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勤続11年のち、無職1年。そして転職した今~初めての転職活動体験記~

私は遠回りで不器用な人生を歩んできた。

本命高校は落ちるし
本命大学に受かったたものの
大学院進学か就職かでしばらく揺れ動いていた。
何十社も受けて、エントリーシートや履歴書を書きまくっていたのに
働きたい場所で内定はもらえなかった。

大学卒業後に就職する予定の場所の内定を蹴ったのが大学四年生の二月末で
大学卒業後に通う福祉の専門学校に行くことが決まったのは
卒業式を控えた数日前だった。

 
私は融通がきかなかった。

「何かが違う。」と思ったら、様々な場所に行き、たくさんの人に会い、やるだけやり 
納得いくまで答えを探す。

代わりに
思い立ったら吉日で、心さえ定まれば行動は非常に早い。

 
全ては私の心次第、だった。

 
 
福祉の専門学校でも再び様々な施設に実習やボランティアに行き
私は就職先を探した。
一般就活と異なり、福祉施設への就職は実習やボランティア先で気に入られたらすぐ内定がもらえた。 

実際、私は「うちで働かないか?」と
実習先全てで言われた。
ボランティア先も、求人が出ている場合は同様の反応でビックリした。

 
大学時代、あんなに一般就活で内定をもらうのに苦労したのに
専門学校時代は内定はすぐにもらえた。
福祉の人手不足問題をヒシヒシ感じた。

 
だが、私は内定をもらえても就活はやめなかった。
納得いかなかったのである。

 
私の某実習先であり、一番働きたかった施設は
新卒採用しないことで有名な場所だった。
施設長から「パートで働かないか?」と繰り返し言われていた私は
「正職員でなら働きたいです。」と伝え
求人をギリギリまで待っていた。
クラスメートが次々に就職先を決める中、私は施設長からの連絡を待っていた。

まぁ新卒採用しない施設だし、諦めて他で働くか…

と、第二希望施設の面接を一週間後に控えていた頃(面接を受ける場合、内定は既に決まっていた)
まさかの本命施設から、内定をいただけた。

 
新卒採用をしない施設が、新卒採用をした

 
ことは私にとって奇跡でしかなかった。
学校側も非常に驚いていた。

 
 
こうして私は、学校卒業後、本命施設で働き出した。
障害者福祉施設だ。
仕事は色々あったけれど、私は施設が利用者が同僚が保護者が大好きで
仕事はやりがいだった。
職場は私の居場所だった。

退職する気はないまま、時は流れた。

私は新卒で新規事業二つの責任者(主任)を任された。
10年以上働いている同僚と同じ主任のポジションになり
仕事をバリバリこなしていた。

 
仕事を辞める時は、倒れた時や倒産の時だろう。

 
私はそう思っていた。
施設に骨を埋める気だった。

 
私の願いは、利用者と毎日健やかに笑顔に過ごすことだった。

私の夢は、結婚しても仕事を続けることだった。

 
だけど、私の願いも夢も叶わなかった。

 
私は12年関わりがあり、11年働いた施設を、辞めざるを得ないことになった。

 
辞めたくない!と強く願いながら、退職届を出した。
辞めないで!と強く引き止められた。

 
私の退職は、絶望的なものだった。
私も利用者も保護者も同僚も、泣いて泣いて泣きまくった別れだ。

 
それが、2020年春のことだ。

 
 
新たな夢を見つけての退職ではなく
大好きな場所や人との別れを引きずりまくっていた私は
すぐに転職する気は起きなかった。

貯金と退職金がある上、失業保険をもらえたら
金銭面は当分は困らない。
マイペースに月に数えるほど転職活動をしていた。

 
退職の経緯が経緯だけに
私は「また働かないか?」と施設側から連絡が入るのではないかと期待を捨てられなかった。
実際、退職後も利用者や保護者や同僚から連絡は入ったし
「戻ってきてほしい。」と何度も言われた。

