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効率化を効率化する方法がない

なんだか知らないけどずっっっっっっと効率化をもたらすための下準備といいますか下作業をしていた体験を思い出したので書きます。ヘッダ画像をお借りしています。

だから正確には効率化(のための作業)を効率化させる方法が(わから)ない、というものになるでしょうか。

効率という単語めっっっっっっちゃ嫌ですよね。特にゲームで聞くとうんざりする。そういう効率とかを考えないための娯楽がゲームちゃうんか?と。

なのにゲームを横並びでよーいどんと始めさせてしまうと、哀れなことに知的生命体とはその我(が)を剥き出しにし、「俺が一番セクシー」だとでも言い始めてしまうのだ。正確には言い始めたくなってしまうがために、娯楽でありストレス発散のためのゲームにおいてですら最高成長率だの完璧主義を追いかけ始めてしまうのだ。

それについてはこういうとこに書いたので興味がなければ読む必要もない。

端的にいいますと、娯楽で息抜きであるはずのゲーム市場にだってエンドユーザがそんな欲まみれになってしまい……といいますか、欲まみれになるようにコントロールされてしまっているという下地がまずある。

ゲーム資本側がUGCを発生させたい。つまりWeb広告費の徹底削減を目論だ結果、エンドユーザつまり金をもたらす養分たち(これも嫌いな単語だ)のゲームに対するエンゲージメントを承認欲求としてはき出させるように仕向けた結果、「他人のゲームの進行度合い」が可視化されてしまって他者に負けたくないという競争心、闘争本能?(あまりにもくだらない)が刺激……されるんスかね。ぼくはゲームで遊んでてそのようなことを思うならゲームから離れることを選ぶので著しく不明だ。

で、遊びのゲームがそんななんだから遊びじゃない業界つまり金稼ぎの世界ならどいつもこいつもが必死になって効率を求めるようになる。

効率が上がれば自分の手間が少なくなる。工数が減るというやつですね。工数ってことばも気持ち悪い。人の手でやるのに工だってよ。大工に謝れ?ごもっともで……

手間が減れば自分がもっといろんなことに手を出せるようになります。そして上司の査定に好感をもたらし、自分の価値があがる。この時点で自分が人的資本あつかいしかされてないことに疑問を持つべきなのだが、メンバーシップ型囲い込み社会が形成されている企業という組織単位の中で飼いならされたらそんなことに気づいている自分を押し殺して目の前の金にアヘ顔服従するのが当たり前になる。

アヘ顔されている側、つまりこちらも上司はじめとした(そりゃもちろん上司側だって飼いならされてるわけですよ。便宜上そうじゃないとしている)資本側が人材を減らしたいから効率を人材自身に改善させるわけです。てめえのような下っ端をこちとら何人も雇いたくねえんだよ、てめえの価値をてめえであげられないならてめえで何人分もできるように舞台を作れ、と。

人材。人は材木とかではないわけです。人的資本。人質かなんかかよ?

でぼくも結局資本に屈指、そのような効率を改善する生き方を強いられるわけです。

でもその中身を言ってしまうとぼくは国家総動員法によりぶっ殺されてしまうため言えないんですが、前置きが鬼長くなったけどようやく本題ですね。自分が楽するための効率改善作業を連日連週連年つづけた結果、効率改善作業自体を効率化できねえのかよと思い至る。

でもそんなものないんですね。この地道な作業の先に効率化という楽園が待っていることを信じ、自分で自分の鼻先に犬の餌をぶら下げてはっはっはっはっはっはと鼻息を荒げながら目の前の作業を楽しむしかない。

その先にある「効率を得られる保証」が見えるから、俺を突き動かすのだと自発的にそれはもう自然に、チクセントミハイの言うフロー状態が常にゾーンを造るぐらいの勢いで進むしかないわけです。

でもやっぱり効率って言葉が大嫌いだ。いま言ったように人という心を持った生命体が人的資本とか人材とか、道具扱いされて当たり前だから効率という概念がある。効率の先に人減らし、口減らしがある。「雇わなくていい数」が決まる。「その組織に入れるべき人数の上限」が決定できる。効率のおかげでだ。

つまり効率とは、あなたが今やっている効率を求めるための作業とは将来あなたのそばに来るかもしれないどんな優しく素晴らしい人なのかもわからない誰かを地平の彼方へ遠ざけるためにあるのです。

効率化社会ってなんて悲しむべき存在なのでしょうか。こんな世界にはいられないからぼくは効率化作業に戻る。



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