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#上司ガチャに失敗したので辞めたい



理想の会社、理想の同期、理想の先輩、理想の上司─

そんなもの、存在しないのがこの世の中である。


製菓学校を卒業し、皆が働きたいお店を掲げて就活しているなか、そんなものが一切無かった私は結局、地元のケーキ屋さんに就職した。

今どきはやりのキラキラしたお店ではなく、素朴で老若男女に長く愛されるお店。しかも、この地域で何店舗か展開している地元密着のお店だ。

それぞれの店舗は昔ながらのケーキをベースに、少しアレンジを加えて個性を出している。


入社式なんてものはなく、事前に社長に伝えられていた配属先の店舗に4月1日から通う。憧れの同期とか、そんなもの誰がいるのかすら分からない。励まし合ったり、偶に呑んだり、愚痴ったり、そういったことができないんだ。

─あぁ、やっぱり、大手じゃなきゃなにも無いのか。

社長は決して悪い人じゃない。自分の祖父くらいの年齢だが、まだ元気でたまに店舗へ顔を出してくれる。昔はパティシエとして働いていたらしく、忙しくて人手が足りないときは手伝ってくれる。物腰が柔らかく話しやすいので、ちょっとした癒やしだ。

業界全体的に、給料は安い。
製菓学校の学費はびっくりするほど高いのに。でもそれは仕方がないかなと思っている。
昔は残業代も出なかったと聞くけれど、流石に今はそこまで劣悪ではない。残業代は微々たるものだが、出る。
本当はもっと増やしてほしいし、なんなら一般的な会社員くらい休みも欲しい。安いと分かっていたから、実家暮らしで、とりあえずは生きていけている。


そんな中、1つだけ気がかりがある。
店長兼シェフパティシエで社長の息子だ。

なんかもう、全てが無理なのだ。見た目も、中身も、受け付けない。ひと目見た時から自分の本能が〝こいつはヤバい〟と警鐘を鳴らしていた。


まず見た目。清潔感が無さすぎる。汗だくでベタベタ、髭は整えられておらず生えっぱなしで、タバコ臭い。食べ物に関わる仕事をすべきではない人間だ。

百歩譲って、見えない工房内に居てくれるなら良いのだが、売り場に出たがる。やめておいたほうがいいと思う。

タバコ臭いのは、本当、ダメだろう。

タバコの匂いが染み付いた手で触られたお菓子…臭いは消えていたとしても、タバコの成分が染みていそうで無理。キモチワルイ。

あと、中身はもう、子供みたいなのだ。構ってもらえないと大声を出し、すぐ怒鳴る。煩い。機械が動いていると聞こえないから、遠くから呼びかけず近くに来てくれ。そして、誰に言っているのか分からないから、まず名前を呼べ。

不機嫌で人を支配しようとせず、まずは自分が工夫したり改善してくれ。頼むから。


先輩から教えてもらったやり方で製造していると、

「違う」

そう言われ、直される。

それなら最初から店長が教えてくれたらいいのに。だが、その店長のやり方で作ると、汚い。出来上がりも、道具も、散らかしまくる。偉そうに言うくせに。先輩のやり方のほうが出来上がりが綺麗なので、結局そのやり方で作り、また怒られる。正直もう無視。

そして常にイライラしていて、でっかい声で周りに聞こえるように独り言を言ったりため息をついたり。そしてドンチャン騒ぎしてんのかってくらい道具を雑に扱い、大きな物音をさせる。煩いし、ストレスだ。

なんかもう、入社してあまり経っていないが、既に辞めたいと思ってしまっている。店長以外は良い人なのに。すべてのストレッサーである店長、ただ一人のせいで台無しだ。

このまま続けたとしても、ストレスが溜まりに溜まっておかしくなりそうだ。何年も続けている先輩方はきっとフルイにかけられて生き残っている奇跡的な存在だと思う。

偶に入ってくる新人バイト君達も、すぐ辞めてしまう。店長のせいで。

当の本人は自覚をしていない。改善点を提示したところで、素直に受け取って貰えないし逆に怒り狂うからお手上げである。


─辞めてやる、と思いながらどうにか1年ほど働いていると、急に店長が休みがちになった。

どうやら体を壊したらしい。職場の皆が喜んだ。誰も店長の心配はせず、するのは業務の心配だけ。

自業自得だ。もういっそこのまま、戻ってこなければいいのに、なんて酷いけれど願ってしまった。


店長が本格的に休職し、新しい店長がやってきた。

「はじめまして。矢野楓奏(やのふうか)です。叔父の代わりに私が店長を務めることになりました。よろしくお願いします」

フランス帰りらしい楓奏さん。数年前にパティシエになることを決め、留学をしたらしい。店長の姪に当たるらしいが、全然似ていない。すらっと背が高くて綺麗なお姉さんだ。

楓奏さんが店長になるにあたって、様々な改革をするらしいと聞いた。社長からある程度好きにしていいと許しを得たらしい。

〝休みを増やしてほしい〟

〝残業したくない〟

〝能力に応じてきちんと昇給させてほしい〟

〝新商品のアイデアが採用されたら手当が欲しい〟

全てに応えるのは難しいが、少しずつ、変わっていった。

勤務はシフト制になり、時間になったら帰ったり、残業して少しでも稼ぎたい人だけ残れるようになった。

何年も働いている先輩ですら、一年目の私とほとんど変わらなかった給料も、きちんと能力に応じて増えていった。もちろん、私も。それでも一般的な会社員と比べたら安い。平均年収なんて、きっとここで働いていても超えられない。
土日祝日、お盆や年末年始にしっかり休みを貰えて、様々な手当もあって、それなのに私達より給料がいいって、そんなに仕事に価値があるのかは正直謎である。

お正月以外無休だったお店は定休日を設けるようになった。月に6日休みで、有給を使ってかろうじて週休2日だったものが、週休2日に変わったのはありがたかった。有給を使って三連休にできるのは大きい。推し活も思いっきりできる。


楓奏さんが作るケーキはどれも可愛い。基本的には昔ながらのケーキがベースなので、常連さんのウケガ良い。そして可愛いものが好きな若者にもウケたみたいで、売上は上がる一方だ。他には、ヨーロッパの伝統菓子や今まで聞いたことのないお菓子も作るようになり、それが今一番楽しい。

もう少しだけ、ここで働いてもいいかも。




「羽那(はな)ちゃん」

「あ、はい」
製菓室の片付けをしていると楓奏さんに呼び止められた。

「もしよかったらなんだけど、都心に店舗を出したらついてきてくれる?」

「えーっと」

「給料も上げるし、家賃は会社持ちにするから」

「本当ですか!?」

今まで推し活の度に交通費や宿泊費の出費が痛かったから嬉しい。もっと近くに住めれば、最高すぎる!

「本当本当。一人暮らしするとお金かかるからね」

「ありがとうございます!絶対ついていきます!」

「今はまだ物件探し中で、オープンは早くても来年になりそうなんだけどね」

と、言うことで…推し活のため(?)に上京します!




前回更新した物語


完結済長編小説



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