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【My Career Story】 外資系HR ~ CHROの道


前号(キャリアオーナーシップを意識しよう)で、自律的キャリアの必要性について触れました。

その後、LinkedIn経由で「遠藤さんの起業前のキャリアの築き方」を知りたいというメッセージをいくつかいただきました。
ありがとうございます。
 
自身の整理にもなりますし、何より、誰かにとってご参考になる可能性もあるかと思い、これを機にnoteにて以下内容を中心にまとめてみました。



1.  外資系人材紹介から外資系企業HRへの道

まず、私には大学時代からブレずに変わらない一つの軸があります。
それは、日本にいながらでも自らが日本と海外の「人」を繋ぐ架け橋になることです。
 
その軸を支えるための必要なステップの一つとして、日本生まれ日本育ちで海外は旅行経験のみだった20代当時の私は、外資系企業での経験を重ねていくというキャリアを歩むことを決断しました。
そのキャリアを経た結果、その次には、海外展開を図る日系グルーバル企業に進み、外資系企業の最前線で培ってきたものを「貢献」と「影響力」という形で発揮し、本国である日本と世界各国とが人で繋がっていくことこそ、私のキャリアの道でもあり集大成のうちの一つと20代の当時は捉えておりました。
 
私の外資系企業でのキャリアスタートは、米系エグゼクティブサーチファームの日本法人で、外資系企業を専門とするClient(企業)とCandidate(候補者)の双方を支援する両面型での人材紹介コンサルタントでした。
私の主担当は「HR関連領域」でした。あらゆる業界の外資系企業を訪問して内情を把握することを努め、外資系企業のHRの方々との接点を持つきっかけにもなった一歩です。
 
30歳を超えたタイミングで、ドイツの製薬会社に転職し、事業会社でのHRのキャリアをスタートさせました。
HRのキャリアをスタートさせた背景は、人材紹介コンサルタントとして数多くの外資系企業のHRの方々と接したことで、企業内のHRの難しさや複雑さを感じ、その難しさにチャレンジしたいと考えたからです。
 
当時のコンサルタントとしての仕事が自身にとって「Comfort Zone(自分の居心地が良い状態)」になっていたことへの危機感もあり、Comfort Zoneから脱却したいということもドライバーとなりました。
 

2.  Talent Acquisitionから見えてきたこと、そしてその先へ

人材紹介コンサルタントの経験もあって、HRのキャリアはTalent Acquisition(採用)から始まり、新卒・経験者採用の全体の責任を持ちました。
 
特に新卒採用では、毎回数百名の学生を前に語るセミナーも多く、企業の顔としての自覚が芽生えるきっかけになりました。誰もが調べれば分かる企業の歴史や概要だけではなく、より深いカルチャーを自分自身が体現し、伝達していくことが介在価値として必要だと感じました。
 
当時はまさに体力勝負でした。100~150名の新卒採用数に対して、約半年間、セミナーと各段階の面接が五月雨式で続き、東京と大阪を週に2~3回の頻度で日帰り出張することを繰り返していました。また、それらが1日終わると、夕刻以降は経験者採用の業務や面接も続く日々でした。
 
後に内定者から教えてもらいましたが、毎日違う都市・会場に私がいる事実から、当時の学生たちのSNS上では「遠藤 複数存在説」まで流れていたそうです(笑)。
 
日によってはセミナーで上手く話せないこと、面接で効果的に質問がしきれなかったことなど、数多くの失敗と反省が伴うHRとしての初期キャリアの時期でしたが、こうした激務の日々は「どんな環境下でも企業の顔」であるというマインドを育みました。
 

3.  HRBPを経験したからこその外資系HRトップへの道

Talent Acquisitionとして2年半の経験を経て、2008年に社内異動で、戦略人事の一翼を担う「HRBP(人事ビジネスパートナー)」になる機会を得ます。
 
HRBPになるきっかけ、HRBPの具体的役割については、以下「HRBPを語る」記事で詳細に触れておりますので、ご関心ある方は是非ご覧ください。

当時の人事本部長が、HRBPという機能を人事本部に新設することを発表したことがきっかけです。当時はまだHRBPの概念は日本でほとんど普及しておらず、未知のこと・新しいことに挑戦できるチャンスだと思い、自ら手を挙げました。
 
日本でHRBPが普及していく初期のきっかけは、いくつかの外資系製薬会社を中心に新設されていったこのタイミングだと、後に外部の複数の方々から伺いました。その様なタイミングでその環境に偶然にも身を置けたことは、チャンスを掴む転機としても非常に幸運なことでした。
 
HRBPは正解のない領域だと私は思います。
Talent Acquisitionは自ら全面に出る機会が多い一方、HRBPは自身が前面に出ることもあれば、裏で戦略を構築し、パートナーである各事業の本部長の方々に戦術提供差し上げて、その方々を前面に立てるような動きをすることもあります。
 
