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チャボと雄鶏

1.チャボと私

突然だが、私は実に動物が大好きである。
幼いころから家には常に犬がいた。小学1年生のときにやってきた犬は、大学生になるまで、遊び相手でもあり、いろいろな場面で癒しも与えてくれ、本当に良き相棒になってくれた。

しかし、今回は犬の話ではなく、ある時期に飼っていたチャボと鶏の話をしたいと思う。
みなさんはチャボをご存知だろうか。昔は小学校でも飼育されていたような記憶もあるのだが、鶏よりも小さめの…鶏である。

「矮鶏」という漢字表記からも分かるとおり、他の品種に比べて小型であり、オスで730g、メスで610g程度が標準的な体重である。また足が非常に短く、尾羽が直立していることが外見上の特徴である。
引用:Wikipedia

彼らは気づくとうちの裏庭に飼われていた。これを書くにあたり、両親に話を聞いたのだが、服飾店を営んでいた叔母のお客様から頂いたとのこと。忘れてしまっていたのか、記憶するには幼すぎたのか、初めて知った事実だった。
何羽飼っていたかも定かではないが、雄が1羽、雌が数羽いたのは間違いない。隣の従妹の家にもいて、可愛らしい名前を付けてもらっていたのだが、肝心の我が家のチャボたちの名前がひとつも思い出せない。家族が誰一人思い出せなかったということは、付けていなかったに違いない。

雌はよく卵を産んだ。それを朝取りに行って食べていたのを思い出す。逃げてしまうこともないので、日中はずっと放し飼いで、暗くなり始めると家族の誰かがチャボを小屋に入れ、扉を閉めに行く決まりだったのだ。


その小屋というのが長方形の大きな木製で、木枠の扉部分は網が張られ、下部分をもちあげてつっかえ棒で閉まらないように開けておく様式だった。なので、閉めるときは開いている扉を片方の手で押さえ、つっかえ棒を取り外してから、ゆっくりと閉めなければ、バターン!と激しく落ちてきてしまい、これが子どもながらに少し恐怖でもあった。

2.事件だッ!

ある日、そんな恐怖も上回る事件が起こった。
その日扉を閉めに行く係は姉だった。姉は目が悪く、コンタクトになるまでは眼鏡をかけていた。なぜかその時、姉は眼鏡をかけずにミッションに挑んだのだ。うちの裏庭にはリビングのドアを開けて行くことができる。すぐそこに出て、扉を閉め、戻って来るだけ。だから眼鏡なんぞに頼らずとも、ミッションコンプリートだ。裸眼はその自信の表れであった。

姉はいつも通りに扉に手をかけ、つっかえ棒を握った。

”ん…?”

明らかにいつもと感触の違うつっかえ棒。日々握っているものは、それが例え、ただのつっかえ棒でも人間わかるものである。
普通ならここで目視できたのであろうが、薄暗さの中で武装解除していた姉は、その違和感を確認するべく、見えるようにぐっと顔を棒に近づけた。

その瞬間、しっかりと棒に巻き付いた大蛇と目が合ったのである。

大地も轟くほど雄叫びをあげながら、丸腰の姉がリビングに滑り込んできたのは言うまでもない。その日大蛇は見つからず、翌朝小屋の中でとぐろを巻いているのが発見されるのだが、その後の大蛇の行方として、姉と私は「ビニール袋に入れられた大蛇」、両親は「不明」、兄には、こんなことで連絡してくるなと言われることを予想したので未確認であり、意見が分かれに分かれ、当てにならない中年と初老の記憶力が露呈し、非常に気持ち悪さが残ったまま、迷宮入りとなってしまった。

3.THE・雄鶏

以前書いた記事「水着と紅」にも登場した祭りでは、その当時【ひよこつり】なるものが存在した。緑やピンクに色付けされたひよこたちが、かごの中いっぱいに入っており、あわのようなものが付いた小さな釣り糸を垂らし、食いつかせるのである。
いつ頃から目にしなくなったかは定かではないが、動物愛護の観点からすれば廃止も当然である。しかしながら、その当時は何店舗も立ち並ぶほどポピュラーな出店であった。

これもまた、誰が、いつ、といったあたりの記憶に家族の誰一人たどり着けなかったのであるが、ある日、カラーリングされたひよこが我が家にやって来た。この祭りから連れ帰られたのだけは覚えていて、私は“チャボのお友達がやってきた!”ととても嬉しかったのである。

このひよこもまた、名前を付けられぬまま、みるみる成長するのであるが、気づけば体はムキムキで真っ白。立派な赤いトサカを生やしたTHE・雄鶏になったのだった。そうだ、この時を経て、今名付けたいと思う。

【ブル中野】

現在の美魔女に変貌されたブル中野さんではなく、現役時代の彼女から襲名したい。なぜこの名前にしたかは、その立派なトサカを想像してもらいながら、これから書くストーリーを読んでもらえれば納得いただけるに違いない。
ブル中野(以下:ブル)※略早。は私の期待を裏切り、ひとつもチャボと仲良くならなかった。そればかりか、唯一いたチャボの雄鶏を追い回し、血が出るまで攻撃した。

何を試しても攻撃性はおさまらず、ブルはチャボとの同居が絶望的になった。そこで用意されたのは、なんと犬小屋だった。横開きの格子扉がついた、鉄製の犬小屋。闘犬の子犬でも入るかのような、そんな犬小屋。
チャボが放し飼いにされるときブルはそこへ、ブルが出るときはチャボも小屋へ戻る、交代制のシステムとなった。チャボの自由時間になり、屈強なブルが犬小屋からこちらを見ていると、鶏なのに圧倒的な威圧感があった。

しかし、ブルの圧倒的存在感はそれだけではなかった。

雄鶏として身も心も整ったブルは、いつしか早朝から鳴くようになった。「ゴォケコッコォォォーーーーーー!…オォウ」
ずいぶん独特だった。
語尾がこれでもかと長い上に、最後にオォウと鳴くのだ。私はなによりこの最後が気になったし、なぜか怖かった。
早朝からの連続的な雄叫びは相当うるさかった。案の定、近所から苦情が入るようになった。

4.その後

それからしばらくはチャボとブルの交代制が続いたと思う。
私の記憶はチャボとブルが小屋まるごと軽トラックの荷台に乗せられて、坂を上っていく光景で終わっていた。今回その記憶についても話を聞いた。

大蛇の出現や早朝からの雄叫びへの苦情が絶えず、もし飼ってくれる人がいればと知り合いを通じてお願いしたところ、街はずれで民宿を営んでいる方が申し出てくれたのだそうだ。

本来ならば責任をもって終生育てるべきところ、引き取ってくれたその方には、感謝申し上げたい。

当時のその後の彼らがどうであったか、調べてみたい欲にかられたのだが、ずいぶん昔にその民宿は閉業されたのだそうだ。

それを聞いて少し寂しくなってしまったが、私がチャボやブルと過ごしたあの時間は、忘れることのない、懐かしい幼少期の思い出である。

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