性功、信仰心と体験?と怪文書

 気功仙道(この括り自体も物凄く面倒くさい分岐を孕むが、基本そういう所は無視していく)だと、命功と性功と修行を大雑把に分けており命功は通常の気功で体を鍛える事、こればっかりやっていると屍守鬼という体だけは仙人なのに心の無い肉体を保ち続けるバケモノになるから気を付けろという忠告が昔から言われています、がそんな屍守鬼すら見たことも会った事も無いし諸星大二郎の漫画くらいでしか存在しないんですが、それはともかくとして

 次に性功、これどれだけ調べてもはっきりした意味が掴めない用語で「心を奇麗にするのだ」という大雑把な表現から始まりネット上の仙道辞典によると

https://seesaawiki.jp/tsendou/d/%C0%E7%C6%BB%BB%F6%C5%B5#sa

>>老荘思想などを学んだり、思索を深めたり、打坐や観想をするなどの、意識面の修行(秘法!超能力仙道入門)。性(こころ)を修め、神(意識)を煉(きた)える。修性(しゅうせい)ともいう。

 いやそうではなく出神段階で、自分の分身として作った存在が勝手に暴れ出したりしない為の物なのだという人が居たりで(そんな段階の人間がそもそも居るとは思えないが)更には心が奇麗=性功の達人でなければ大周天は不可能だ、いや可能だが修行を安全に進めるには性功だ等なんというか纏まりもなく、ひたすら掴みどころが無い説明になっています。

 掲示板で性功を重視する(自称)人たち、何がどう重要なのかを問われてもまともに答えるどころか自分の都合良い切り貼りばかりを行うので、その性根を突かれて罵り合いになったりとそれの何処が性功で心を清くしているのかと言いたくなるような展開は何時もの事、たまにやってくる何か偉そうな宗教団体タイプには「そんなに拝んだりお経挙げたりで性功ばかりしているのなら、お前んとこはさぞかし大周天達成者がゴロッゴロしているんだろうね?」と(オ〇ムならそうだと胸を張って答えそうだが)突っ込む前にスレが崩壊したりしていました。

 ただ、覚醒とかそういう事を言い出すようになった人が変な詩を書き出したりする例はあのダンテスダイジも含めて

 何人か居るので、何かを体験した人間の内部から湧き上がってくる「信仰」「道徳」「人格者」とはまた別の物があるんじゃないかとは思っています、まんま「道徳」って文字入ってますが老子道徳経こそこの手の怪文書のご先祖様なおかつお経上げるように日々唱えてても大周転に行ける訳ではない系文書のご先祖様だった・・?

 なお、クンダリーニで詩の才能が開花するみたいな話はまずありえずダンテスダイジの詩もへんちくりんな怪文書、他の何人かも変な詩を残した程度の扱いで終わっているのでそういう都合の良い事はないっすね・・

(l ω l〃)今回も酷くグズグズだなお前

(=゚ω゚)ごめん

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