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ヤンキーと幸福論

これは、僕の面白い友人の話である。彼は所謂元ヤンキー。かつては高校を1年そこそこで中退して無免許でバイクに乗り回すような生活を送っていたらしい。しかし、彼は現在大学生である。僕と同学年。しかも、他の人よりも本を多く読み、他の人よりも研究に没頭している、他の人よりも話すことは論理的で明晰である。なぜ彼はこのような変貌をとげたのだろう。数年前までは夜中に無免許でバイクを乗り回していた彼にいったいなにがあったのだろう。

彼は高校に入り病気を患い長期入院。その後全く勉強についていけなくなり、半ば学校に促されるかたちで退学をしたという。そこから、彼のヤンキー生活は始まった。地元のヤンキーの軍勢に入り、夜遅くまで遊びや悪事に明け暮れる生活。未成年でも飲酒や喫煙は当たり前であったという。彼は高校での居場所がなくなった自分の本当の居場所を見つけたかのごとく、ヤンキーの軍勢に2年間入り浸った。彼は今振り返ってみてもそのときは、自分を認めてくれる仲間に囲まれてすごく楽しかったと語る。そんな彼の姿を見ていた親は、彼のことをあきらめていたのか、彼が荒んでいくのに対してほとんど何も言うことがなかった。

そんなある日、彼はヤンキー仲間と遊んでいるときにある思いが突如として湧き上がってきた。「俺はこれからどうするんだ。」「俺ってなにしてんだ」という。今は昼間にバイトをし、夜は仲間と遊び呆ける生活が続いているが、いつまでもこれを続けられるわけではないだろう。そうした、彼の概算が、「これから」ということまた「俺は何者か?」という問を彼に芽生えさせた。

ヤンキー仲間にそのようなことを言っても、「知るか」と一蹴されることは目に見えているので、彼は仕方なく父親にその問を投げかけた。「俺って何者だ。これから何になるんだ。」。彼の父親は質問をなげかけられてもしばらくは何も言わなかったという。そして彼の父は、彼に自室の本棚から一冊の本を渡した。「ラッセル幸福論」である。彼の父親は渡した後に、「読んでみろ。」と一言だけ言って、後は何も言わなかったそうだ。

彼は父からもらった「ラッセル幸福論」を読み進めた。しかし、高校での勉強もまともにしていなかった彼は哲学書など読めるはずがない。初めて読んだ、「ラッセル幸福論」は文字を追いかけるだけであったそうである。そこから何も得ることがなかったのだ。ましてや、「俺は何者か。」や「これからどうしていけばよいのか。」などという問など解明できるはずがなかった。

しかし、彼にはある思いが芽生える。「学ばなければ。」という。この本を父が自分に渡した意味さえもわからないようでは、自分が立てた問など一生解くことはできないだろう。彼は次の週にはヤンキーから足を洗っていた。今まで飲み代やパチンコ代に代わっていたバイト代のほとんどを書籍に費やすようになった。彼は誰にでもわかるような哲学の入門書を何冊も読んだ後、ギリシャから現代まで1年間かけて、知らない単語や字を調べながら哲学書を毎日読み漁った。そして、彼は今まで嫌っていた勉強の根源が哲学にあることを知った。

哲学書を読み始めて、一年を迎えたある日。彼は思ったそうだ。「勉強がしたい。」と。そして、彼は次の1年を勉強に費やし、彼は中学のテキストから勉強を始め、そして高卒認定試験に合格。大学にも無事合格したというわけである。

大学に合格した彼は現在、自分の研究分野に没頭している。彼は学校の勉強をほとんど経験することなく、哲学に自身の学問の出発点を置いたことが自分にとって大きかったと言っていた。「すべての人間はうまれつき知ることを欲する」、彼の源泉にはこの哲学の根本精神がある。

彼は自分の研究分野を、読んだ本の知識を話すとき、非常に生き生きしている。また、彼の物の見方はいつも本質をついていて、面白い。そして、彼はいつも知を欲して、活力的に生きている。

「この勉強を先生が決めた方法でやって頭がよくならなければ、まともな人間になれません。」といったようなニュアンスで彼を責めていた、教師たちのくだらない御託はすっかり反証されたのだった。いったい彼らは何をみていたのだろう。

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