(連載107)まさか自分が映画に?:ロサンゼルス在住アーティストの回顧録:2019-2020年
さて、さて、この回顧録も1980年代から始まって、107回目。
現在に近くなってまいりました。
今回のことは自分のプロフィールにも書いたのですが、自分の映画の話であります。
映画に出演!といっても、エキストラとかチョイ役(死語?)ではないですよ。
友情出演とかでもなく、サイドキャラでもないです。
正真正銘の主役!!!
はぁ〜??
ですと????
今まで、この回顧録の読んでくださった皆様?!
特に、初回から、1回からこの107回まで、全部読んでくださった皆様は。(もし、いらっしゃればの話ですが)
私が、自分からそう言ってるだけだと思うでしょ?
ナルシストではないが、誰よりも自分に優しいルンちゃん!
なんでも自分の都合のいいようにしか、腑におとさないルンちゃん!!
だから、そう思ってるだけなのでは???
チッ!チッ!チッ!
ブブ〜〜〜!!!!
大間違い!!!
ここに証拠があります。
だって、タイトルからして。。。。
フー who
イズ is
ルンナ Lun*na
メノー Menoh
じゃじゃ〜〜〜ん!!
タイトルにまで、私の名前がついてますよ!!!
まだ、疑うかい?
これ、って、どーせ、自分でつけたと思うでしょ? 爆笑
違います!!
といいますか、タイトル候補の時に、他にもたくさんあった、のだが、これに一票いれたのは、事実、、、
(ほーらね?笑)
まさかのまさか。
自分がドキュメンタリー映画の題材になった、、、、というわけなんです。す。
以前ここにも少し書いたので、もしかしたら、覚えてらっしゃる方もいるかもしれませんが。
もうこの頃から、10年以上も経っていて。。。。
このプロジェクトは、もう消えてしまたのであろうと思っていましたが、ここに来て、ディレクターがなぜか、本気を出して、完成させたというわけです。
まあ、12年間、うよ曲折ありましたが、これも、ひとえに、プロデューサー(おそらく本人は名前を出したくないと思うので、伏せます。苦笑)の、おかげです。
彼女が、ともかく忍耐強く、監督のジェフにしつこくせまった結果、なんとか完成とあいなりました。(リスペクトと感謝!)
昔、昔、、、、、2000年代の中頃ですが、
バンドのドキュメンタリーというが注目された時期が、ありました。
メタリカのドキュメンタリー映画「真実の瞬間」や、カルト的人気のブライアン・ジョーンズタウン・マサカーの「Dig!」など、インディなバンドでさえも、秀逸なドキュメンタリーが出てきて、それまで、音楽のバンドにとって映像ミディアと言えば、PVだけであったのが、「ドキュメンタリー映画」という新しい分野にまで可能性が広がり、音楽関係の人たちは、この新しいつながりを模索しはじめた時期でもあったんです。
それで、もともと私を応援してくれてるこのプロデューサーは、、当時、「ルンナのバンドのドキュメンタリーでも作ってみるか?」と、、、、、
はっきり私に公言したわけでは、ありませんが、私が勝手に想像するに、そう思ったんだと思います。
それで、この頃、私がやってたこの頃のバンドは、
ジャンポール・ヤマモトというバンドです。
バンドといえば、楽曲を作って、ライブ。。。。当たり前ですが。
どちらかというとこの頃の私は
楽曲はテキトーに作って、ライブに命を賭ける!という
今から考えたら、謎のバイアスがかかっており、
バンドのライブでは、楽曲を演奏するというだけでなく、当時の古着のリメイクの仕事と、このバンドのライブを合体させて、
縫製パフォーマンスと称しては、店のウィンドウで、縫い物しながら、ラジオ体操のライブをやったりとか。。。。
また、もともと、作品を作ってそれを発表する時に、ランウェイ形式で、「デ・ファッションショー」などと名付けて、お客様を集めていたので、
こんな、ヘッドドレスのランウェイ・ショーをやったり、、、
これが、また、調子に乗って、どんどん、エスカレート!
上の、ヘッドドレスのショーですら、物足りなく感じるコレ、、、
廃品の大型ゴミを服にしてみた、究極のリサイクル!!
このソファを服にしたらどうなるか??
