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#スポーツがくれたもの
僕はスポーツが出来ない
9年前、36歳の時に書いた僕の子ども時代のエピソード。
そして、トレイルランニングに出会ったきっかけについて。
*2024/1/2加筆修正
僕はスポーツが出来ない
これは僕の学生時代の友人のよく知るところだ。
そもそもずっと生徒会で、文化祭や体育祭の実行委員そんなばかりやっていた。
劇の会やイベントでも照明をやったり、何かを「創る」事が好きなのは昔から
変わらずだけど。
「教員免許を持っていて
国際マウンテンランニング連盟への寄稿とSTORY6 日本語版
この機構も今回を入れてあと3回。残り1ヶ月と思うと寂しさが募ってきた。僕に書けるだろうか?と思いつつも翻訳を友人に助けれながら書いてきた。僕一人で話し得なかったのは間違いないが、とても良い景観になっているし、これからも「やりたい!」と思ったら手を挙げる大切さをしみじみと感じている。コロナ禍になって先が見えない日々が続く。日常はいつ日常でなくなるかなんてわからない。だから、飛び込むチャンスがあるなら
もっとみる国際マウンテンランニング連盟への寄稿とSTORY5 日本語版
国際連盟への機構も今回で5回目。後半戦に突入した。担当アスリートそれぞれにテーマをある程度割り振られて書いているが、こうして綴っていると、触れておきたいレースのことや旅の思い出などがどんどんと湧き上がる。
今回触れたのは「アジアから参戦する際の難しさと2019年にアルゼンチンで行われた世界選手権」について。過去記事と英文、そして最後に日本語原文を載せているので合わせて読んでください。
STOR
フランスでのワールドカップの話その2
2013年からシリーズ参戦しているマウンテンランニングワールドカップ。
2013年第1戦はフランスで行われその時の話を書いたのはこちら。
2014,16も参戦を計画したが、怪我で叶わず。このレースへの参加は2015年と2回であった。で、今回は2015の話。
と言っても、滞在先となるThannの街については触れたので、前回のnoteで触れられなかった部分について今回は触れる。
レースの話。レ
国際マウンテンランニング連盟への寄稿とSTORY3日本語版
5月から続けている寄稿も今回で3回目。
まだまだ英文にはなれないが心強い友人のおかげで日本語でも英文でも読み応えのあるものにあっている。前回までの振り返りと、日本語原文と合わせて掲載するので今回もぜひ僕のチャレンジの記録を楽しんでもらえたら嬉しい。
STORY1STORY2寄稿記事
日本語原文STORY3 「忘れられない年:2013年ワールドカップシリーズ」
2013年は僕にとって忘れ難い
国際マウンテンランニング連盟への寄稿とSTORY2日本語版
今月から数ヶ月にわたり、国際マウンテンランニング連盟への寄稿を行う。その第2回目の記事が公開された。web記事は英語(今回も英訳したものを友人に添削してもらいました感謝感謝)なので、原文記事をここに掲載する。
前回もだが、翻訳する過程で表現が変わったり割愛したり追加したりとものすごく良い経験をさせてもらっている。僕の拙い文章を添削してくれる友人の努力に応える意味でも回を重ねるごとに読み応えのある
国際マウンテンランニング連盟への寄稿とSTORY1日本語版
数年前から国際マウンテンランニング連盟(World Mountain Running Associaation、以降WMRA)の選手委員会のメンバーとして活動を続けている。
昨年は大会が軒並み中止。今年は昨年よりは状況が改善されているもののまだまだ先行きは不透明だ。とはいえ、マウンテンランニングを国際的に普及させたい思いは連盟に関わる皆の共通の思い。そこで、SNS発信に加え何名かがそれぞれの得意