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20代で甲状腺がんになって2回も手術を受けた体験談

私が20代半ばの頃、甲状腺の乳頭がんが見つかりました。
がんと診断されてから
入院→手術→退院→仕事復帰までの体験談の記事です。



1.まだ20代なのに、がん?! ー甲状腺がん判明ー

20代半ばの頃、知り合いから首の皮膚の膨らみを指摘されました。
病院(耳鼻科)を受診すると、甲状腺に腫瘍が見つかりました。
精密検査を受けたところ
腫瘍は悪性であり「甲状腺 乳頭がん」と診断がつきました。

甲状腺のがんには5タイプありますが
「乳頭がん」は性質のよい、おとなしいタイプのがんです。
幸い転移はなく
甲状腺の腫瘍がある部分を切除すればよいとのことでした。

「まだ20代なのに がん?」と驚きました。

しかし甲状腺がんではめずらしいことではないらしいです。
また友人にがんで亡くなった子(後述5.)がいましたので
「あぁ次は私の番か」と妙に納得している自分もいました。

「腫瘍部分の甲状腺を取ればいいだけ。これもいい経験だ」と
このときの私には危機感がまだありませんでした。


2.手術は無事 成功 ー甲状腺を半分とるー

甲状腺がんの診断を受けてから
「どこの病院で手術するか?」と少し悩みました。
他県に甲状腺専門の病院もありましたが
3ヶ月以上待つとのことでした。

私のがんの場合「3ヶ月でぐんぐん大きくなる」
というものではありませんでした。

ですが「さっさと取ってしまいたい!」「早く終わらせたい!」
という気持ちが先立ち、今思えば冷静ではありませんでした。
腫瘍の場所が気管(空気の通り道)に近いこともあり
少し焦ってもいました。

結局、精密検査を受けた病院で、そのまま手術も受けることにしました。
よく考えもせずに「早く手術を受けれる」ことだけを優先しました。

診断から数週間後くらいだったと思います。
人生初の全身麻酔手術を受け、甲状腺を半分切除しました。
手術自体は問題なく、無事に退院しました。

「あぁ~終わった、終わった」というくらいの気持ちでした。


3.えっ?!また手術!! ー残りの甲状腺も切除ー

退院後の診察で衝撃的な話を聞かされました。

切除した甲状腺の端っこに がん細胞が見つかったというのです!
腫瘍部分とは別に、です。
主治医が色々な論文を調べたそうですが
私のような例は見当たらなかったと言われました。

がんが取り切れたことにはならず
「残った甲状腺にもがん細胞があるだろう」ということでした。
そのため
「もう1度手術をして甲状腺を全部、取り切った方がよいだろう」
というお話でした。

甲状腺乳頭がんで腫瘍が1つであれば
甲状腺を半分とれば済む場合が多いようなのですが
私の場合は違っていたのです。

「甲状腺を全部とる」ということは
甲状腺がなくなってしまうので
一生、甲状腺ホルモン剤を飲まなくてはなりません。

「半分とる」と「全部とる」では、
その後の人生が全然違ってくるのです。

このときは動揺しました。

話を聞き終わって椅子から立ち上がるとき
椅子の肘掛に服を引っかけてしまいました。
無理やり引っ張って
服が破れてしまったのを今でも覚えています。

ただ肘掛から服を外せばよいだけなのですが、
そんなことも思いつかないほど
余裕を失っていたのだと思います。


4.大ショック ー生きることに絶望するー

1ヵ月間に2度の手術を受けることになったわけですが
2回目の手術は何かとつらかったです。

2回目の入院の手術前日、
母とともに主治医から説明を受けました。

「少し性質の悪い乳頭がんだから、
今後、他の臓器のがんもできやすいかもしれない。」
「卵巣とか子宮の癌にも気を付けて」
と主治医に深刻な感じで言われました。

大大大ショックでした。

甲状腺乳頭がんはかなり性質のよい悪性腫瘍です。
医師によっては「甲状腺乳頭がんは悪性ではなく良性腫瘍だ」
と言う方もおられるくらいです。
10年生存率でも90%以上あり
「甲状腺乳頭がんで命を失うことはめったにない」と言えます。

