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読書の効用


約135億年前のビックバン以降、物質、エネルギー、時間と空間が誕生し・・・更に原子、分子が誕生していきました。

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そして・・・約38億年前に有機体が誕生することになり、約20万年前までにホモ属が誕生し進化の過程を辿ることになりました・・・現代人類は農業革命⇒科学革命⇒超ホモ・サピエンス時代を迎えようとしております。

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7万年前に認知革命が起こりホモ・サピエンスによる文化がはじまったというのが・・・ユヴァル・ノア・ハラリ先生のサピエンス全史の冒頭です・・・
余談ですが、ハラリ先生は有機体はアルゴリズムの集積物であるとしていて、その活動状態を計測し、継続的にモニタリングすることで、その背後にある法則やアノマリーを炙り出す事が可能だとも言っております。

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※ユヴァル・ノア・ハラリ/サピエンス全史(上/下巻)

そして・・・世界最古の書籍と言われている(諸説ありますが)易経が約5,000年前に誕生しました。孔子や孫子や荀子など諸子百家の先生方も愛読していたんだそうです。

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※画像:wikipediaより

◯易経とは?

少し、易経について補足を加えて参ります。
易経の易という字はかわると読むことができます。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、実は易経は英語訳では『book of changes』なんですね。
変化の書という大変、興味深く魔術的な響きのある書籍ではありますが、易という字には光の変化によって日に十二回、体の色を変えるという意味が含まれているんだそうです。

ですので、この書物は「変化」について説かれた書物だと捉えて良いと思っています。また占いの書とも言われております。
ただ・・・存在は知っていても、日常生活で易経に触れる機会はほぼ、ないと思われます。先程述べました通り、占いの書と言われておりますが、実は易経を理解出来ていれば占う必要がないとも言われており、パラドクスを内包した不思議な書物でもあります。

そして、この変化の法則をわかりやすくあらわした「易の三義」というものがあります。

易の三義とは易という字に含まれる変易・不易・簡易の三つの意味のこと。

①変易:かわるものが更にかわっていくことを意味しており、あらゆる事物は常に創造変化であるということなんですね~

②不易:かわるものだがかわらないということを意味しており、万物の創造変化には必ず一定の理、法則性、根源が存在するということなんです。

③簡易:かわるものが、楽にかわる事を意味しており、その変化と一定の理を明らかにすれば、変易へと導くことができるということを現しており、この3つを合わせて易の三義と言うそうです。

易経はもともとは帝王学、すなわち王の書だったわけです。以前のstandfmで配信をしております通り、長らく書物というものは一般大衆のものではなく、一部の特権階級、権力者、聖職者のものであり、時の権力者の意向を反映させたものであり今のように自由にビジネス書や自己啓発書でお勉強が出来たということがない時代も長く続いておりました。
また、識字率や教養としての読み書きが出来るのもそれなりに裕福な家庭の出身やエリートたちが勉強して身につけている以外は読み書きも出来ない人もたくさんいたんですよね。

◯易経の 六十四種類の卦とは?

この六十四卦ですが、易で、八卦を二つずつ組み合わせてできる64の卦の事を指すそうです。
易経では、この六十四卦を占いの語や解釈として記しているわけです。私もまだまだ勉強中ですが、どうも乾為天という卦が最も重要だと言われております。
という字は天を意味しています。
乾為天は、2つの天が重なってできている卦という構成の様です。
強力な天のパワーにみちみちており、運気の上昇や飛躍・成功が暗示されているとも言われていますね。これは物事の理であり、表があれば裏があり、ペアコンセプトの様な感覚もございますがが・・・よい運気を表しているだけではなく大成功を掴むにはそれなりに、険しい山道、つまり試練が訪れるわけです。どうしても、気を抜く瞬間は人間にはありますが、油断・慢心をしてはならないという教えも秘められているんですね。

これは私のstandfmの配信や様々な読書体験から感じるところではございますが、思っていても行動に起こさなければ得られる果実も半減するな~といつも思います。読書の話で恐縮ですが、例えば、司馬遷史記列伝で「知ることが難しいのではなく、如何に知っていることに身を処するかが大切だし、それが非常に難しことなんですよ」と教えてくれてますし、
或いは、MITのメディア・ラボの創設者で計算機学者のニコラス・ネグロポンテ「知ることは時代遅れだ」とも言っています。

日々、読書体験を積んでたくさん知ることができても、如何に知ったことを私の文脈で言えば、子育てやビジネスの現場で活かして行くかを、よくよく考えておりますが、知っただけでは意味がないとまでは言いませんが、威力は半減するのだと感じます。

折角、自分の人生の貴重な時間というリソースを割いて、読書という創造性の高い行為をするのであれば得られたものを・・・例えば私であれば、standfmでリスナーさんのどなたかの気付きになるような配信に仕立てたり、日々の文脈で心穏やかに立ち振る舞えるかを何度と無く試行錯誤をすることで、段々、何者かに成っていく、そんな感覚をいつも感じております。

お話を乾為天に戻しますが・・・実は乾為天は・・・ 龍伝説のメタファーとして書かれているんですね。。地に潜んでいた潜龍が力をつけて、今度は飛龍になって勢いよく天に昇って行き、そして降り龍になるという龍の成長になぞらえて、人の人生、会社組織などあらゆるものごとに通じる時の変遷過程の原則を示しています。

