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【歌から妄想してみた】最終回 ~渡月橋~君想ふ~ つづき

前回の妄想のつづきです。以下太字部分妄想。

 二日目、今日は嵐山観光をする予定だ。夕方は東京に戻る。東京に戻る前にもう一度だけ買い物をしたいので嵐山は午前中にいることになる。目的は山の木々が紅葉彩るさなかの渡月橋を渡ることだ。毎年、それを見ることによって今年も京都に来たなという実感と、今年もなんだかだと言って一年よく頑張ったという自分への励ましを少しではあるが覚えることができるのだった。
 自然の豊かさ、そして紅葉に彩られた嵐山は本当に心癒される。駅から渡月橋に行くまでに少しの間空いていたお茶屋にふと立ち寄る。そこから外を眺めていると外国人の方が多いことを改めて実感する。六年前、初めてここに来た時はあれだけの外国人はいなかった。今では私の行く先々には、中国語から韓国語、英語など様々な言語が飛び交っている。スタッフも言語に対応しているように思える。お土産屋のお爺さんだとしても、うまく中国語を使いこなしているのである。
 そのような変化にも関わらず私は、何も変わっていない。いつまでも太一のことを引きずって、毎年、毎年、こうして同じコースで京都を回っている。この前同じ会社の一個下の後輩の佐藤くんから食事に誘われた。同僚の恵美子から聞くと、佐藤君は私に気があると私が欠席した飲み会で話していたらしい。しかし、私は、予定が空いたらまた連絡するといって未だ連絡をしていない。
 もう太一はこの世にはいないことはわかっている。しかし、どこか気が引けるのである。太一ではない男の人と二人であったり、食事したりすることを。
 太一とは喧嘩別れしたわけでもないし、振られたわけでもない。だから、世界一かっこよくて世界一優しい彼への思いが残ったまま、彼に会えず、時だけが過ぎるということになってしまったのだ。結局のところ私は太一が大好きなのだ。
 でも、そんな太一はもうこの世にはいない。6年前の京都から帰ってからすぐ、雨が強く降る日の夜、彼が原付で左折時にトラックに巻き込まれたということを知って、病院にかけつけたとき太一はもう息を引き取っていた。そして、顔を見てはいけないと医師に言われた。太一の顔の原型は残されていなかったからだ。だから私は太一の顔を見なかった。というより、私のなかでかっこいい太一を失いたくないということの方が大きかった。葬式の時も彼の顔には包帯が巻かれていた。でも今思えばあの時見ていた方がよかったのかもしれない。そうすれば、混じりけのない彼に対する思いも少しは薄れただろうから。
 この6年間、そんな彼はいつも、ずっと、私のそばにいる。

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 渡月橋に着いた。実に綺麗な山の木々の紅葉を見ながらわたる。これを渡り、あの世があれば太一に会えるのだろうか。そのようなことを言ったとしても、ただの橋だ。ここを6年前に来て、渡るとき、太一は私の手を引いた。その光景が昨年よりも鮮明に思い出される。昨年は、仕事を頑張ったという自分へのねぎらいや、仕事を頑張っていこうという自分への励ましが聊かではあるが生まれた。しかし、今年はそれがちっとも生まれてこない。美しき紅葉に彩られた嵐山で私の手を引いて渡った太一に会いたいという想いだけである。しかし、それはかなわない。会いたいときに会えない。いつも心そばにある。でも太一を肌で感じ、触れることはできない。
 会いたいという想いだけが肥大してくる。そのような想いにさいなまれながらも、それを誤魔化そうと景色の写真を撮るなどの一応の観光はしたのであった。しかし、悲しくなった。
 京都駅に向かう電車のなかで、秋に京都に行くのはもうやめよう。そう心に誓った。しかし、また太一に申し訳なくなり京都に行くのかもしれない。
 そばにいる太一が、「もう僕のことはいい。」と一言でもかけてくれればそれでいいのだ。一言でも。一言その声をかけてくれれば、私は救われるのだ。佐藤君ともすんなり食事に行けるのだ。私はそのようなことを考えながら悶々と項垂れたように、京都の最後の時間、買い物をして過ごした。

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 お土産はスーツケースに入りきらないほどたくさんのものになった。そのほとんどが、抹茶のお菓子。そして、新発売、期間限定のものばかりだった。家に帰って荷物の片付けをしている私は泣いているのであった。
 「太一これから私どうしよっか…」部屋にある太一の写真に一人語りかける。

終わり。

これで、最終回の妄想が終わりました。最終回の妄想は良い思い出が強く残っている状態で恋人と死別してしまった女性の話。

彼女はなかなかその良い記憶を捨てることはできない。しかし、時は流れていくという残酷な事実が存在するという話です。彼女は今後どうなっていくのでしょうか。そこはあなたの妄想におまかせします。

この妄想を振り返ると歌詞に多大に引っ張られたということを思いますね。「いつの日だって君のことは忘れない。」や「会いたいときに会えない。」「いつになったらめぐり会えるのかな。」、「いつになったらやさしく抱きしめられるのかな。」、「いつもいつも君想う」などこの妄想内での彼女の姿は会いたい人に会えないということを繰り返す歌詞の姿を投影させたものかなと。

歌詞そのものを考えてみますと、片思いの歌だったりもするのではなどと思うわけですね。そうしてみると、死別という妄想を思い浮かべたのはこの歌に対する新たな視点かもしれません。

ということで、5回、僕の妄想にお付き合いいただきありがとうございました。どの妄想が一番心に響いたか、ぜひコメントにお寄せください。

古代ギリシアの哲学者タレスはすべての根源は水にあると言いました。しかし、僕の根源はつきない妄想にあるのかもしれません。

今後もつきない妄想をし続けていきます。

それでは。

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