しかし私の甲状腺がんは「乳頭がんとはいえ、性質が悪い」
ということでした。

本当にショックでした。
「どうせ私は死ぬのだから」と生きることに絶望していました。


5.不思議な体験① ー病気の友人たちー

どうやって絶望から脱したのか?
それは不思議な体験のおかげでした。

私が甲状腺乳頭がんになる半年前、
同年代の友人が病気で亡くなっていました。

悪性腫瘍だったのか、複雑な病気で何度も手術を受けていました。
それでも腫瘍の大きくなるスピードはすさまじく、
その子の命をうばってしまいました。
とてもいい子でした。

私が20歳すぎの頃、
潰瘍性大腸炎という病気のために夢を諦めた子がいました。
1日に何度も下痢、血便が出る病気なので仕事どころではないのです。
その子もとてもいい子でした。

その都度、思いました。
「なんで、こんないい子が病気になるのだろう?」
「この子が病気になるのに、なんで私はならないの?」
「私なら病気になっても我慢できると思う」
「この子ではなく、私が病気になればいいのに」とさえ思っていました。


6.不思議な体験② ー絶望からの立ち直りー

2回目の手術を受けた当日の夜、
手術自体は問題なく終えましたが
なんだかとても苦しかった覚えがあります。

体なのか心なのか、何の苦しさか不明でした。
手術後でなんだかボーっとしていたと思います。

夜うつらうつらと寝ていると、パッと急に光がさしました。
光がさした瞬間に、強い確信がわきました。
「あの子が助けに来てくれたんだ!」
「私はがんには負けない。大丈夫だ!」と。

なんとも言えない安堵感に包まれ、そのまま眠りにつきました。

翌朝、目覚めたら、あの苦しさはもうなくなっていました。
手術の傷は痛かったのですが、気分が晴れ晴れとしていました。
生きることへの絶望感はだいぶ薄らいでいました。

ここに理屈はまったくありません。
あったのは根拠のない確信です。
「大丈夫だ」という確信。

「何がどう大丈夫なのか」とか具体性はまったくなく
「とにかく絶対、大丈夫」でした。
「死なない」ではなく「負けない」でした。

「がんと闘う」という感じではありませんでした。
「何に負けないのか?」というのかもわかりませんでした。

あえて言うなら「絶望感に負けない」
「へし折れそうな自分の気持ちに負けない」
といった感じでしょうか。

体の内側から
前に進もうとする力がわいてきているのを感じました。


7.不思議な体験③ ー幸運な誤解ー

気持ちが前に向いたとはいえ
不安が消えたわけではなく、とても感傷的でした。

退院後の自宅療養期間中にたくさん本を読みました。
自分の中の言葉にならない想いを、本の中に探しました。
こうして想いを言葉に変換していくことで
心が整理されていくようでした。

何度も泣き、涙するうちに
感傷的な気持ちはいつの間にか消えていました。

柳澤桂子さん(生命科学者 / 作家)の本の中に
神秘体験みたいなことが書いてありました。
(その本の題名は忘れてしまいました)

私の不思議な体験は「まさにコレ(神秘体験)だ!」
と当時は思っていました。

しかし、だいぶ後になって気づきました。
「あの夜の光は、ただの懐中電灯の光だったのではないか?」と。

看護師さんが夜の見回りに来たときに
懐中電灯で私を照らしたのだろうと思います。

気づいたときには、もうすっかり絶望感は消えていたので
「幸運な誤解だったな」と思います。


8.仕事への復帰 ー忙しい日常ー

自宅療養期間が終わり、仕事にも復帰しました。
「甲状腺ホルモン剤を毎日、飲む」ということ以外は
病気の前と変わらぬ日常でした。

がんになったからと言って
「自分が変わった」とは思いませんでした。
「がんを克服した」とも思いませんでした。

ただ新たな想いが芽生えていました。
「命を与えられている」「生かされている」という想い。
命が自分のものではなく
「もらいもの」「giftギフト」という感じになりました。

そして思っていました。
「与えられた命を精一杯、生きなければいけない」
「生きている私にはそれができるんだから」と。

かといって
日常の行動が変わったのかどうかは、
よくわかりませんでした。

当時、仕事がとても忙しく
目の前のことをこなすのに精一杯でした。

そんな仕事に忙殺される日々が続き、
今度は過労で倒れてしまいました。
(この話はまた今度、記事にする予定です)

次の記事では
甲状腺がんを体験して得た教訓について話します。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました♪

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