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家族のエッセイ

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親のこと、子のこと、夫のこと、家族のあれこれ。
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願いごと、ひとつ

願いごと、ひとつ

6月のある日、5歳の息子をこども園に迎えに行ったときのことだ。
先生が長方形に切った色画用紙を手渡し、「七夕の短冊です。お願いごとを書いてきてください」と仰った。
私のお願いごとの裏面に息子がお願いごとを書くのだという。

「わかりました」と持って帰ってから思い出す。そういえば昨年の短冊は息子のお願いごとを私が書いて終わりだった。
今年はコロナのために七夕祭りが中止になってしまった。園内で短冊を笹

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ゆたかさの石

ゆたかさの石

42歳の春、いつもと同じ、なんてことない日だった。それなのに、突然「エンディングノートをつけよう」と思い立った。

5歳になる息子をこども園へ送っているときのことだ。ふと、「この景色は明日また見れる保証はない」と頭の中で声がしたからだ。

繋いだ息子の手は小さくて柔らかい。私だって子どもの頃はシワもアカギレもなかった。そして『成長』と『前進』しか見えていなかった。

人生を海へたどり着くまでの川の

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療育を受けたかったのは誰よりも私だった、という話

療育を受けたかったのは誰よりも私だった、という話

私の長男はいわゆる『育てにくい子』だった。多動傾向があり、突拍子もなく走り出したり目につくものを次々いじったり、じっとしていられない。足並み揃えてみんなと同じことをするのが苦手で、なにより言葉が遅かった。

現在4歳になる彼は療育センターで月に2回のリハビリを受けている。
知育玩具や運動を取り入れた遊びを通し、先生と40分ほど接する。
対人関係の意識の変化や表現の仕方の導き、そして彼がどんな特性が

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さよならアヒージョ

さよならアヒージョ

私は2度の結婚をしたが、最初の夫はバーテンダーだった。

とは言っても、バーテンダーになったのは同棲を始めてからだ。出会った頃はレゲエの似合いそうな雰囲気の狭苦しい飲み屋を経営していた。髭面にくたびれたTシャツと帽子、カクテルはおろかスピリッツの知識もろくにない、おつまみはいつ行ってもドライマンゴーしかない店を惰性で開くけだるい男だった。

しかし周囲の人々とのご縁もあり、いつしか彼は蝶ネクタイを

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ヒステリックに怒る妻が太陽を目指した話

ヒステリックに怒る妻が太陽を目指した話

昔、ある男がこう愚痴を漏らした。

「奥さんがさ、子どもたちにヒステリックに怒るんだよ。怒ると叱るは違うでしょ? 自分が辛いから怒ってるようで本当嫌だ。朝から菓子パンだけとか手抜きでさ。子どものご飯なのにさ」

私は「そうか。ずっと怒鳴られてたらそりゃ嫌だね」と返したと思う。

当時、私は最初の結婚をしていたが、子どもはいなかった。おまけに夫婦ともに朝食をとらない習慣だったので、他人事だったのだ。

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「もう無理」と「もういい」の間

「もう無理」と「もういい」の間

初めての出産は三十時間以上の長丁場だった。全身の毛穴が開きそうなほどの痛みが押し寄せ、悶え、しまいには叫んでいた。
体力も尽き、水を飲む気力もなかった。自分が汗だくだと気づいたとき、「いつの間に汗をかいたのだろう」と思うほど他のことには構っていられない。
陣痛促進剤を使うための同意書を分娩台の上で書き、なんとか産まれてきたのが長男だった。

そのあともう一人の男の子を出産したのだが、今度は四時間と

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何も言わない母

何も言わない母

バイオリンを習い続けて20年目のことだった。
実家で練習しているとすこぶる調子が良く、満足のいく演奏になった。早めに練習を切り上げ、浮かれながら楽器をしまう私に母がこう言ったのだ。

「へぇ、聞けるようになったね」つまり『いつのまにか、聞くに堪えない演奏ではなくなったね』と言ったのだ。
20年も弾いてきたというのに、母が私の演奏に何か言ってきたのはこれが初めてだった。
練習がうまくいって天狗になり

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