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良好な恋愛関係の必要最低条件(そうは言っても、それが簡単にできたら苦労しないんだよ!って話)

恋愛とかパートナーシップにとって、なによりも大切な肝心要っていうのは、オープンなコミュニケーションがとれるかどうか、だ。

そんなこと、イヤってほど分かっている。

パートナーシップなんて、話し合いと価値観や考え方のすり合わせの繰り返しだ。理解しあえることもあれば、できないこともある。納得しあえることもあれば、できないこともある。それでも、お互いにまっすぐ向き合ってちゃんと話をする時間を作らないと、どんどん2人の距離は遠ざかってしまう。

そんなこと、分かっているんだ。

それでも、わたしは相手と向き合うことが怖くてたまらない。
否定されたら?正論を振りかざされたら?やっとの思いで勇気を出して伝えた言葉たちを、軽んじられたら?「はいはい、またね」ってあしらわれたら?

そんな臆病と恐れと不安たちが、頭と心の中でわっしょいわっしょい神輿を担いでお祭りしてる。みんなしこたま飲んだのか、もうヘベレケだ。どうにかこの事態を収集しようにも、もうかなり手がつけられないところまで大暴走しちゃってる。誰かヘルプ。


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地元の悪習で、「空気を読む」「察する」「遠回しに言う」「言外に想いを込める」といった能力を徹底的に叩き込まれて育った。

別の地方出身の人とかが、いとも簡単に「自分も昔、すごく周りを気にしちゃうタイプだったから、わかるよ」とか言ってくることがあるんだけど。「でも、乗り越えられるよ♡気にしすぎたらしんどいよ♡」っていう、ナチュラルなマウントと見下しを込めて。(本人はもちろん、そんな自覚ない。いや、これも裏の裏の裏を読もうとする悪習の影響なのか?!自己否定と疑心暗鬼が大暴走してるだけなのか?!)

いや、本当に、ごめんなさい。多分きっと、レベルが違う。こっちは、社会的生死を分かつ絶対的に必要不可避の全員習得必須の原則スキル。空気を読み、察して、決して右ストレートを叩き込んではいけない。右ストレートを振りかぶった拳で握ったリボンの紐をしならせて、相手のこめかみにリボンを直接当てるようなヘマは絶対にせず、リボンがふわりと放つ空気の振動だけが伝わるように打ち込む。そんなスキルばかりを、身につけさせられた。

「言外のすべてを察し」て、「幾重にも折りたたんだその奥のさらに奥に、遠回しに本意を乗せて伝える」ことと、吸って吐いてを繰り返して呼吸をすること。どちらの方が、無意識にやっていることなんだろう。

そんなレベルで自分と一体化している、悪習。
まあ、これにはこれで、相手の気持ちを傷つけることなく自分がしっかりガス抜きできるというメリットもあったりする(嫌いな人やどうでもいい相手限定)。なので、完全に悪習と切り捨てることもできないけれど。この話は、機会があれば、また今度。


でも、これをパートナーシップに持ち込んだら、もうだめ。
しかも相手が言葉面のすべてをそのまんまに受けとるタイプのあっけらかんとした人だったりしたら、もうだめ。不器用なタイプだったり、素直なわんちゃんタイプだったりしたら、もうだめ。察するとかできない感じだったら、もうおしまい。試合終了。閉店ガラガラさようなら。

「大丈夫」って言ったら「大丈夫」って受けとられる。いや、明らかに声のトーンとか表情とかで大丈夫じゃない感じ出してるやん!そっちまでなぜくみとれない?!って思うけど、そもそもこんな悪習への理解を男性に求めることが間違っている。

