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たるもの、でなくても

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2021年10月の記事一覧

あの日の撃退法

あの日の撃退法

私の地元は山と坂の町、車がないとなかなか大変な地域である。中学から始めた陸上は、高校でも一生懸命に続けていた。なんなら陸上のために受験した進学校だったので、勉強は二の次で、朝もはよから朝練、試合前であればお弁当を食べて昼練、授業が終わって夕練という陸上漬けの日々を送っていた。

学校まではバスがあったのだが、そのバス停というのが、山の頂上まで上った先か、ふもとまで下った街まで行かなければならず、な

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コドモノアソビ

コドモノアソビ

1.外遊びをするまで子どもの頃を思い返すと、今の時代とは違い、ゲーム機の勢いが出始める、まさに真っ只中だった気がする。

私といえばお人形遊びなどに全く興味が無く、もちろんゲームもしたかったのだが、5歳年上の兄に、指一本触る事を許されてなかったので、兄が帰宅までのわずかな時間に、異常な緊張感を持ってこっそりするのが常だった。兄が外の門を開けた音が僅かでも聞こえたら、電光石火の速さでテレビ台の下にゲ

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音楽のチカラは母をも

音楽のチカラは母をも

1.私の母今回は、音楽と母にまつわる話をしたいと思う。私の書くものには度々登場する母。私を大きく育て上げてくれた母。そんな母を漢字一文字で現すならば、

「凛」

これに尽きる。今は還暦も超え、アルコールが入れば饒舌になるが、私が実家にいる時分は四六時中喋っている陽気な父の横で、多くは語らず、"フフフ"と笑うぐらいの物静かな母だった。
そして、私からは想像できないかもしれないが、ひかえめに言っても

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チャボと雄鶏

チャボと雄鶏

1.チャボと私突然だが、私は実に動物が大好きである。
幼いころから家には常に犬がいた。小学1年生のときにやってきた犬は、大学生になるまで、遊び相手でもあり、いろいろな場面で癒しも与えてくれ、本当に良き相棒になってくれた。

しかし、今回は犬の話ではなく、ある時期に飼っていたチャボと鶏の話をしたいと思う。
みなさんはチャボをご存知だろうか。昔は小学校でも飼育されていたような記憶もあるのだが、鶏よりも

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水着と紅

水着と紅

私が小さい頃から今に至るまで、強く記憶しているストーリーの中でも、とびきり多いのが
【してやったりストーリー】である。

その原因にもなるのが、私のファッションかとも思われる。
幼い頃から母がブリンブリンのリボンのついたスカートなどを着せることを好まなかったため、当時からボーイッシュな格好が多く、ヘアスタイルも例の通りであった。(前2回参照)。

今でもどちらかといえばシュッとしたり、ボカっとした

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初めてキメた技はあれだったのかも。

初めてキメた技はあれだったのかも。

生後10ヶ月で患った川崎病、当時はまだまだ未知の病であり、母は調べ物をしたりセミナーに出かけたりと、それはそれは大変な思いをしたと思う。
現在ピンピンした中年として私が過ごせているのも、他ならぬ母のおかげだと思う。

前回書いた、病院での定期検査であったり、激マズ薄茶色の睡眠薬をうっすらと思い出しはするものの、これといって病後に日常生活でしんどい思いをした事が無かったように思う。
小児喘息持ちだっ

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重量級末娘の爆誕

重量級末娘の爆誕

1983年の5月…私の母はこれまでに無い重さの腹を抱え、坂と階段のそのまた先にある実家と、街の方にある店を毎日毎日行き来してくれていた。

腹の中の第三子は、のちの私であるけれども、それはもう大変な大きさであると予想できたらしい。

産気づいた母は確か動けなかったらしく、父は、その腹に巨大児の入った母をおんぶして産院まで連れて行ったと聞いた。
母、痛みとの激闘の末、

こんにちは、赤ちゃん。
こん

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ごあいさつ

ごあいさつ

新しい事を始める時は、気持ちなり環境なりに今までに無かった変化を伴っている。
これまでの経験上、そういう気がしてならないが、今まさにこの文を書こうとしているあたり、きっと私の中になんらかのそれがある。

次から次に…
あれもこれも…
なんやかんや…

つまりは飽き性も甚だしいということを、良くも悪くも夫や両親から言われるのであるが、それはそれでまぁ、したい事は全部やらないと気が済まないので、チャレ

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