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2018年3月の記事一覧
評価経済社会について考える
1 評価経済は一長一短ではない
2 貨幣経済と評価経済を並べてこんな図を作ってみた
3 能力が開花されていない貧困層を考えてみる
4 マネタイズを求めないセーフティネット
1.評価経済は一長一短ではない評価経済とは。
「評価」を仲介として、モノ、サービス、お金、が交換される社会。相互レビュー社会。
既存の貨幣経済社会では「貨幣」を仲介にして「モノ」「サービス」が交換される社会だった。お金が不
サッカーにおける日本独自の芸術性 Prologue.6
ここまで読んでいただいた方にはわかっていただけるかと思いますが、これからの日本サッカーに必要なのは、まず「芸術としてのサッカー」を血肉として理解することであり、その先に「サッカーにおける日本独自の芸術性」を見出し、そこから「補足するサイエンスを研究する」必要があります。日本人の芸術性というものは、本来世界に誇れるものです。これまでの歴史の中では、日本独自の感性は海外の人々を魅了し賞賛を得てきました
もっとみるなぜサッカーにおいて「科学(サイエンス)」が正義になるのか Prologue.5
では、なぜこんなにもサッカーを「サイエンス」で語ることが正義とされてきているのでしょうか?その答えは一つです。
例えば監督が何かを決断するとします。その時のアートと、サイエンスはこうなります。
アート:「直感的にそう感じたから。なんとなく、あの選手を出せば間違いないと思った」
サイエンス:「過去のデータに基づくと、この選手は後半80分から出場させた時がもっとも得点につながるプレー(その定義は
サイエンスで勝とうとすればサイエンスだけで敗れる Prologue.4
サッカーというスポーツは、そもそも全てを「サイエンス」で説明できるのでしょうか?この『芸術としてのサッカー論』ではそこを追求していきます。
私はこのままだと、日本がサッカーをますます「陳腐なもの」にしてしまい兼ねないと危機感を持っています。それを防ぐには、2つのことを理解する必要があります。
1.サッカーとは「芸術(アート)」である
2.「科学(サイエンス)」はそれを補足するものである
ア
"WEB先行型"日本サッカー Prologue.3
■日本サッカーが踏んでいく段階さて、ここからは今日本サッカーがどのようなフェーズに入っているのか、そしてまたここからどのような段階を踏んでいくのかを書いていきたいと思います。
現状の日本サッカーの一言で表すと「WEB先行型サッカー」、そしてまた「WEB完結型サッカー」と言えます。
つまり、サッカーのサイエンスを語るのは、現場ではなく欧米の情報に敏感な「WEB上の人間」が先であり(WEB先行型サ
ボールを使うことに固執するチームが結果を出せなくなる理由 Prologue.2
■欧米サッカーが踏んでいく段階これまでのサッカー界の流れをみると、日本人は欧米の表面上をコピーし続けることが予想されます。ということは、理論上これからの欧米サッカーの流れが予想できれば、日本サッカーの流れも予想が出来るということです。
世界のサッカーは前述したように、これからより深くサイエンス化が進んでいきます。そうなると、(サイエンス化という観点から見た場合)サッカーはどうなってしまうのでしょ
「サイエンス化」とは全ての国が同じ到達点に向かっている状態を指す Prologue.1
「サッカーを言語化する」
現在日本サッカー界で、頻繁に聞かれるようになったフレーズです。欧米諸国における現代サッカーでは、各国それぞれの方法論で、サッカーにおけるあらゆるプレーが「言語化」されており、これはスペインやオランダを中心に「常識」と捉えられている印象を受けます。
極端にいえば「360度何をしても良い」という極めて自由度の高い中で"共同作業"をするサッカーというスポーツにおいて、一つ一
0.1秒の世界がココにもあった。
私は脚本を書く人間である。そして演じる人間でもある。
某シナリオコンクールで優秀賞(大賞の次)を頂き、そこから少しだけ、人生が変わったような気がする。
正直に言うと、変わったのは、私自身の気の持ちようだ。一つの賞を取ったとて、人生が激変するわけではない。しかも私は2位なのだ。平昌オリンピックなら、宇野昌磨選手であり、平野歩夢選手である。いや、彼らの足元にも及ばない。名前を出して申し訳ないくら