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何も言わない母

バイオリンを習い続けて20年目のことだった。
実家で練習しているとすこぶる調子が良く、満足のいく演奏になった。早めに練習を切り上げ、浮かれながら楽器をしまう私に母がこう言ったのだ。

「へぇ、聞けるようになったね」

つまり『いつのまにか、聞くに堪えない演奏ではなくなったね』と言ったのだ。
20年も弾いてきたというのに、母が私の演奏に何か言ってきたのはこれが初めてだった。
練習がうまくいって天狗になりかけた瞬間、鼻っ柱をへし折る母に、思わず「かなわない」と思ったものだ。

バイオリンを習い始めたのは高校一年のときだ。
もともとピアノをずっと弾いてきたが、私は弦楽器に憧れていた。今のようにインターネットも普及していなかったので、地元の楽器店に飛び込み「弦楽器を教えてくれる先生は近場にいないか」と問い合わせた。我ながらなんとも不躾なことをしたものだ。だが楽器店の店主は快くある人物を紹介してくれた。それが私の師匠である。楽器はバイトをして購入し、30分に1本しかないバスに乗って教室に通い始めた。

母にそれを話したとき、彼女は驚きはしたが止めはしなかった。その代わり賛成もしなかった。ただ「へぇ」と受け止めただけだ。
その日から20年。学校生活が多忙で休んだ時期もあったが、のらりくらりと弾き続けていた間、母は何も言わなかった。

「上手い」も「下手」も言わない。練習の様子を見に来ることもない。ずっと弾かなくても「練習しなさい」「弾かないの?」と言うこともなく、20年が過ぎた。
やっと声をかけてくれたと思ったら、聞いても苦にならないレベルになったのねとしみじみしているのだ。

このとき私が驚いたのは、よくこんな長い間、何も言わずに見守ってくれたものだということだった。

何も言わないというのは難しい。

私なんぞ、ピアノを弾く妹に、半音ズレるたび「今のところシャープ忘れたでしょ」などと口出ししてしまう。
もしギーギーと下手なバイオリンを何時間も弾かれたら「うるさい」だの「やめろ」だの言いかねない。
だが母は「あんたが好きで始めたことだから好きにしたらいい」と何も言わずにいてくれた。おかげで私はのびのび『好き』の先にあるものを吸収できたのである。

振り返れば、母は何も言わない。
一生に一度の恋に破れたときも、転職したときも、結婚したときも離婚したときも、一人暮らしを始めたり、実家に戻ってきたときも。ただ「へぇ」と言って受け止めてくれた。それがどんなに忍耐と信頼のいることか、自分も親になって初めて知った。そのことについて母に礼を言うと、彼女はこう言って笑った。

「心配していないふりも結構大変なのよ」

そんな母でもときには教訓を口にすることもある。

「歯を磨きなさい」と「金を貸したら捨てたと思え」「太陽となって家族を照らせ」そして「恋をしたら相手にあなたを大切にする熱量があるかを見極めなさい」である。

なるほど、つくづく母にはかなわないと思う。

#親子
#母
#エッセイ


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