そうした立ち回りの絶妙なバランスも加わり、HRとしてのキャリアの「幅」と「深さ」がより一層広がっていきました。
 
HRBPとしての歩みこそが、それ以降の私のキャリアの礎になったと自負しています。以降の外資系企業3社に関しては、全てリテーナーサーチと呼ばれるヘッドハント型での Confidential(機密) 案件としてご提案をいただいて得られたキャリアです。米系高級消費財(ラグジュアリーブランド)のHRBP責任者を経て、英系FMCG(日用消費財)と英系テクノロジーの大手外資系企業2社で、日本法人HRトップの役割に挑戦することができました。
 
選んだ3社のほかにも、ありがたいことに複数のお声掛けをいただきました。特に、経験のある業界からの声が掛かりやすかったです。しかし、私は同じ業界での案件のお声掛けにはあえて応じませんでした。
 
業界が変われば、企業風土とそれに紐づくHR課題と施策が大きく変わる可能性があるのでは… と考えました。可能な限り違う業界の外資系企業でのHR経験を重ねることで、自身の中での経験値を積むだけではなく、「違うこと」にAgility(俊敏さ)をもってアクションを取れる柔軟性・瞬発力・適応力を実体験として蓄積させることを、30代半ばで重視する一つの価値観としました。そのことが、いつか日系グローバル企業でグローバルポジションに挑戦して、日本と世界を繋ぐことに貢献していくという次のキャリアステージに進む際に、必ずや生きてくると信じていました。
 
外資系で「異なる業界」に挑戦することだけではなく、転職するごとに「責任範囲」を広げたり「立ち位置」を高めたりすることも意識しました。
 
30代半ばを過ぎた頃に英系FMCG企業で初めて日本法人のHRトップのポジションに就いた際は、日本以外に初めはNorth Asia(本社: 中国北京)、その後はASEAN(本社: シンガポール)のHRリーダーシップメンバーの一員になり、ASEAN全体のHRプロジェクトリーダーの権限を持つこともできました。

次に続く英系テクノロジー企業では、初めはAPAC(本社: 香港)、その後は英国グローバル本社にも直接レポートでき、それらの責任と権限を得たと同時に、プレッシャーも比例して格段に大きくなっていきました。 

@Unsplash


4.  外資系企業HRトップの先に日系上場企業CHRO

それら2社での日本法人HRトップのキャリアに行きつき数年が経過した40歳前後のタイミングで「自身の外資系企業20年目、日本法人HRトップ10年目、それぞれの周年期にあたる2022年を一つの節目として、次のステージに進む」ということを誰にも言うことなく自身の中で意識し始めました。
 
「日系グローバル企業に進み、大学時代から抱いている軸に繋げていくこと」を心の中に秘め、そのためにはどのようなリスクとチャレンジを取っていくべきかを逆算しながら日々走り抜けていくことを考え始めた頃です。
 
特に30代後半での大きなチャレンジであった英系FMCG企業での毎日は、計り知れないほど高いミッションを課され、かつ圧倒的なスピード感に溢れ「Ambiguity(曖昧さ)の中でいかにAgility(俊敏さ)を発揮するか」で命懸けのような感覚の毎日で、本当に必死でした。しかしながら、今振り返っても、私のキャリア史上で最も記憶に残る最高に充実した時期でした。
 
ですので、某ホテルのラウンジで朝食を取りながら、英系テクノロジー企業のお話を長年のお付き合いがあるヘッドハンターからいただいた際は、このチャンスを受けるべきかどうか正直悩みました。
特にその企業は世界的にも日本においても知名度抜群で、誰もが知るユニークなイノベーションを起こしている企業です。ただ、先にも述べた通り、その当時在籍中の英系FMCG企業での圧倒的なスピード感と果敢なチャレンジに挑むアントレプレナーシップ(起業家精神)に富むカルチャーが自分には合っており、また、知名度にあまり関心が向かない私の特性上、その有名企業の案件を受けるべきかどうかは数日熟考したことをよく覚えております。
 
ただ、1社のみではなく、組織規模と日本での存在感がより大きいもう1社で日本法人HRトップを体現できる実証を掴み、かつ今までの外資系企業で培ってきた数多くの成功体験や失敗からの学びを発揮してその新たな企業にも貢献できることがきっとあるはず、と自身のマインドセットを変えて、最終的にはチャレンジしてみることに決めました
 
結果、30代半ば以降から2社で約7年間、日本法人HR責任者の経験を持ち、振り返ると計17年間の外資系企業での経験を積むことができました
 
そんな折、2019年、桜が咲き始める頃に、東証一部上場(現 プライム市場上場)の日系グローバル人材紹介会社から、思いもよらぬ直接のお声掛けをいただきました。
 
私のキャリアの道を振り返ると、自分の意志主体で舵を取り、意図的にキャリアを変えたのは「転職による職種チェンジ」「起業」の2回だけです。
1回目が、外資系人材紹介会社のコンサルタントから事業会社のHR(ドイツ系製薬会社のTalent Acquisition)への「転職による職種チェンジ」、2回目が、2023年3月に事業会社内HRから卒業し、「起業」の道に進んだことです。まさにこの2回は、キャリアオーナーシップが伴う「キャリアチェンジ」です。それ以外の転職全てはというと、お声掛けから熟考したうえでの選択でした。
 