個人的には、万物流転の法則を想起させれれます。
全ては変化し続けるのです。自然界だけでなくて、動物も、植物も鉱物も人間もですね。しかも、絶え間なく無間に変化し続けていますね。これは逆張り思考で言えば、万物は変化する様に予定説的に創られているとも捉えられますね。

ですので、読書体験でいえば、絶えず読書を続けて学び続けることが大切かと思っております。学ぶことや真似ることで自分自身が毎日変化をしている感覚がありますね。

これは少し言い過ぎですが、変化を止めることは万物流転の法則に逆らうことになるし、自分への学びも止めてしますので、変化出来ないんですね。

このエピソードはかなり有名ですが・・・

本田技研を世界のホンダに育てあげた本田宗一郎の共同創業者でもある藤沢武夫さんは、「万物は流転する」と語っておられましたし・・・

私の以前のヨシタケシンスケさんのりんごかもしれないの2回目の配信でも語りましたが、古代ギリシアの哲学者、ヘラクレイトス「万物の根源はみずである」そして、「万物は流れ去る」と言ったわけですね。
自然界は常に変化していて、人は同じ川の水に二度と入ることはないとも言っていますが、万物流転説の考え方では、この世界には永遠不変な存在などはなくて、全て形あるものはいつかは壊れてしまい、その形を変化させて流れ去ってゆくということになりますね。

ちなみに、パルメニデスは存在は決して変化しない何かであると言ってヘラクレイトスの主張と対立したとも言われておりますが、個人的には変化することも変化しないことも存在する様に思えてなりませんが、人間は常に生理学的にも自然科学的にも哲学的に考えても変化する動物の様な気もしますし、時代は間違いなく流れているような感覚がバイアスなのかもしれませんが常にあるので、自分自身がどう変わっていきたいのか?
何が変わって、何が変わらなかったのかを見定めていきたいですよね。

さて、古代における書籍は主に巻物が形式で、パピルスが使用されていたようです。※パピルスとは・・・

パピルスは、カヤツリグサ科の植物の1種、カミガヤツリの地上茎の内部組織から作られる、古代エジプトで使用された文字の筆記媒体のこと。

プトレマイオス朝時代には、エジプトの輸出品として各地に拡散した様です。このパピルスを切断して今の様な書籍の形式を提唱したのが、ユリウス・カエサルとも言われております。

ヨーロッパでは、紀元前6世紀には既にに書籍というものが流通していた様です。当時のヨーロッパでは哲学書、化学書などのアカデミックな領域の学問書が主に流通をする一方で、中国や日本では宗教=仏教に関する書籍も流通という言い方で良いのか分かりませんが登場していたようです。ご存知の方も多いと思いますが、まだ、グーテンベルクの活版印刷の発明よりだいぶ前ですので、まだまだ、手書きのものやその模写だったりと、全て手書きだった様です。

書籍が当時の人々の身近な存在であったことは間違い無いようです。これは、様々な書籍が語っておりますが、やはり識字率の向上は大きいですよね。大衆、民衆が文字を読める様になってきた訳ですし、読むのが楽しくなる。15世紀の前半には知的想像力の大爆発が起きたことが分かりますよね。

これは余談ですが、パーソナル・コンピューターの生みの親でもあるアラン・ケイは活版印刷技術を発明したグーテンベルクがタイトルにもある、マーシャル・マクルーハン著、「グーテンベルクの銀河系」を読んでパーソナル・コンピューターの概念を構想したとも言われております。

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1450年にドイツの金細工師をしていた、グーテンベルグは活字と活版印刷を考案し発明したと言われております。現代の印刷技術への影響も非常に大きいとされるイノベーションが起こった訳ですね。正に、グーテンベルグが印刷の父とも言われております。

これは歴史が語るところですが、過去のヨーロッパの歴史を見ても貴族やブルジョアが周囲の人々に自慢したいが為に、わざわざ屋敷に豪華な製本をした書物を陳列する本棚を据えた応接間をつくるとう贅沢極まりない本の扱いをしていた本目線で言えば黒歴史がありました。書物達から言わせればは鎖で繋がれていて身動きができない状態でして、人に読まれることもなく気の毒な状態です。そして、書物は長らくかんたんには民衆が持ち出せないという時代が続きました。本は当時は知識を保存しておくための貴重品という位置づけでだったので、現代の人の本への考え方、パラダイムとは全く違うものだったということですね

これまで膨大な書籍がこの世に生まれてきて、更に今も現在進行系で様々な書籍が日々発刊する世の中において・・・何を読んで、何を読まないのか?という読書に対するマインドセットが必須のリテラシーになりつつあります。そもそもこの世に書籍がある意味とは何なのか?我々は何故、書籍を読むのか?また書籍が何故、膨大に発刊されるのか?

書籍を読む前にこの様な抽象度の高くレイヤーを上げた問いに向き合う事で、日々のインプットが格段に良質なものに成ることは日々、実感をしております・・・


イントロはこの辺りで終わりにして・・・


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