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厳しい親をどう説得したらいいか?の私の答えは、理解してもらおうとすることを諦める

最近、「ワーホリに行きたいけど、どうやって厳しい親を説得したらいいのか?」と質問受けたので、自分の場合はどうだったか、考えてみた。

私の両親は厳しく、堅い考え方だった

私の両親は、一流の職場に就職することが幸せ、ひとつの会社で勤め続けることが正義、みたいな、お堅い考えだった。看護師という資格を最強なものだと決めつけて、看護師だと一生安泰だし、素敵な仕事だから、絶対に続けるものだ、という考えだった。

だから看護師4年で、大規模病院の正社員を辞めて、海外に飛ぶ、という私に大反対した。「そんなのありえない」「これからどうするつもり」「戻ってきたら看護師に戻るんでしょうね」という感じで、良好的に受け入れている感じはしなかった。
私は理解してもらうことの諦めや、ほっといてよ!という反抗もあった。

両親の理解が得られない中でなぜ海外に飛んだのか?なぜ両親の理解を得ようとしなかったのか?


看護師という仕事が苦しくて、嫌で、逃げたくて、その逃げる方法として海外逃亡しか思いつかなかった。今となると、選択肢は無限だと知っているけれど、あのときの私の選択肢は狭かった。
専門学生のときに、大学生の友人たちが海外留学に行っているのが羨ましくて、自分も海外に住んでみたい、住んだら楽しいに決まってる!という考えもあった。
だから、自分がどうしても看護師から逃げたかった、その逃げ先として海外に行ってみたかったのが、海外に飛んだ理由。
辞めたいとは看護師2年目から思っていたが、「もう少し考えた方が良い」「衝動的にならないほうがいい」という周りの助言を受け入れていた。そして看護師辞めるなら、リーダーもできるようになって、一人前の看護師になれる4年目までは続けよう、とどこかで冷静に分析して4年目までは続けていた。
4年目に、「もう十分やった、もう逃げたい」という衝動が抑えられなくなって、親に理解してほしいという心の余裕さえもなくなって、私は海外へ飛んだ。最後は、親にどう思われるか、よりも、自分の限界の方が強かったんだと思う。

その後、好きなように生きていたら、親が理解してくれるようになり、私も生きやすくなった

オーストラリアから帰国後、「看護師するんでしょ」という親の圧力も受けながら、私は海外を旅したり、沖縄や離島に住んだり、たまに看護師として働いたり、カフェでも働いていたり、好きなように、好きな場所に転々としながら生きていた。

親の話も「はいはーい」という感じで流していた。親がうるさいと感じて、実家に寄り付かないことも多々あった。

そんな風に好きな場所で好きなように生きていたら、両親が「いつも楽しそうでいいな、そんな人生羨ましい」と言ってくれるようになり、私の生き方を受け入れてくれるようになった。

高卒で同じ会社に勤め続けていた父は、執行役員の誘いを断り、早期退職し、1年の無職期間を経て、電気技術の会社に派遣で就職した。
母は、3年後は仕事やめて、私のように転々とする生活を送りたいらしい。

今となっては、どんな突拍子もないことを言っても、やっても、「いいんじゃない?」という言葉とともに、受け入れてくれるようになった。
私は生きやすくなった。

理解してもらおうとすることを諦める

今、過去の私と同じ境遇にいる人に声をかけるとしたら、「理解してもらおうことを諦める」ということ。相手は変えられないし、必死に理解してもらおうとすると自分が疲弊する。だから理解してもらうことを諦めて、自分の信じた道を歩んでみる。行動で示してみる。もしかしたら、理解してくれるようになるかもしれないし、一生理解されないかもしれない。どうなるかは、わからない。
そして親が圧力かけてくるなら、自分を守るために距離を置く。
親に理解してもらいたい気持ちはわかる。最も身近な存在で、今まで育ててもらった恩もあるし、見捨てられたくなくて、認めてほしくて、愛して欲しい。でも、親のレールの人生を生きたいだろうか?それとも、自分の人生を自分らしく生きたいだろうか?

私は、自分を信じて歩み続けてきた人生に誇りがあるし、自分の意思を尊重してきて良かったと心から感じる。
親から理解を得ることを手放してみたとき、自分の人生どう生きたいですか?自分の心はどこに向いていますか?何によく目がいきますか?


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