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エピソード③『応援することは私を表現するもの』
こちらの記事にあるように、「応援すること」「応援されること」について現役の時から考えを巡らせてきました。
元々自身の研究のために収録しており、公表する予定ではないデータでしたが、その人たちなりの素晴らしい物語です。
第3回目になりますが、「色々な人」の「色々な背景」を感じながら、「応援すること」に対しての私自身のサポーターの方へのインタビュー内容を楽しんでいただけたらと思います。
はや:自分が
エピソード②『応援することは試合の雰囲気づくり』
【ステータス】
ホームゲーム観戦:基本的に全部。昨年は全て観戦。
ゴール裏→バックスタンド→ゴール裏→旗振り
アウェイ観戦:一昨年、昨年はコロナで0、今年は3分の2くらい。他DAZN
練習場見学:コロナ前は週に1、2回
スポーツ歴:サッカー(小学校)・卓球部(中学校)サッカー部がなく仕方なく・草サッカー(高校〜社会人)高校、大学と強豪校だったため部活でサッカーすることは諦める・フットサル、テニス、
エピソード①『応援することは自分自身』
はや)最初にチームの存在を知るきっかけとかってありますか?
はじめは、メディア(TV)でプロサッカーチームを地元北海道に誘致していることを知って、あ、プロスポーツできるんだと認識しましたね。
はや)そこから応援することになったきっかけはなんですかね?
元々北海道にプロサッカーチームが無いということに不満じゃ無いですけど、観てみたいなというのはすごいあって。地元にサッカーチームがなかったので、J
【自伝記事まとめ】
1年の最後に、今年書き始めた自伝の記事をまとめてみました。
書きながら思考が整理されていきましたし、自分が何を大切に生きてきたかを再確認できました。
是非、年末年始で忙しい合間をぬって読んでみて下さい。笑
【元サッカー選手 早坂良太の自伝:最終章】
【人生】引退を決断し、社長やGMに伝えた際に、チームにはシーズン終了後に伝えたいということを相談しました。
自身の決断でチームに少なからず影響が出るのが嫌だったのと、最後まで純粋に実力で試合に出たい、という思いがありました。
ただ、GMから「終わりが分かって過ごしている時間は、仲間や応援してくれている人たちにとっては貴重だよ」というお話をしていただき、シーズン終了前にリリースを出す決断をしまし
【元サッカー選手 早坂良太の自伝:北海道コンサドーレ札幌〜引退】
【プロ】私は常に自分なりにプロでありたいと思っていました。
プロの定義も人それぞれだと思いますが、自分なりの考えを書きたいと思います。
プロのサッカー選手の優先順位の最上位は、所属しているチームの勝利です。
ただ、勝利以外のもっと高い視座で考える必要があり、ファンの満足度の向上、チームを支えてくださってる方々の価値向上などを高める必要があります。
選手はいずれ引退が訪れますが、チームには引
【元サッカー選手 早坂良太の自伝:北海道コンサドーレ札幌】
【目標修正】プロになる際に立てた30歳までの目標ですが、J1での戦いの充実度が高く、〔昇格2年後に海外移籍する〕という目標は修正していました。
しかし、前回述べたように、現状に違和感を感じ出してる自分がいたので、30歳を過ぎて、やはり新たな挑戦をしてみたい、という気持ちが徐々に復活してきました。
代理人にお願いをし、海外移籍を模索しだします。
しかし、上手く話がまとまらず海外移籍は実現しませ
【元サッカー選手 早坂良太の自伝:サガン鳥栖②】
【昇格】苦しい練習に耐え、みんな一丸となり、念願のJ1に昇格することができました。
この年に自分に課していた個人的な目標はシーズン10点。
なんとか、シーズン最終節に達成することができました。
(佐賀新聞社提供 著作物利用許諾申請書https://www.saga-s.co.jp/list/company/copyright)
この昇格を決めた年は、通常のシーズンではありませんでした。シーズ
【元サッカー選手 早坂良太の自伝:サガン鳥栖①】
【プロ選手】念願のプロになることができました。
しかし、ここでまたもや新たな課題にぶち当たります。
それは、小学生の時から卒業文集で書いていた「夢」を達成してしまったということです。
夢=サッカー選手
達成してしまった自分は次に何を目指すべきなのかと。
新しい夢や目標が必要でした。
ここでの思考がコーチングをする時に最も重視している、目標設定に繋がっています。
私は自分はメンタルは強
【元サッカー選手 早坂良太の自伝:両親】
【親】両親には、サガン鳥栖への移籍が決まってから報告しました。
両親は昔から保守的だったので、安定している大企業を辞めて、不安定なプロに挑戦するということを伝えたら、あまり良い反応はされないと思っていました。
しかし、聖書の一節を例に、簡単な道よりも難しい道を選びなさいという説明をしてくれ、決断を尊重してくれたことにとても驚きました。
うちの両親は結構厳しく、幼少期から生活の中で色々な制約が
【元サッカー選手 早坂良太の自伝:Honda FC】
【Honda FC】本田技研工業に入社してからは、サッカーと社業の両立でした。
といっても、私の場合は全然両立できていませんでしたが、、
サッカー部のレベルは、感覚的には練習参加した、J2のチームよりも技術的には高かったです。
プロのチームと練習試合をしても勝つこともありましたし、入社する前の年に天皇杯でJリーグの強豪を破って、ベスト8まで行ったこともあるチームです。
プロでは無いですが、
【元サッカー選手 早坂良太の自伝:大学〜Honda FC】
【病気】大学2年次に、全日本大学選抜に入れたことで、プロの練習にも呼ばれるようになってきました。
しかし、プロという存在が身近に感じることは出来ましたが、自分がプロになれるということ、なれたとしても、プロで活躍することを信じきれない自分がいました。
なので当時は、就職活動、教員採用試験、を卒業後の選択肢として活動していました。
その中でサッカーをやりながら色々な経験をさせてもらい、充実した日
【元サッカー選手 早坂良太の自伝:大学生活】
【サッカー部】やると決めたからには、プロを目指す訳ではないですが、サッカーに取り組む時間を、もう一度真剣に取り、4年間で目に見える結果は欲しいと考えました。
受験勉強で得た成功体験を、ずっと取り組んできたサッカーで実感したいとも思いました。
なので、サッカー部での目標には、大学の全国大会であるインカレ出場を立てました。
チームは10年近くもの間、インカレには出場できていませんでした。
でも
【元サッカー選手 早坂良太の自伝:大学受験〜入学】
【部活引退】自分の人生の全てを捧げていたサッカーをやめて、何に次の情熱を向けるのか。
当時は大学に進学する、という選択肢しか無かったので、とりあえず大学に進学し、その4年間で自身が情熱を捧げれるものを探そうと思いました。
しかし、大学もたくさんあるので、何を選択の基準にするのか考えました。
そう考えると、やはり頭に浮かぶのはサッカーしかありません。
サッカーで結果は残せませんでしたが、サッ
【元サッカー選手 早坂良太の自伝:小学生〜高校生】
【はじまり】自伝的に自分のサッカー人生を振り返って、自分の思考の整理もしていきたいと思います。
サッカーと真摯に向き合った原点があるから、引退後の活動に色々繋がっているということを、感じてもらえたらと思います。
兄の影響でサッカーをはじめた小学生の頃から、卒業文集などに夢や目標を書く時は、必ず「サッカー選手」と書いてきました。
小学校の時にすでにサインも考えていました!
ただ、周りでプロに