 
戻れるものなら、いつでも戻りたかった。 

 
毎朝、出勤できるような時間に起きる生活は変わらなかった。

 
 
退職した私は、毎日note等SNSを更新することにした。
毎日楽しさや笑顔を忘れずに過ごしたかった。

 
毎日運動し、SNSを更新し
家事を手伝い
田畑の手入れを手伝い
読書をしたり
県内をちょこちょこ出掛けつつ
時々転職活動をする日々が半年以上続いた。

 

 
私は障害者か障害児施設、高齢者施設のデイ、学童、福祉や心理関係の仕事を探していた。

正職員で、日勤で異動や夜勤がなく、ハイエースの運転もやらずにすみ、管理者以外の仕事で、基本給は●万円以上で、自宅から●分以内、リハビリや運動に特化した場所で、よくを言えば給食があって、土日休みか日曜日と平日休み……と、考えていた。

  
コロナ禍での就活は、業種によっては非常に厳しかったようだが
福祉業界はビクともしなかった。
万年人手不足の業界である。

 
私は合同面接会や見学会で、100%内定をもらえた。
引く手あまたとはこのことだ。

私は勤続10年以上で介護福祉士とサビ管を持っている。初めての転職活動である。
それは福祉の転職において強みであった。
ただし、それ故に現場希望なのに管理者採用に話がすり替わりやすく、悩みの種でもあった。

私は呑気だった。 
妥協さえすれば、福祉の仕事ならば100%見つかる。

 
今すぐ働く必要はなかった。
だから、私はひたすらに地道に転職活動をした。
働いてすぐに辞めたくなかった。
だから検討し、吟味し続けた。

 
持ち家だし、家族仲は良好だし
失業保険は思ったより早く、長く、高い金額がもらえた。
2019年の自然災害と2020年のコロナの影響だった。
その他にも、思いがけない臨時収入があった。

 
不思議なことに、去年はお金に恵まれた。
年間の収入は一昨年と著しくは変わらなかった。
今までは遊びまくっていたが
コロナ禍により、お金を使う機会が減った。
だから去年、収入は下がったが、年間貯金額が社会人時代とそんなには変わらなかった。


去年はいっそ婚活をするか、と婚活をした時期でもある。
コロナ禍ではあるが、できる範囲で色々なことをした年でもあった。

 
 
私はかつて週6勤務もザラでサービス残業もザラで
毎日何十人もの人と関わる日々だったが
人は環境に慣れるもので
まったりとした無職生活に私は徐々に慣れてしまった。

 
結婚しても働きたかったが
専業主婦もありかもしれないと本気で思った。

 
そうは言っても
現時点で結婚の予定がない三十代無職の私は
働くしか選択肢は許されなかったが。

 
 
私がようやく少し焦りだしたのは
年内に転職が決まらなかった時と失業保険が打ち切られた時である。

求人情報は適度に見ていたし、内定はもらえていたので
なんだかんだ言いながら、年内に転職できると思っていたが
諸事情により、内定辞退した。

 
親からのプレッシャーは徐々に強くなったことや
前職の施設から「また働かないか?」と言われない現実を思い知らされ
私は2021年3月か4月までに、転職を目標にした。

 
今年の1~2月はとにかく攻めた月だった。
手帳は真っ黒けになった。

だが、転職活動に励んでも相変わらずで
可もなく不可もない会社や施設からすぐに内定をもらえ
私はどこか気乗りしなかった。

転職活動を頑張っても頑張っても
条件や希望が合わず
納得がいかなかった。

仕事はたくさんあり、施設や会社からいい返事がもらえるのに、心は定まらず、私はこのままずっと仕事が決まらなかったらどうしようかと不安にもなった。

 
妥協するしか道はないのか…
なんでこんなに、心から働きたい!と思える場所がないのか……
妥協すると私はすぐに逃げ出すパターンだしな…
前職に戻れないしな………連絡はないしな…
いっそ資格取得すべきか……
と悩んでいた2月頭に

