善の想念があれば、感謝感謝ならなんでも上手く行くのだろうか?特に整体師やその親戚

 前回の、「悪い想念を他人にぶつける事は可能だが、その存在は都合よく敵に当たって消滅する物ではなく産まれた以上は自分にも向かってくる、最初から産み出さない以外に対処法は存在しない」という意図の文章を読んでいないと(というか読んでいても、ですが)何言ってるかひたすらわかりにくいと思います、キチゲェ度は大体40度くらいかな?

 前回の話を読んだ人は、ならば「感謝感謝の想念で全てを満たしつつ人を癒せば悪い想念の影響を受けずお互いにハッピーハッピーじゃないか?」とか思うかもしれません、ただそういった明るくて善な想念さえあればいい、という発想自体がよくあるスピ系の発想であり、そういうルートを辿った諸々の人間がどうなっていったか、これを読んでいる人でオカルティストを名乗れる方の貴方は「行者の末路」を幾らでも知っているのではないでしょうか?「行者の末路は哀れ」って良く言いますよね?本当は行者ですらない人間だったとしてもロクな死に方をしないのは故人の言う通りで、僕はそういうのを必死に回避しようとしています・・なら酒を断てよ。

 それはともかくとして、前回で「悪想念」の悪影響が酷いというならば善想念が何で良くないか、善なら善を引き寄せるんだろ!?という突っ込みがきそうですがこれ、善は単なる「自分を善だと思っている人の想念」なので特に神がかり的力や謎の霊能力を発揮するような漫画チック展開なんかありはしないです、幾らでもそういう実例を貴方は知っていますよね?

 ただ、想念は想念として体から出てきて悪想念と似たように動こうとするので、例えで言えば治療家の類が「コイツに全力で善の治療力を投射・・ハアーッ!!!!」とやれば一応治療の力は出ない事も無いです、但しそれは「自分を善人だと思っている治療家が、善の気分をたっぷり含めた上で何処からか引っ張ってきたエネルギーで弱っている人を治す」という、誰がどう見ても突っ込みどころ満載というか、+-の収支が合っていない奇怪な数式なんですよね

 なので、その場合本当に治療効果があったとしたならば妄想や想念の類で方向付けられるようなパワーではなく、己の日常的な元気かそうでなければあと数十年のんびりと生きられる筈の時間を作る、根源的な物あるいは「先天の気」、先天的な物を意識の力で弱った患者にどばどばと浴びせているので患者は一時的に良くなるのではないか?という所が真相だと思っています

 お前見てきたような事を言うな?という突っ込みは当然ですが、その手の「良い想念や真・善・美のような想像は良い結果を生み当然治療するにしてもいいことだらけ、治療家は長寿ばかり」のようになる筈のクソの煮凝・・いやともかくその手の業界がロクな事になっていないのは、想念さえあれば良いという考え方自体が問題で根本的な解決の手段なんかは存在しなく、ひたすら離れて筋トレ・・少しくらいはストレッチや呼吸法も、筋トレにかける時間の数十分の一くらいならいいんじゃないかな?という結論に繋がっていくと思います・・違うっていうならオカスピ業界の「善人」がロクな死に方もしていないし治療結果も出せない事の他の回答を出せよ。

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