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性功、信仰心と体験?と怪文書
気功仙道(この括り自体も物凄く面倒くさい分岐を孕むが、基本そういう所は無視していく)だと、命功と性功と修行を大雑把に分けており命功は通常の気功で体を鍛える事、こればっかりやっていると屍守鬼という体だけは仙人なのに心の無い肉体を保ち続けるバケモノになるから気を付けろという忠告が昔から言われています、がそんな屍守鬼すら見たことも会った事も無いし諸星大二郎の漫画くらいでしか存在しないんですが、それはと
もっとみる魔境とか、審神?と言い出す辺り
魔境、いわゆるオカルトで避けるべき扱いになっている物ですが、そもそも魔境って言葉と概念が何処から来たのか疑う回になっています。
大本として、禅では全ての座禅中に浮かんでくるイメージが良くない物であり「鬼に逢うては鬼を斬る、仏に逢えば仏を斬る」という合言葉に沿って全てを無視するそうな・・この合言葉だけが一人歩きしているならば、朝晩師匠の坊主に逢っているのだろうからその師匠を斬らない理由はナニカ
発勁って何?という雑議論
勁を発すると書いて発勁、よくある中国拳法もので出てくる謎の概念ですが漫画の理解を大雑把にまとめると「気の力で相手を吹き飛ばしたりするらしい」「敵の外側、筋骨ではなく内部を破壊したりしなかったりするらしい」「なので、筋トレとは違うひたすら立ち続ける立禅や站椿功(たんとうこう)で基礎力を付けるのだ」というものになっているようです、漫画の事を例に挙げておいて言うのもアレですがオカルト臭さ強いっすね。
収功・シャバアーサナの意味合いと肉体1
ヨガでも気功でも、どっちでも良いんですが(厳密には良くない)基本的な練功をした後に収功と言って自分の体を元に戻す工程は必須とされており、これを欠かす事はタブーになっています、そりゃ訳のわからん事ばかり体験させたがるような所では意図的に省略しているかもしれませんが・・
やりかたとしては収功の一例として、突っ立って力を抜きつつ北斗神拳の前フリみたいに両手を頭の上に挙げていわゆる丹田までゆっくりと
ソーマ・ヨーガって何?
ダンテス・ダイジの文献にもチラっとその名前が出てくる「ソーマ・ヨーガ」、いや別にダンデスがどうとかでなくとも「スプリガン」にもソーマは神酒という名前で出てくるんですが、二重三重の謎に包まれた存在だと思っています。
恐らくは強めの薬物だと思うんですが、じゃ薬物で一定以上ブッ飛んだ経験があるなら悟達者扱いしていいのかという問題を筆頭として薬物なので、あのアレイスター・クロウリーすら中毒になるとい
W・E・バトラーという西洋魔術の無視されやすい怪物というかほぼ根っこの2
よく、正気に綱を張りながら狂気に飛んでのみ良い作品は書かれるとか言ったり
過去正気だった時代に小林よしのりもそういう事を描いていたりしますが、自称実践オカルトの世界でそれは特に顕著な物になると思っています。
だってそういう幻視とか、そういう精神状態になるという前提を欠いた洋の東西を問わない魔術って成り立つんでしょうか?まず東洋魔術では成り立たないかあるいは禅みたいなピンでポンでドカーンみた
W・E・バトラーという西洋魔術の無視されやすい怪物というかほぼ根っこの1
W・E・バトラー(以下バトラーで統一)という人がいます、この人あまり注目されていないというか、ほぼ無視されがちですが西洋魔術を実践する上でこの人を無視するのと、しないのとでは物凄い差が出てくるのではないだろうかという話を延々と、あちこちに飛びながらしていきたいと思います。
まず、この人何をした人かと言うとよくある「修行中に幾つかの体系を混ぜてはいけない、それは修行者に混乱をもたらす」というフ