 
 
私はその施設に、出会った。

 
 
 
今年の2月にハローワークで、気になる求人を二つ見つけた。

A施設は、私の事細かな条件がほぼ一致していて、目を疑った。
怖いくらい希望条件が合いすぎた。

 
B施設は、仕事内容が非常に魅力的だった。条件もまぁまぁよかった。

 
今まで見てきた求人の中で、めちゃくちゃ気になる求人が二つもあるなんて驚きだ。
残り物には福がある…ではないが、私が退職してからその二箇所から求人が出たのは初めてだ。

福祉施設は万年人手不足なので、何ヶ月も求人出っぱなしはザラだし、一度求人が引っ込んでも再度求人が出ることもザラである。

 
 
私はまず、A施設を見学した。

福祉施設での就活や転職活動の場合、見学会を実施しているケースは多いし、実施していなくても、申し込むと色々分かるのでオススメである。

 
見学した時点でいくつか引っ掛かりを感じたが
話を聞いてみて想像以上によかった点も多々あったし
SNSを見ても、魅力的だった。

家族にその施設のメリットやデメリットを話したが
親から見ても、その施設はめちゃくちゃよかったらしく、「そこにしなよ。」と言われた。
確かに、これほどの好条件はなかなかないと思うくらい、条件はよかった。
見学含めて感じたことは、「悪くはない。B施設見学してから、応募するか考えよう。」だった。

 
福祉施設の職員は、そうそう決まらない。
あくまでも私にとって好条件だっただけで
一般基準からしたら、A施設の職員はすぐに決まらない自信があった。

 
仕事内容的には、B施設が気になった。
私は本命はB施設だった。
実際、A施設の後にB施設を見学したが
業務内容としては、こちらの方が魅力的だった。

 
私はB施設を見学した日に応募を決め、履歴書を出したが
見学日の時点で実は他者に内定が出ていることを知らされ
B施設で働くことは叶わなかった。

 
A施設…
確かに魅力的なんだよなぁ…
いくつか引っ掛かりはあるが、条件的には、一年間の転職活動において、一番好条件すぎる…。
…好条件過ぎて怖いな。デメリットが入社してから出てきそうだ。

 
だが、B施設から、既に内定者がいると知らされた日
私はハローワークに行って、A施設への紹介状をもらった。
他にも気になる求人はいくつかあったが
やはりA施設とB施設が圧倒的によかったのだ。
まずは、A施設とB施設の面接を受けてから、他を受けたかった。

 
通常、福祉施設は書類選考と面接日は同じ日だが
A施設は書類選考をまず行った。

  
慎重という意味では、A施設のその対応が嬉しかった。

 
 
書類選考が無事通った後、私は面接日を迎えた。
面接部屋には、三人の職員がいた。

今まで、私の内定は面接者一人と話して30分以内に決まった。
サビ管と介護福祉士と10年選手だからだ。
履歴書はろくに見られなかった。
見られたのは、資格と経歴だけだった。

 
だが、A施設は違った。
事前に私の履歴書や職務経歴書を読み込んだらしく、三人から様々なことを事細かに聞かれた。
私の受け答えに頷いたり、紙にメモしたりしていた。
更に

「何故11年働いた仕事を辞めたのですか?」
「退職後、約一年は何をして過ごされていましたか?」

と、聞かれた。

 
…………私は涙が込み上げた。
私はそれを聞かれて、嬉しかったのだ。

 

今まで、ハローワークや転職サイトの担当者等には聞かれたが
私はただの一回も、見学会や合同面接会に参加したり、面接を受けた施設や会社でそれを聞かれなかった。
 
私は一年間の無職中、転職活動中
ずっとそれを聞いてくれる施設や会社を探していた。待っていた。
それを聞いてくれた施設や会社に働くことを決めようと内心思っていたくらいだ。

