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時間がたっても手の中に残ったものこそ大切なもの

『大丈夫じゃないのに大丈夫なふりをした』というエッセイ集を読んでいる。

その中に「好きなことを見つけるには?」というタイトルのエッセイがあった。文章はこんな風に始まる。

好きなことを見つけるためには、
多くの経験を積まなければならない。
たくさんのことを経験すると、あとから振り返って
また出会いたくなるものが出てくる。
それが、自分の好きなことだ。

『大丈夫じゃないのに大丈夫なふりをした』


本当に、その通りだな、としみじみと思った。
ここ数ヶ月、漠然と感じていたが、言葉にまとまりきらなかった思考が、形を取り始めたので、本を置いて、今この記事を書いてみている。


30代目前になって、ようやく自分の好きなことが少しずつ見えてくるようになった。

ひとつ目が、好きなアーティスト。
ふたつ目が、書くということ。
みっつ目が、自然の中にいること。


どれも、10代の頃からわたしの人生の中に存在していた。当時ももちろん大好きだったし、「好き」として認識していた。

でも、10代の頃は、そういう類の「好き」はこのみっつ以外にもたくさんあった。そのたくさんの「好き」たちは、時という波によって気づけば流されてどこかに行ってしまっていた。まだ手元に残ってはいるこれど、特筆して「好き」とは思えない程度のものとなってしまったものも多い。


自分にとっての「好き」とは、時によって淘汰されてもなお、自分の中に残っているものなのかもしれない。そうなのだとしたら、10代や20代の時点で本当の意味で自分にとって「好き」がなんなのかを知るのは、実は難易度の高いものなのかもしれない。


未来でも、それを「好き」でいられるかは分からない。誰も証明できないし、約束もできない。

それでも、「今、自分はこれが好きだ」と思う気持ちを信じて、それを握りしめて進んでいくしかない。そうして進んだ先にしか、本当の「好き」は見つからないから。


そういえば、数日前、駅の改札を抜けると目の前を大好きなアーティストのライブTシャツを着ていた人がいた。その時点で大興奮した私は、思わずその人に声をかけそうになって、かなり挙動不審の怪しい人だった。それくらい、自分にとって「好き」があふれてしまう対象なんだな、と再認識した。

10代の頃、そのアーティスト以外にも、好きだったアーティストはたくさんいた。そのアーティストよりもさらに好きなアーティストがいた時期だってある。でも、10年以上経って、それでも聴き続けているのは、そのアーティストの曲たちだけだ。

そして、10年経っても好きだからこそ、そのアーティストは私にとっての「大好き」になったし、多分これからもずっと「大好き」なんだろうと思えるようになった。


「好き」だけじゃなく、「大切」もきっと同じだ。
今、自分にとっての「好き」や「大切」が分からなくて悩んでいる人がいるのなら。すぐに答えを出そうとしなくてもいい。答えは、時が自然と教えてくれる。

時を重ねても、自分の中に残り続けているもの、こと、人、場所。
それがきっとあなたにとっての「好き」であり「大切」だから。その時は、全力でそれを大切にしていけばいい。

結局、最後まで、分からないものなのだし、分からないからこそ、おもしろいものなのだと思うから。

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