見出し画像

音楽史13『ロマン派音楽の発展-前編-』

 その後の19世紀前半にはロマン派音楽が本格的に開始し先述したベートーヴェンやシュポーア、ホフマン、クレメンティ、ルイジ・ケルビーニなどだけでなく多くの巨匠音楽家が登場していった。

ウェーバー

 オペラではモーツァルトの甥にあたるドイツの作曲家カール・マリア・フォン・ウェーバーがモーツァルトがよく作った大衆演劇ジングシュピールの伝統を受け継いでドイツのロマン派のオペラ様式を確立したとされ、『魔弾の射手』『オイリアンテ』『オベロン』などのオペラを作曲し名声を獲得、他にも交響曲や協奏曲なども残した。

マイアベーア
ニコライ

 他にもドイツでは『ユグノー教徒』や『預言者』などの作曲家ジャコモ・マイアベーアが非常に大きな名声を得たが彼は後述するメンデルスゾーンと同様にユダヤ人であったためワーグナーに酷評され二流扱いすることが当然と思い込む人が多くなっており、ドイツオペラではオットー・ニコライも著名であった。

ロッシーニ

 他にもイタリアのオペラ作曲家ジョアキーノ・ロッシーニは非常に著名な『セビリアの理髪師』や他に『ウィリアム・テル』『タンクレーディ』『チェネレントラ』『アルジェのイタリア女』『オテロ』『泥棒かささぎ』などといった数多くの著名なオペラ作品を作曲して名声を獲得、宗教曲なども残し、死後は忘れられたが現在ではロマン派の代表者の一人となっている。

ベッリーニ
ドニゼッティ

 この頃のイタリアのオペラでは他にもヴィンチェンツォ・ベッリーニが『夢遊病の女』『ノルマ』『清教徒』などで名声を獲得するが30代前半で早世、ガエターノ・ドニゼッティが『アンナ・ボレーナ』『愛の妙薬』『ランメルモールのルチア』『連隊の娘』『ドン・パスクワーレ』などの著名作を作曲、ロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティは「ベルカント」という歌唱法のオペラの巨匠とされる。

レーヴェ

 また、この時期には中産階級の人々が自宅で音楽を行うのが普通になっており、プロの作曲家たちは詩へ曲をつける、ピアノ伴奏の歌曲を作曲するなどして稼ぎを得ており、その中では先述した夜想曲というジャンルを確立したジョン・フィールド、バラードという比較的長い歌曲を得意としたカール・レーヴェ、そして数多くの歌曲を母国語のドイツ語で作ったフランツ・シューベルトなどが活躍した。

シューベルト

 シューベルトは現在、世界で最も著名な音楽家の一人といえ、少年時代から作品を書き、サリエリの個人指導を受けるようになると『糸をつむぐグレートヒェン』や交響曲の4番・5番などを作曲、その後は音楽を仕事にしピアノで『鱒』『さすらい人幻想曲』、交響曲で著名な『未完成』と『ザ・グレート』の他『小ハ長調』、弦楽曲で『死と乙女』などを作曲した。

 歌曲では著名な『エレンの歌第3番』やゲーテの詩に曲をつけた『魔王』『野ばら』『死と乙女』などを作曲、著名な歌曲集3つの『美しき水車小屋の娘』『冬の旅』『白鳥の歌』を作成するが30代前半で早世、死後は「歌曲の王」として位置付けられ、後述するシューマン、メンデルスゾーンらにより他曲も広められた。

パガニーニ

 また、19世紀前半にはイタリアのヴァイオリン奏者のニコロ・パガニーニがヨーロッパ中で名声を得ており、独奏曲『24の奇想曲』などを作曲している。

ベルリオーズ

 19世紀中頃、フランスでロマン派を代表する作曲家の一人エクトル・ベルリオーズが活躍、交響曲では初期ロマン派の代表作『幻想交響曲』や『イタリアのハロルド』、オペラや劇では『トロイアの人々』『ファウストの劫罰』などを作曲、評論なども多く書き、楽器の大幅拡張や管弦楽法でその後に大きな影響を与えたが、1960~70年代まで大巨匠とはされることはなかった。

メンデルスゾーン
ファニー

 同時期にはドイツでロマン派を代表する作曲家の一人であるフェリックス・メンデルスゾーンもドイツとイギリスで活躍、ベートーヴェンやモーツァルト、そして当時は忘れ去られていたバッハの影響を受けた作風で交響曲で『スコットランド』『イタリア』『讃歌』、管弦楽で『ヴァイオリン協奏曲(メンコン)』『フィンガルの洞窟』『結婚行進曲』、オラトリオで『エリヤ』、ピアノ独奏曲集『無言歌集』などを作曲、忘れられていたバロック音楽を復興し大学も設立したが30代で死去、ユダヤ系の出自から貶められ暫く二流のレッテルを貼られることとなっており、また、彼の姉のファニーも600以上の楽曲を残している。

1825年ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道
チェルニー

 また、当時はピアノのコンサート、リサイタルが人気であり、当初はベートーヴェンやモーツァルトなどのピアノ曲が演奏されており、19世紀中頃に鉄道や蒸気船の移動が普及するとこれから述べるリストやショパンなどの音楽家がヨーロッパ中で活動し始め、国際的な人気を得ており、チェコ出身のカール・チェルニーは1000以上の曲を作曲してショパンやリストを評価して編曲などのサポートを行い、実用的な練習曲を作成した。

ショパン

 ポーランド出身のフレデリック・ショパンは世界史でもトップの知名度を持つ作曲家で、少年時代からポーランドを支配していたロシア皇帝家に招かれるほどで、初期にはピアノ協奏曲1・2番などを制作、パリへ向かう中で革命失敗を知り『スケルツォ第1番 』や『革命のエチュード』を作曲、パリでは曲集『練習曲』を完成、『子犬のワルツ』『前奏曲』『葬送行進曲』『英雄ポロネーズ』『チェロソナタ』『マズルカ』など主にピアノ独創曲を多数作り様々な形式や半音階的な和声でピアノ音楽の表現を広げたとされ、30代で没した。

リスト

 現在のハンガリー出身でロマン派を代表する作曲家の一人であるフランツ・リストがヨーロッパ全土で活躍し、ピアノで自由な形式の「交響詩」を作り『レ・プレリュード』『マゼッパ』『フン族の戦い』『ハムレット』などを作曲、その他にも著名なパガニーニの作品を元にした『ラ・カンパネラ』、その他『メフィスト・ワルツ』『ピアノ協奏曲第1番』『死の舞踏』『マゼッパ』『キリスト』、曲集『巡礼の年』『ハンガリー狂詩曲』などを作曲した。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?