 
退職理由と長引く転職活動こそ、今の私自身であり、私の心そのものだった。

 
もちろん面接で全ては話せないが
私は私を見てもらえた、知ろうとしてくれた、その上で採用を検討してくれたと感じた。

 
一時間以上の面接の後は
職場体験があった。
利用者との関わり方や様子を、面接官は間に入ってじっくり見ていた。

 
面接と職場体験は半日に及び
私はA施設を後にした。

 
後日、他の方の面接も入っているらしく、結果は数日かかると言われたが
面接日、私は晴れ晴れとした気持ちだった。

働けたらそりゃありがたいが
何が何でも働きたいという気持ちはない為
落ちてもまだショックさは少なかった。
それよりも、退職理由や退職後の私について聞いた面接官がいたという事実が
私を嬉しくさせた。

 
面接から数日後、私は内定をもらえた。
採用の電話がもらえた時、私は嬉しさと安心感を感じた。

 
「3月から、働くことが決まったよ。」

 
私がそう告げると
父は、今朝私の夢を見たと打ち明けた。
父は私の夢はまず見ないのだが
その夢で私は笑っていたらしい。

 
「だから、なんとなく今日、内定の電話が来て、その職場はともかにとって悪くない場所なんじゃないかなって思っていた。」

 
父はそう、言った。

 
 
「おめでとう!!!」

母は私を抱きしめてきて、私はウルッとしてしまった。

退職後、私は何故かたまに無性に母に抱きしめてほしくなった。
無職独身三十代の出来損ないの娘である私を
ありのまま受け入れてほしかったり
愛されたかったのかもしれない。

小学生以降、母に抱きしめてもらいたかったことはなかった。
もう大人だし、「抱きしめて。」なんて言えるはずもなく
でも何故か、仕事を辞めてから私は
ずっと抱きしめてほしかった。

 
だから、仕事が決まり
素直に嬉しかったし
父親が私の夢を見たと聞き
母親に抱きしめられた時

私はこの選択は間違っていなかったと感じた。

 
 
前の職場でやり手の職員が退職し、転職すると
大半の人がすぐに辞めた。
早い人は三日で辞めた。

私もめちゃくちゃ働きたい場所での仕事ではなかった為
他の同僚と同じようにすぐに辞めそうで怖かった。

 
だから、内定をもらえたことは両親にしか言わず
姉にさえ、しばらく言わなかった。
友達にも、しばらく言わなかったし
まだほとんどの方には言っていない。

 
記念すべき、初出勤の日
私は夜眠れなくて、ご飯もろくに食べられなかったけど
利用者は初日からみんなかわいかったし、優しかった。

仕事を開始した週は、馴染めなかったり、悔しさや悲しさもあって、帰り道に泣いたりもしたが
二週間目から、少しずつ余裕ができてきた。

 
物覚えが悪い私はとにかくメモをとりまくり、場合によっては写真をとり、質問しまくった。

初出勤までに職員の名前は全て覚え(シフト表を事前にもらったから)
仕事はじめ一週間で利用者の顔と名前は全員覚えた。

 
福祉の仕事は、名前と顔が一致しないと始まらない。
私は話しかける時は名前を呼びかけながら話し
コミュニケーションをはかろうとした。

 
そうして少しずつ仕事を覚え
利用者や同僚と距離を縮め
今に至る。

まだまだできないことや分からないことは多々あるが
毎日できることは確実に増えているし
任される仕事も増えた。

 
「真咲さんの気持ちは本当によく分かるよ。」

 
面接官の方が二人、私にそう告げた。

 
彼等は私と同じ世代で、大手施設で働いていた方だった。
大手施設だからこそできたこともあるが
年々ズレを感じてきたそうだ。

 
施設内で私が二番目に若く、全員が福祉屋として10年以上働いているベテランだ。

施設の作業や活動は幅広く、取り組みはやはり素晴らしく、「もしも私が施設長になるなら、こんな施設がいい。」というものが、おおよそ形になっていた。
私が思いつかなかった取り組みやルールも多々あり、私は非常に感心した。