先ほどお話した通り、日系グローバル企業への挑戦は、自身にとっての周年記の節目の年に当たる2022年を目途と自身では考えておりましたので、この頃の3~4年間は、ヘッドハンターからの複数のお声掛けに対しても多くのケースでお断りをし続けておりました。2019年のタイミングで日系上場企業から、しかもヘッドハンター経由ではない形で、当時の社長から声を掛けていただいたときは「なぜ自分?」ということも含めて正直戸惑いました。
日系企業に進むという自身の密かな想いは対外的には全く伝えていなかったため、私のような外資系一色のバックグラウンドに対して、日系上場企業から直接お声が掛かったことは、驚きであり新鮮でもありました。


想定外のタイミングで予想外の日系企業からのお声掛け。
まさに「寝耳に水」という状態でしたが、当時の社長が私のもとに直接足を運んでくださったり、2人でお食事に行く機会もくださったりしました。そこで直々に、会社が目指しているグローバル化への方向性や課題について誠実に語っていただき、私に本当に参画してもらいたいという直々のお言葉に耳を傾けるうちに、その誠意と熱に心打たれ「想定外と予想外」に進んでいく覚悟を決めました。その当時の社長とは、私が起業した今でも、プライベートでお食事に行く仲で、本当に良くしてくださっております。
 
20代で外資系人材紹介会社でコンサルタントの経験をしたうえで外資系事業会社でのHRキャリアを重ね、最終的には2社の世界的にもユニークな企業の日本法人HRトップに就くことができた私に対して、その日系上場企業は、新設となる Global CHRO(Chief Human Resources Officer)というグループ会社全体の「最高人事責任者」の役割をご用意してくださいました。
 
外資系企業で17年間生き抜いてきたからこそ見える価値観と世界観をGlobal CHROとしてだけではなく、HRの領域をも越えて経営や事業にも影響を与え貢献していきたい。そう言った想いも強く反映し、自身のライフワークの一つとする「コーチング」を社内で提供したり、自らの提案で全国周っての社内講演を実施したりしました。さらには、2020年7月に、グローバル企業を顧客にする新規開拓ビジネス部門を立ち上げて、管理本部と事業本部の両本部の執行役員に就くイレギュラーな状態を自ら創り出したりもしました。

少しでも自身の経験や知見を生かして「経営」「事業」「組織」「社員」、そしてひいては「顧客の方々」と「世の中」に、たとえ微力であったとしても着実に貢献していこうと毎日考えて尽力したつもりです。それらは、誰から言われるでもなく、自身の役割を超えて貢献していきたいという、自らの情熱からくるものだったと振り返っても自負できるものです。

 
一方で、このGlobal CHROに就いていた大半の期間がCovid-19の影響下にありました。

ちょうど30代半ば過ぎに外資系FMCG企業日本法人HRトップとして体現できた「Ambiguity(曖昧さ)の中でいかにAgility(俊敏さ)を発揮するか」を奇しくもGlobal CHROとして出さないといけない場面に直面しました。
2020年春から2021年に掛けては、日常のCHRO業務に加えて、Covid-19に対する対策と対応のイニシアティブを取ることがクリティカルな時期でありました。誰もが戸惑って前進できていない中、少しでも自身のイニシアティブが、当時の社員の方々とそのご家族含めた大事な方々、そして会社自体のリスクを守ったり、今までの伝統的慣習にとらわれない新しい考え方を導入して前進したりすることに繋がったようであれば嬉しいな、と思います。
 


以上が、起業前の私の「外資系企業HR ~ 日系上場企業CHROの道」です。
キャリアオーナーシップについて考えるきっかけ、もしくはキャリアデザインについての何らかのご参考になるようであれば幸いです。
 

その後の「起業への想いと道」は、
note連載記事 「株式会社EpoCh、起業への想い」3部作に続きます!


「起業家」「経営者」、そして「これから出会っていくお客様への伴走者」としてのキャリアストーリーは始まったばかり。
それらのストーリーを、誠実さと熱意をもって語れるよう、今日からも前進していきます。

<2023年3月1日起業 - 株式会社EpoCh 公式website>


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外資系17年(HRトップ 7年)とプライム市場上場企業 Global CHRO(最高人事責任者)経験の私が「誰もが独自性を強みとして持ち、新しい無限の可能性を秘めている」を自身のコーチング哲学に、2023年3月 起業をしました。サポートくださる方々と一緒に日本を元気にしたいです!