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水着と紅

私が小さい頃から今に至るまで、強く記憶しているストーリーの中でも、とびきり多いのが
【してやったりストーリー】である。

その原因にもなるのが、私のファッションかとも思われる。
幼い頃から母がブリンブリンのリボンのついたスカートなどを着せることを好まなかったため、当時からボーイッシュな格好が多く、ヘアスタイルも例の通りであった。(前2回参照)。

今でもどちらかといえばシュッとしたり、ボカっとした(なんて抽象的!)スタイルばかりに身を包んでいるが、本気を出せば人間なんて何者にでもなるんだぞ!!!とだけは伝えておきたい。
(その代わり、本気出してみろ!というご意見は受け付けておりません。)

外遊びが多く、虫捕りや竹馬、当時はアルミ製の高鉄棒も庭に置いてあり、そこにはロープが吊るされていたもんだから、ほぼ山猿と変わらないような遊び方をしていた。

当時は数えるほどしか履いたことがないスカートは、周りの目も気にせぬまま動く履き主のせいで、腰蓑こしみのと変わらない役割しか果たせていなかったのではないかと思う。

一体何をもって、してやったりだったのか…?
今回は、長年にわたる
【してやったりストーリー】の中から、2つのエピソードをお話ししたい。

エピソード1

当時、父がトライアスロンチームを作っていたので、いくつかの家族で集まって試合を応援しに行ったり、遊びに行ったり、年越しパーティーをすることも多かった。
私より小さな子から大きい兄ちゃんまで、15歳ほど年齢幅のある子どもたちが揃い、仲良く遊んでいた時期だった。実際はどれほどの年数よく会っていたのかも覚えていないが、幼馴染に近いような感覚がある。
そのうちの数人でどこかの海に行った時の話だ。

到着して間もなく、さぁ!!海だ海だ!遊ぶぞ!と意気込んで水着に着替え、浜辺に立った私を見て、すでに海に入っていた兄弟が言った。

「…おい、お前、なんでそがんと着とっとや?そいは女の着るやつぞ。」

とっさに理解することができなかったのだが、笑い転げる大人たちが話している内容を聞くと、どうやら何度も遊んだことのあるこの山猿を、兄弟は今の今まで同じ《男》だと思い込んでいたらしい。

幼子であれ、女心であれば恥ずかしくて泣いちゃう!といったところだろうが、私はそこで何故か、ひとつの"してやったり感"とでもいうような類の感情になったのだった。
更に言えば、アイデンティティーの中のひとつをそこで確立をしたようにさえ思う。

"男にも男だと思わせることができていたんだ!私…、女なのに!"

なんだそれ。とお思いだろう。
何とも表現しがたい感情なのだ。
しかし、私はこの後も色々な場面で、男女問わず、そう見られるたびに同じように思うのであった。

…まぁ、それ以前の話としては、私だって山猿が水着を着て出てきたら驚きますがね!

エピソード2

その日は地元で年に1度行われる祭りが最終日を迎え、市内全体が大変賑々にぎにぎしい雰囲気だった。

7年に1度、出し物の順がまわって来る【踊り町】と呼ばれるいくつかの地区の人たちを中心に、数ヶ月も前から準備・練習をして、本番3日間を通して、街中で盛大にお披露目されるのが、このお祭りである。
その年は、両親が店舗を構える地区が踊り町になっていた。

この地区の出し物は、全体でも数少ない御輿がメインであり、担ぎ手の他、大太鼓1つと櫓太鼓やぐらだいこ2つ、これを叩く子どもたちが数名ずつ立候補や親の推薦で参加できるのであるが、当時、我が町内で周知されていたのは、本来、男の子しか参加ができないということだった。

ところがこの年、なかなか子どもが集まらなかった。そこで「女の子でも参加して良し」という当時では異例の通達がなされたのだ。

その数年前には兄が櫓太鼓に選ばれていて、大阪遠征にまで行っていたものだから、私はこれが羨ましくて仕方が無かった。なので、それはもう待ってました!!!の状況である。
地元民でないとなかなか理解されがたいが、その祭りに出られるとなれば、血の気が通常の何倍も騒ぐこと間違い無し。例に漏れず、私もしっかり立候補し、最終的には、私と宝石屋さんの上品な娘さん、2名の女の子の参加が許された。

憧れの祭り。
気合いの入った10歳の私は、あろうことか見た目も演者に相応しくと、担ぎ手の男衆と全く同じように頭を刈り上げた。通称【くんちカット】。どなたにも理解してもらえるように説明するとすれば、小賢しく整えられていない、至ってシンプルなスポーツ刈りである。
身も心も本番へ向けて準備万端な少女がそこにはいた。

数ヶ月が経ったそんなある日、練習終わりの炊き出しの際(今では無くなったが、当時の奥様たちは家のご飯に、炊き出しに。とそれはそれは大変だったそう)それまでずっと傍らで見続けて来た自治会会長がポロリとこう言った。

「今年は2人女の子の来るって聞いとったばってん、1人しかおらんとねぇ…。」

"くぅぅ〜!してやったり!!"

当時は小学校3年生、水着の時よりはいくらか思春期なる気持ちも芽生えているのだが、やはり心のどこかで、私はしっかりとそう感じたのである。

その後、自治会会長の思い込みを誰かが訂正してくれたか否かは定かではないが、無事に最終日の演技を終えたその日、各々の地区の祭り参加者は、盛大な打ち上げを行う為に街へ繰り出していた。
衣装から私服へ着替えて向かうのだが、私は本番で塗ってもらった、いや、さしてもらったという表現しか、し得ないほど真っ赤っかの紅を、何を思ったのかどうしても落としたくなかった。

母もしたいようにさせてくれる人間なので、特に何も言わずにいてくれたように思う。(今となれば、本当は口の先端まで助言が出てきていたのではないか)
着替えだけを済ませて、家族と打ち上げ会場へ向かった。その口の赤さたるや、なるほど・ザ・ワールドの楠田枝里子も二度見すると思われる。

紅をさしたスポーツ刈りが颯爽と打ち上げ会場までの道のりを歩く。
そこのけそこのけ、紅をさしたスポーツ刈りが通る、である。

会場へ到着し、この数ヶ月を共にした同志たちのいるところへ。
入ってきた私を見た途端、大太鼓の子どもが一言。

「お前、何で口紅塗っとるとや?それ女がするやつぞ。(笑)」

本番もしっかりと紅をさした私を見ているにも関わらず、まるで今気づいたかのように言うのだった。
いや、きっと面白がってワザと言っているに違いなかった。だって、こいつは笑っていた。
でも…、衣装は男女問わずカラシ色の着物だったから、やっぱり錯覚したのだろうか?
いや、そんなはずはない、やっぱりこいつは笑っていた。

ボーイッシュな私服に身を包み、カチカチにキメられたくんちカットで紅をさしている私は、それでもやはりこう思った。

"してやったり!!“

-つづく-

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