 
みんなが、同じ傷を持った仲間だと思った。
私含め全員が、転職組だ。

今の職場は、みんなが大手施設や前職で学んだことを活かした取り組みや日課を作ったのだと思った。

 
 
「職員が仕事を楽しまないと、利用者も楽しめない。まずは仕事を楽しんでね。」

と、先輩職員複数に言われた。

 
 
「真咲さんは、毎日楽しそうに見えるわ。仕事はどう?」

入職して二週間が経ち、施設長は一時間半以上、私の話をじっくり聞いてくれた。
ありがたかった。

 

  
福祉の仕事は、福祉はよく分からないが、お金儲けで参入してくる企業も多いが
福祉の仕事を愛していることが伝わる職場だった。

 
 
働いてみて驚いたことが
職員同士が仕事中に無駄話をしたり、悪口や陰口を一切しないことだ。
職員は、同僚や利用者や保護者や仕事関係者の悪口を、職場で一切言わなかった。

怒鳴り声も、悪口も、パワハラもそこにはなかった。
人間がたくさん集まっているのに、平和そのものだった。

 
 
また、地域の人がめちゃくちゃフレンドリーで優しい。

散歩等で私は毎日外で何らかの仕事をしているが
毎回誰かしらに声をかけられた。
地域性もあるだろうし、地域と施設の関係も良いのだろう。

 
とにかく活動や作業の種類が豊富で、毎日日課が異なり
覚えることは多々あるが
夜眠れなくなったり、食べられないことはない。
仕事はじめは疲れてバタンキューだったが
今はだいぶ心身のバランスが整い
毎日ほどよい疲れと達成感を感じて
非常に充実している。

 
とにかく利用者はかわいくて、毎日笑って過ごせている。
同僚曰く、「今まで新人職員が入ると利用者が不安定になったり、馴染むまで時間がかかったが、真咲さんはすんなり馴染んだ。」らしい。

確かに私は最初から利用者で苦手な方は全くいなかった。
前職で学んだことが活かせている部分はあるだろうし
更に仲良くなっていけたらいいなと思っている。

 
気づけば、働き出して一ヶ月が過ぎ、初給料をもらえた。
給料袋は施設長からの手渡しで、「一ヶ月お疲れ様でした。」と言われ、泣きそうになった。

 
骨を埋めたいと思った職場を離れるしかなかった頃
無職で転職活動をしていた頃
こんな未来が待っているなんて思わなかった。

 
一年間無職をしていても
再就職したらしたで心身は環境に馴染み
今のところ無遅刻無欠勤で
私は社会人として働いている。

 
 
今の時点では、転職先はホワイト企業で非常に恵まれていて
私はここの職場に出会うために今まで色々あり、一年間無職だったのだと感じる。

 
…ただ、前職への未練は未だに0ではない。 

 
 
私の今の目標は、今の職場で仕事を頑張り
できることや知識や経験を増やしたい。

そしていつか、前職で出会った同僚や利用者や保護者と堂々と再会したい。
笑って再会したい。

 
その願いがあるから、今の場所で私は働けている。
私は今の職場で利用者と笑い、毎日そばで過ごしながらも
前職のみんなを忘れていない。

 
それでも今はとても満たされている。
前向きな気持ちで穏やかに過ごせている。
毎日笑って、ささやかな幸せを噛みしめている。

 
 
今の私と幸せは
無職時代にたくさん話を聞いてくださったり
支えてくださったみなさんがいたからあるものです。

家族、友達、SNSを通じて出会った皆様に
大変感謝しています。

 
本当にありがとうございます。













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