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距離感と信頼感~人間関係を考える~

私が高校一年生の時の、最初の数学の時間が忘れられない。

 
 
数学担当の先生はスタイルがよく、爽やかでイケメンだった。笑顔も白い歯も素敵だ。
20代後半だったと思う。
細身でありながらほどよい筋肉質で、身長も175cmくらい、スーツがよく似合っていた。
まだ未婚だったが、美人の料理上手の彼女がいるだろう。いてもおかしくない。

 
最初教室に先生が入ってきた時、私はラッキーだと思った。

私の高校はマンモス校だ。
先生は300人いた。
だから同じ科目で隣のクラスだろうと
教科担当は違うのが当たり前だった。

 
 
他のクラスの数学担当と比べて、圧倒的イケメンだった。
高校一年生の頃、クラスにイケメンはたくさんいたが(四天王と呼ばれた。他クラスが見に来るほどのイケメンがゴロゴロいた)
先生は年上だし、大人の魅力やスーツの威力や先生という立場が加わり
よりかっこ良く見えた。

 
私はテンションが上がりながら先生を見つめ、先生の話を聞いた。
ときめいていた。
私は確かにときめいていて、先生が好きだった。
だが、その気持ちは一時間ももたなかった。

 
「君達はね、人を利用していいんだよ。」

 
………利用?

 
 
「生徒は先生を利用していい。自分のために人を利用しなさい。授業で分からないことを先生に聞いて、先生をどんどん利用して、成績を上げてください。」

 
 
初回の授業は先生のその言葉で締めくくられた。

 
 
 
私は苦虫を噛みつぶしたような顔になった。
一気に先生が嫌いになった。

言わんとしてることは分かるが、「分からないことは遠慮なく、先生に聞いてください。」でいいじゃないか。
「人を利用する」って発言を先生が生徒にするのは問題じゃないか。
利用するしないで人を区別するのか。
先生は有名な東京の大学卒業らしいが
国語や道徳の学びが足りないのではないか。

 
 
私はその先生の発言が気になっていたが
気にしていたのは周りで私だけだった。

 
先生の授業自体は分かりやすかった。
何度見てもイケメンだ。
もちろん生徒人気は高い。
バレンタインデーも山積みのチョコレートをもらっていた。

だが、私は相容れなかった。
人を利用するという発言をする先生に教わりたいことはなかった。

 
 
私の高校は進学校であり、露骨な学歴偏重主義だ。
成績優秀者はあらゆる面で待遇され、成績で権利を勝ち取れたり、区別されていた。

私は学年の中で一番上位クラスにいた。
授業のスピードや難易度は桁違いであり、私は高校に入ってからみるみる成績は下がった。
勉強しても勉強しても、ついて行けなかった。

 
期待された上位クラスだったからこそ、数学もまた力が入っていたのだろう。
我がクラスはガンガン進められた。
なるほど、クラスメートの子は分からない問題は先生に聞きに行っていた。
先生も優しく教えていた。
私はその姿を遠くから見ていた。

そのクラスメートの子は確かに成績上位者だ。
先生の言い方を借りれば
先生を利用して、のし上がった。
内申書や大学受験を考えれば、クラスメートの子のやり方や生き方が正しいのだろう。

 
だが、私は先生に個人的に質問できなかった。
質問=利用みたいで嫌気がさした。
先生の利用主義に反しているくせに、先生に関わったら
ミーハーな先生ファンみたいだし
先生を利用しているみたいだし
そう見られたり、思われる自分が嫌だった。
自分が自分で嫌だった。

 
 
高校時代、クラスに私の好みの女の子がいた。

小柄で、白雪姫のようなフワッとゆるい天然パーマで、おしとやかで、天然で真面目で、柔らかい笑顔の優しい子だった。
頭もよかった。

  
その女の子は私にとってアイドルのような存在だったが
彼女は数学の先生が好きだった。

  
担任の先生が、集団カンニング事件でクラスで激怒した時、彼女は泣いていた。
そんな彼女を慰めたのが数学の先生でもあった。

 
面白くなかった。

  
私は単純に、嫉妬もしていたのだと思う。

 
 
 
高校一年生の終わり頃、私は数学が50点位だった。

先生を利用もしないし、独学で点数も稼げない私は
数学の先生ウケは良くなかった。

 
 
 
高校二年生~高校三年生の時の数学の先生は年配の先生になった。 

 
進級に伴い、ランク落ちしたクラスになり、文系になった為
クラスのみんなの数学のモチベーションは低かった。

 
だが、私は気が楽だった。
こちらの先生は人を利用しろとは言わなかった。

イケメンでも若くもない。
教え方が特別上手くもない。
だけど私は、こちらの先生の方が好きだった。

高校一年生の春休みに家庭教師をつけ、高二最初の中間テストで90点以上を叩き出した私は
数学の先生に気に入られていた。
それが私も分かったから、こちらの先生には質問した。
いい関係が築けた。

