りを行うアマチュア歌手だったドメニコ・アルベルティがイタリア・ソナタを確立、スペインのアントニオ・ソレールもソナタ様式から影響を受け多くの鍵盤曲を残した。