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*「何かを変えたい」と思った時にどういう行動を取るべきか

平等の権利を求める。

それは、何も間違っていないと思います。今まで理不尽な扱いを受けてきて、それがおかしいと声をあげて、必要とあらば変わっていく。ここに、なんの異論もありません。

私自身も、あくまで自分宛として、自分から自分へ向けて「弱いのは悪い事じゃないよね」「したくても何もできないからって肩身狭く思わず生きたいね」などといつも伝えていますし、これからも変えるつもりはありません。全部をひっくるめて「甘え」だ「情けない」だと斬り捨てられたりもしてきたけど、そうじゃないんだよねと。ひとくくりがなくなるまで、書き続けるつもりでいます。

私の言葉を普段から見ている人なら「耳にタコというかもうタコ焼きレベルだよ」と思うかもしれませんが。まあそこは、ソースとマヨをかけてはふはふ召しあがりやがれください。

ってなんの話をしてたっけ?

そうそう。

声をあげるのに異論はない、です。

ただし。タイトルにもあるように、平等な権利を求める事と手段を選ばずに迷惑関係なく強引にやる事を合体させると、

とある危険性

があるように思ったりもして。後の第02章で語りますが、もちろん例外はありますよ。例外なく全ての状況でとは言いません。それが巨大前提ですけどね。

今回は、このとある危険性に関して私が知る範囲では誰も言っている人がいなかったので、自分なりに考えた事を書いておこうと思った次第です。

「もうええわ!」と思われるくらい毎回前置きしますが、これは私自身が思った私自身の解釈であって、これが正解ですと宣言するつもりも、押しつけるつもりもありません。

誰かを変に否定するでもなく
汚い言葉で貶すでもなく
あわれみ浮かべて下に見るでもなく
丁寧に選んで言葉にしていきます。

まだまだ未熟ではありますが、普段から意識している私のこのスタンスを理解してくれた人だけ、続きを読めるのならば読んでくれると嬉しいです。

デリケートでいて自分にとっても大事な話題だからこそ、無料でなく有料にしている事もまた、あらかじめご了承ください。

では、掘り下げていきましょうか。

01.「貶したい」のか「伝えたい」のか

誰かが何かの声をあげた時や、行動を起こしたと公にした時に、反対の意見を持つ場合は、あり得ますよね。

全員が同じ思想や価値観を抱いているわけではないですし、各々に正義がありますし。ここは想像に難くないと思います。私だって、何かのニュースを見て「それはどうかなぁ」と首を傾げたりしますから。

ただ、その先がとても重要で。

反対意見を持った時に「それはこれこれこうで違うと思う」と伝えるところを

「何アホな事を言ってんだ?」とか
「これだからバカは」とか
「頭悪すぎて草」とか

汚い言葉もブレンドさせて、ダメージ食らいやがれ的に投げつけるのには、私個人は絶対に賛同できないんですよね。

「何かダメージ与えられそうな言葉を交ぜて言ってやりたい」という欲ってね、強烈なんですよ。とても魅惑的。だって、一時的にスッキリしたりしますから。脳内麻薬でも出てんちゃうかと疑うほどに。

言ったった!

そういう快感に近いものを得られるんですよね。だから、どうしても自分に理解ができない人に対して、付け足したくて付け足したくてたまらなくなる。

すると、

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