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自殺を止めるのって自分のため?

(※少し強い言葉が含まれています)




自殺を止める理由


自殺しようとする人間を止める人、よくいるよね。
止めることを100%否定するわけではない。

SNSで死にたい人がどうしても目に入る。
そういう人達を止める人達がいるわけだが。

ぶっちゃけ止めるのって自分が嫌な思いをしたくないから、だと思ってる。

何もせず結果としてその人が死んだら、後味が悪いから?

本当にその人を思ってるなら、止めないんじゃないかな。
勿論全てがそうだと明言するつもりはないけど。

例えば自分の親友が本気で死にたがっていたら。
私なら恐らく背中を押すと思う。

例えば「受験・就活で失敗した」とか短期的な自殺願望なら止めるけど、数年単位に及ぶ長期的なものならそれを治す手段はもう存在しない。

自殺未遂の経験があるから、慢性的な死にたい渇望が理解できてしまう。

楽しいことを見つけましょう、だとか。
なんか美味しいものとかエステとか、お金をばーっと使って楽しいことをしましょうだとか。

そんなことしたって意味がないことは分かってる。
一瞬気が紛れても、すぐに自殺願望が湧き出てくる。

この苦痛がずっと続く。

躁鬱の感覚と似ていると思う。
美味しいものを食べて気分が良くなった後に鬱状態でテンションが叩き落とされる。落差がある分余計につらい。

無理矢理生かした猫


自殺を止めるのは、言ってしまえば
病気で苦しむ人間の安楽死を止める家族のようなもの。

自分達が悲しみたくないから、苦痛に耐える人間を生かし続ける。

家で飼っていた猫が病気で亡くなった時もそうだった。
無理やり点滴を打って生かし続けた親を見て
「こういう奴が命を軽んじるのか」と思った。
猫は何日もぐったりとして本当に苦しそうだった。
でも自分が悲しい思いをしたくないから最後まで無理矢理延命し続けた。

自分の欲求を満たすために命をもてあそぶな。

自分語りしだす馬鹿

自分のために死んで欲しくないなら
「あなたが死んだら私が悲しむから死なないでくれ」
そう言えば良いのに、一番キモいな思うのはよくわからん説教じみたことしだす奴。

以前書いた「弱者に一番厳しいのは弱者」と同じ属性の人間なんだろうね。

「死んだらあなたを育ててくれた人が悲しむよ」
「周りに迷惑がかかるよ」

だとか、親の顔より見たようなペラペラの定型文を送って気持ち良くなってる輩を見ると吐き気がする。

親が悲しむとか、自殺をする人間がその程度のことを考慮していないとでも思ってるのか?
そんなことは何度も考えて考えて、それでも結果として生きる苦痛の方が上回ったんだ。
そもそも何で親と関係が良好な前提なんだ?その想像力の無さがもう無自覚に人を傷つけている。

本気で死を考えた人間がそんな何の重みもない下らない説教なんてするのかな。

結局しょーもない説教垂れて、無意識に誰かにマウントを取って気持ち良くなりたいだけの浅い人間だなと思う。

挙句の果てに一番終わってるパターンは自分がいかにして苦しい境遇を経験し、そこから抜け出せたか自分語りしだす人間。
死にたい葛藤と戦ってる人間が、つまらない自分語りを聞いてどうなると言うのだろう?
その武勇伝には何の価値があるんだ。語りたいだけか?

一番よくあるパターンが「理解のある恋人に助けられて今があります」みたいなお花畑ストーリーを語りだす。
絶望の淵に立たされた人間に、自分がたまたま恵まれただけの話をして何の意味があるんだろう?

余計にその人を絶望に叩き落とすだけだと気づけないお気楽な性格ならそりゃ死ぬに至らない訳だ。

暴走した正義が一番厄介、の典型だな。
何の価値もない戯言しか言えないなら黙って見守ってあげるか、目障りならブロックでもすれば良い。

それだけ厚顔無恥な性格なら、なるほど、なんちゃってメンヘラは自殺なんてしないだろうな。
自分には関係のないやりとりでも、勝手に気分が悪くなってしまう。






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