そして、こういうイベント以外にも。この頃は、絵も描いてたので、絵画の展覧会もやったし。。。。
ともかく、このように、なりふり構わず、いろいろな事をやっておったわけです。
なので、ドキュメンタリーを始めてしまったジェフは、かわいそうに、
それまでは、ふつーの人だったジェフとしては、
「これって、いったい???」の連続だったみたいで、、、。苦笑
しかも、、、、、ですよ。
こういう毎回違う種類のイベントを撮影にきたジェフに、
私が「こう撮影したら?」といちいち、細かく指示出ししてたのです。
「このタイミングでブレークするから、そしたら、ダンサー全員を撮ってね」とか、「ここで、私が振り向くから、そこはクローズアップね。」などなど。。。。。
これには、かなりムカついていたでしょうね。
その上に、私はそういうカジュアルに、ダラダラ〜と撮られるような事に慣れてないので、ジェフが来るたびにマイクを衣装の見えない部分に取り付けないといけなくて、
これが、ウザい事、この上ないわけです。ライブ前のクソ忙しい時に!!
それに、ジェフはトイレに行く時は、「マイク外せ。。。」って。
別にいいじゃん、音だけだし。。。。と、思うんですが
ジェフは以外と紳士的なところがあって。。。。苦笑
ずっと後になってわかったのですが、この、毎回イベント内容が変わるための彼が用意した撮影機材のリストは半端なかったです、、、。
つまりバンドのライブの撮影と展覧会の撮影はカメラというのは、違う。
照明も変わる=機材がかわる。もちろん撮影の仕方も違う。
その上、私の突拍子もない演出の数々。。。。
しかも、それが、またその場、その場の私の思いつきだったりする。。。。
さそがし、大変だったでありましょうねー。涙
ジェフ!!!! ごめん!!
いやー、あの頃は、自分も若かったんですよ。
(すでにアラ50だったのは〜?苦笑)
しかし当時は。。。。このジェフのまったく進まないプロジェクトのノロノロ具合いに、私はイライラしてました。
まだ、ドキュメンタリー、できてないのぉ〜??
いったい、いつになったら終わるの? ね〜??
あんた、自分は、スタンリー・キューブリックだと思ってんの?
こんなに時間かかってるだったら、よっぽど、凄いドキュメタリーなんだろうね〜〜??
と、間接的に(いや、むっちゃ、直接的に)プレッシャーをかけ続けていたのでした。
実は、彼が、こんなに遅れたのは、ジェフのプライベートな事情もあったのです。
母親が病気で亡くなり、彼が祖母の介護を自分の家でやることになり、しばらくしたら、今度は、そのおばあちゃんも亡くなり。。。。、涙
またドキュメンタリーの撮影中は生活のために、お金になる仕事をしないといけないですから、大手のピラーティス(ヨガのエクササイズ版みたいなやつです)をやってる会社の撮影部に就職。そちらの方もだんだん忙しくなってきて、、、
そしたら、どんどん、彼は出世していって、最終的にはカメラマンというよりも、現場監督者のような立場にまで、上り詰めた、、、。
この彼の出世のカーブに反比例して、この私のドキュメンタリーの方は、影が薄くなってしまい、風前のともしび状態。。。。。涙
まあ、私だって、ジェフのこの気持ち、理解できましたよ。
レオタード姿で非日常的なポーズをとる白人女性を撮影する方が、
アジア人の私が、偽の陰毛をつけて、オノヨーコを歌っているのを撮影するより、そりゃ、楽しいだろう、と、容易に想像できますし。。。。(自虐差別してます。汗)
あ、コレ、ですよ。読んでない方のために。(18歳以上限定で)
そんな、こんなで、10年以上経過して、プロデューサーも、いい加減、この終わらない原因をジェフに問いただしたところ、
私がいろいろやるので、それに追いつけない!というのです。
私は、
はぁ〜〜〜???
私のせいかよ〜???
半分、キレそうになりましたが、
「だったら、もうこのついでに(この当時、もう始めていた)シスターズのクローゼットでやってるライブも撮影してよ。」と言ったら
それは、流石にふたりとも、
もうこれ以上の撮影はできない!!!キッパリ!!
と。珍しく、二人の意見ばピッタリと一致して、
それで、ジェフはともかく完成させねば!と思ったのでありましょう。(推測ですが)
それから、まもなく、生まれ変わったかのように、勢いづいて、脚本を一部書き換えたり、追加の撮影をどんどんこなしてゆき、ポストプロダクションもあっという間に済ませて、
ついに、奇跡的に完成したのであります!!
まだコロナ騒動が始まるギリギリ直前でした、、、、。
長くなりそうなので、次回に致します!
L*
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