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日本の国家安全保障90年代

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#メディア

日本の国家安全保障90年代 71

日本の国家安全保障90年代 71

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

日本経済新聞 1990年代

1994年3月19日の社説「防衛問題懇談会に提示したい視点」

では、

「周辺諸国に脅威を与えないような自衛隊になるよう議論を深めてほしい」



外国を異様に意識し日本の防衛の弱体化を訴えている。

「基盤的防衛力構想は、表現は別としても、堅持されるべきだろう」



従来型思考の防

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日本の国家安全保障90年代 70

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

毎日新聞 1990年代

 毎日新聞は毎年、防衛白書や12月の予算策定時にそれを批判する内容の社説を掲載する傾向にある。

防衛白書については、まず前提としている国際情勢の認識に刃が向けられる。

「ソ連の崩壊によって、大規模進行の危機は去った」

との記述であるが、

毎日新聞の場合、ソ連が存在した時代から、緊迫情勢を

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日本の国家安全保障90年代 69

日本の国家安全保障90年代 69

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

読売新聞と朝日新聞 1997年/1998年/1999年

読売新聞 1997年

 1996年12月に発生したペルー・日本大使公邸占拠・人質事件について、

1997年2月3日の社説で、

テロリストの要求に屈しないペルー政府を支持し、

1997年2月19日の社説では、

日本のテロ対策が不十分であると指摘している。

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日本の国家安全保障90年代 68

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

読売新聞と朝日新聞 1996年

読売新聞における論議 1996年

 1996年2月3日の社説、「沖縄の『反基地』に揺れる日米安保」

では、

アメリカ軍用地に占める割合がわずか0,2%に過ぎない1坪共有地主のために、

冷戦後も緊迫感を増す情勢の中、

日本の防衛に不可欠な日米同盟を揺るがしてはならない

と、主張

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日本の国家安全保障90年代 66

日本の国家安全保障90年代 66

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

読売新聞と朝日新聞 1994年

読売新聞における論議 1994年

 1994年(平成6年)1月1日の社説

「自由主義・国際主義・人間主義 平和で活力ある21世紀に向けて」

では、

軍事紛争の発生が避けられないことであり、

国連だけでは対処不可能でアメリカ軍の関与が必要になる、

と主張している。

日本はこう

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日本の国家安全保障90年代 65

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議

第1章 マス・メディアにおける論議 1990年代

世帯普及率 1997年

山陽の広島県での世帯普及率は、

中国新聞が59,6%、

読売新聞が14,7%、

朝日新聞が12,7%、

日本経済新聞が5,5%、

毎日新聞が4,6%、

産経新聞が1,8%

となっている。

広島県も典型的な地方型の展開である。

山陰の鳥取県で

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日本の国家安全保障90年代 64

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議

第1章 マス・メディアにおける論議 1990年代

世帯普及率 1997年

首都圏のベッドタウンとして、

1950年の230万人、

1985年の人口550万強から

2000年には人口700万人へと急速に人口を増やし、発展した

埼玉県の世帯普及率は、

読売新聞が43,0%、

朝日新聞が24,6%、

毎日新聞が10,5%、

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