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教育のあれこれ

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記事一覧

割られる数が分からなかった私

割られる数が分からなかった私

 ふと小学生の時に、割り算の文章題が苦手だったことを思い出した。なぜなら、割る数と割られる数がよく分からなかったからだ。文章題の時には、いつも適当に2つの数字のどちらかを割る数、割られる数に当てはめていた。

 ただ、その時に割る数と割られる数が分からなかった理由を振り返ると、その言葉自体がよく分かっていなかったことではないか、と思う。

割ら「れる」という受け身の形が、よく分かっていなかった。

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子どもの発する「不登校」という言葉

 漢字から受ける印象と、ひらがなも含まれる言葉から受ける印象が異なることは、よく言われることではないだろうか。

 先日、ふとした瞬間に生徒から「不登校の子たち」という言葉が聞かれた。その言葉を聞いた時、心が凍りつくのを感じた。あまりにも、機械的な言葉であるように思われたからだ。

 現在、クラスに1人以上はいると言われる「不登校の子たち」。どのクラスにも学校に行けていない生徒はおり、生徒たち同士

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大人と責任からの逃避

大人と責任からの逃避

 中学生の時、地球上のいろいろな問題を扱った。地球温暖化、戦争、政治…。習っていて思ったのは、どれも大人のせいだ、ということだった。
 私たちは、たまたまこのタイミングに、この地球に生まれたのに、責任を負わされるんだと思っていた。

 しかし、中3の秋頃、『故郷』を授業で扱ったとき、衝撃を受けた。
 主人公は結局、物事を正しく見れてはいないのではないかという思い。未来への希望を抱いているかのように

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部活動について思うこと

はじめに「部活動の地域移行」について、さまざまなメディアで、肯定的に受け取られている。私自身も、部活動を地域に移行するべきである、と考える1人である。
 しかし、同時に地域移行した時、生徒とのかかわり方に変化が出て、自分の生徒理解の方法を変えていく必要があることに気付かされる。

1)部活動があるから学校に来ていた生徒へのアプローチ 自分の中学生の時もそうだったが、学校は部活動をするために行ってい

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学校の先生は大変なのか

 昨今、教員の働き方のブラックな面に注目が集まっている。同級生と久々に話す時も、教員であることを伝えると「学校の先生は大変だよね」と声をかけてもらう。しかし、「学校の先生は大変」なのだろうか。
 私自身、「学校の先生が大変」であると感じているのは事実である。休憩が取れないほどの忙しさ、12時間以上も学校にいることがほとんどである。部活動も休日返上で働いているにもかかわらず、お給料といえるほどの金額

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失敗してもいい、という無責任

 教員としては働く中で、「失敗してもいい」「挑戦をしなさい」という言葉を生徒に投げかけることがある。実際、失敗から学ぶことも多い。若いうちに失敗をしておけるのは、年を重ねてから失敗するよりもダメージは少ない。

 しかし、「失敗してもいい」という言葉を使う時、同時に「立ち直り方」「挽回の仕方」を教えられているのか、自問自答している。
 生徒が失敗した時に、どうしたら良いか分からなくなって、失敗した

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