何かを現場仕事ではなく、想念上で作り出す、ということ

残念ながら、正気に足を付けて語れる範囲の事はもう語りつくした感があるので今回はキチゲェ度30%程度でお送りします、これ以降怪文書を書くたびにこの文言は出現しヤバさを表現しますが、変な文章を書く時のどうしょうもない制約として見て下さい。
 今回の作るという行為、畑で作物を作る農業や指定された図面の通り、あるいは図面に書かれていないけれどその次の工程から察するにこれ必要だろうと思われるアレコレを勝手に忖度して作るような現場仕事とは意味合いが違い、漫画家や小説家(音楽や映像作家さんもそうなのかも知れないけれど、僕は正直詳しくないのでこの二つに限定しました)さんが「ナントカ神をネタに物語作ると祟られるらしいので、事前にお参りして来ました」とか、「ナントカを書くこと自体がお化けを呼び寄せるから気を付けろ」みたいな発言への考えや気持ちをまとめました。

 まずこれ、薪を木から作るようには行かず「自分の想像した物は発生して影響を及ぼすしそれは良い物を描けば良くなるような気楽な性質の物ではない」という前提があり、塚のお方やお稲荷様に無礼を働けば良くないという有名な話もあり、あるいはまんが道の自分で生み出した梟に取りつかれたまがみちおの話もありますが、そういう物を頭の中で発生させた時点でその影響からはどうやっても逃げられない説を推します、この点どう考えても飛躍なのですが「脳内で何かを生み出すという想像・創造自体が霊的な行為であり産まれた物は独自の人格を持って動き出す」という面はあると思っています。
 例えば「人を呪えば穴二つ」という有名な格言がありますが、あれは人を呪うと穴が二つ出来て自分と敵が格納される、という意味ではなく
 人を呪うという事自体は可能、想念で作った不幸に相手を叩き込む事自体は可能だけれども、自分で作り出した不幸が都合よく相手だけにぶつかって終わりという都合の良い話は無く自分で生み出した悪い物が作り主にも向かう事は止められないし「作り主に向かわない、敵にだけ向かって敵の懐で効果を発揮しその場で自滅するサイバーパンクのウィルスみたいな都合の良い想念」は実際には作れず、そういう想念を作った以上はどうあがいても自分に作り出した物が向かってくるので結果として墓穴を呪われた側と呪った側の二つ分掘らないといけない、という解釈をしています。
 なので、部分的には「悪い事を考えてはいけない、人に過去どういう事をされたとしても恨めば恨むほど不幸になる」という考え方は自分から発生させた怨念に捕らわれる事になるので、それをやらない方がマシという点で正しく忘れて過ごせという話になりますな・・それで良いのだろうか?
(l ω l〃)<今回、内功で自分の内側を弄れるようになった人間じゃないと単なる怪文章でしか無くない?伝わらないでしょ

(;゜ω゚)<そうなんだよねぇ・・

(l ω l〃)<ン年前から整体の看板掲げてどれだけ儲かってたかはわからんけど続いていた店が、いきなり「霊的うんたらかんたら」みたいな看板に変えて三か月持たないで閉店するみたいな感じ?

(=゚ω゚)<実際に見てきたような正確さじゃねーか!!

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