はい、反省。


じゃあ、どうしたらいいのかって。
真っ向から、はっきりしっかり、言外の気持ちもちゃんと言葉にして、相手に想いをぶつけていくしかない。

でもさぁ。それがめっちゃ怖いんだよ。
「本音と建前」っていうのは、敵味方がわからない、人を信用しあえない環境の中で臆病者や社会的弱者たちが、自分たちの心の平穏と身を守るために数百年の時を超えて培ってきたスキルだ。つまり、怖がりさんや不安がりさん、嫌われるのが怖い子さんや、自己防衛能力と自己回復能力が著しく低いガラスのハートや豆腐メンタルの人が身につけているスキルというわけだ。言ってみれば、心の鎧だ。自分の心を守ってくれる、唯一の鎧。

でも、パートナーシップにおいては、その鎧を脱ぎあって、裸のお付き合いをしていく勇気がいる

そんなこと、分かっちゃいるんだけどさぁ。
もう、考えるだけで呼吸が浅くなる。すっぽんぽんで、否定とか拒否って刀でバサっといかれたら即死だよ。コンマ1秒ももたないよ。しんどいしんどいしんどいしんどい。無理無理無理。だから、自己防衛のために、逃げることを選択しがち。つまり、「見ざる・聞かざる・言わざる」の三原則を徹底しようとするんだ。

でも、これがまた、全然よくないんだよね。
一時しのぎにはなるかもしれないけれど、長期的に見たら、状況を悪化させるだけ。

自分の中にある不満とか「傷ついたな」って想いとか、「本当はこうして欲しかった」という欲求とか。そういった色んな気持ちを飲み込んで、なかったことにしたら、自分の中にどんどん相手への不満が溜まっていく。その不満が澱のようになって「大好き」で埋まっていた心の中に、「嫌い」の染みがジワジワと広がっていってしまう。そんなシミも仮面の笑顔で覆い隠して、なかったフリをしようとする。そうやって、最初は手をとりあって並んで歩いていた二人は、時とともにどんどん別の方向へと成長していってしまう…。そんな関係性、イヤだよ。


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ヘベレケでどんちゃんお祭り騒ぎの臆病と恐れと不安たちが、ついにゲロゲロ吐き出しちゃった。もう、だいぶキちゃってる感じですね。これは早急に対処せねば、本当にやばい。

そうなって初めて、わたしはすべての持てる勇気を持ち出して、「今夜、ゆっくり話したいことがあるから時間を作ってほしい」と、臆病者の自分が両手をあげてトンズラしないように、自ら逃げ道を絶った。

さあ。時間を作ってくれるか否か。
もうその時点で、ファイナルアンサーを突きつけられている。震える。怖い。しかも、今日の相手は、睡眠時間5時間以下+二日酔い+終日外回りの日だったじゃん。なんで今日をチョイスしたんだ自分。どんだけ相手追い込むつもりだよ、自分。ドSの域を超えてるよ。いや、もはやこんな状況を自分でチョイスしてくる時点で、実はドMなのか?

ゲロゲロ吐き出し始めた臆病と恐れと不安は、もう一瞬たりとも待てないし、正常な判断っていうギアもぶっ壊れたらしい。ここまでこいつらを野放しにしてた自分が悪い。

はい、反省。


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誰かと真剣に向き合うって、本当にエネルギーがいる行為だよなって思う。時間も、気力も、体力も、奪われる。社会人になって忙しくなってきたら、話し合いをするためのベストなタイミングなんて、もはや存在しない。常に疲れてるし、常にいろんなものに追い立てられてる。ベストなタイミングじゃなくて、バッドじゃないベターなタイミングを探すくらいしかできない。

そんな中でお互いが、コミュニケーションをとることの大切さを理解して、そのために時間と気力と体力を投資しようって思えるのなら。そこに自分の残り少ないリソースや余暇や自由の時間を注いでもいいと思えるのなら。

その人はきっと、あなたにとってとても価値のある大切な人ってことなんだと思う。そして、相手がちゃんと「話し合い」という席に座ってくれたのなら。その人は、あなたのことを大切にしているし、向き合おうとしてくれている。

愛って、そうやってお互いに理解しあえないことも全部含めて、分かっていって、寄り添っていって、受け止めて耳を傾けようとすることなのかもしれないな。


そうは言っても、怖いもんは怖いけどな!!(涙目)

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