 
私は文系私大コースの数学トップ者として、二年になってから一部で有名になった。
一年生の時に人を利用できなかった私の意地だ。
嫌いな人のやり方に従わなくても成績が上げられると
私は証明したかった。

 
私立クラスと国立クラスはレベルが桁違いだったが
文系クラス300人の中で、私は数学ならば最高位で9位まで登りつめた。
嬉しかった。

下克上を果たしたと思った。

 
 
 
 
私は今まで人を利用するしないで考えたことはなかったし
先生は寂しい考えだと思っていたが
私は大学時代に一番仲が良かった友達と、ひょんなことからこんな会話になる。

大学に入学して間もない頃だ。

 
友達「人間が付き合う基準は、利用する価値があるかないかだろう。利用価値があるから付き合うんだよ。友達関係はまさにそれだよ。」

 
私「そんな…利用するしないで、私は人と付き合うとか考えたことないよ。
友達は、一緒にいて楽しいとか面白いとか、その人が好きだからそばにいたい……そういう感情で付き合うんじゃないの?」

 
友達「一緒にいて楽しい思いをさせてくれるから、一緒にいるんだろう。それが利用価値だよ。自分にとって利益があるからだ。」

 
私「人は物じゃないんだよ?会社でもないんだよ?利用とか利益とか、友達とか人に対して使う言葉じゃない。聞いた方は嫌でしょ?少なくとも、私は嫌だ。私に利用価値があるからそばにいるって言われたみたいで嫌だ。」

 
友達「その通りだよ。お前に利用価値があるから私はそばにいる。利用価値は褒め言葉だよ。怒ったり、嫌がることじゃない。」

 
私「褒め言葉………?」

 
友達「何を嫌がる?お前にとって私も利用価値があるからそばにいるんだろう。需要と供給が合っていて合理的じゃないか。人同士の繋がりは愛じゃない。損得で人は動くんだよ。」

 
私「…………。」

 
友達「気づいているか、気づいていないかだけだよ。表立って言葉にするか、しないかの違い。偽善者ぶるなよ。何かしらの得があるから人同士は繋がっている。お前が認めなかろうが、それは事実だ。

人は利用し合っている。関係が破綻するのは利害が一致しないからだ。」

 
 
 
………私はショックだった。

高校の先生だけじゃなかった。
友達さえ、人を利用する、と言った。

 
 
私は悲しくなった。
人と人の繋がりは愛とか情とか共感とか尊敬とか、一緒にいて楽しいや嬉しいや、そんな価値観で繋がりがあるのではないのか。

  
私が無自覚なだけ?
私は私で人を利用している?
私は偽善者?

 
打ちひしがれた。
お互いに分かち合えない溝を感じた。

 
 
そういった考え方の人もいる。

私はそれを知った。
そして考えさせられた。

自分と他者の捉え方の違いや言葉の選び方、感じ方の違い、意識と無意識の差を
私は考えさせられた。
高校時代、そしてこの時に「人を利用する」という言葉の強さを私は思い知ったし
私の抗いやこだわりや嫌悪感を
言われてから思い知った。

 
 
偽善者かもしれないが
だがその考えを先生が生徒に、友達が友達にあえて言うのは
私は正しいとは思えなかった。

賛成はしない。
寂しい人だと内心思い、私は一線を引いた。

 
 
私が求めている人間関係は
損得じゃない。
利用なんかじゃない。

 
私は人に「私を利用して。」なんて絶対言わない。誰かに「あなたを利用している。」とも絶対言わない。

 
 
そう心に決めた、18歳の春だった。

 
 
 
 
 
 
やがて私は大人になり 
人間関係で一番大切なのは距離感と信頼感だと感じた。

 
どんなに好きであっても
物理的や心理的な距離が合わないと上手くいかなかった。

 
物理的距離とは
単純にお互いの家の距離というのもあるが
パーソナルスペースも含める。

お互いに無理をしないでほどよい頻度で会える距離に住んでいることが大切だ。
会うためにお金や時間を膨大に使ったり、交通手段が限られていると
親密さを築くのは難易度が高いと思った。

 
また、パーソナルスペースも大切だ。

一人はベタベタ体を触ることが好きだが、もう一人は触られることを好まない場合
お互いに無理を強いられ、ストレスになる。

一緒に過ごす時にこの価値観が合わないのは致命的である。
同性同士でもそうだが
男女間で異性が好意から身体的接触を図っても
タイミングややり方次第で、関係は瞬く間に崩壊する。

 
 
連絡の頻度や距離感も大切だ。

片方がマメ過ぎたり、片方がズボラであったりすると
関係性を深めることは難しい。
たまに会う仲ならばズレも構わないかもしれないが
長続きする身近な関係性は
連絡の頻度がお互いにほぼ対等である印象を受ける。

 
 
 
更に、大切なのは信頼感である。
個人的には好意より信頼感が重要だと思っている。

好意と信頼感は伴う場合もあるし
伴っていたら最高だが
決して=ではないので、ここを軽んじていても関係性は上手くいかない。

 
親しき仲にも礼儀あり、である。
関係性や好意に甘えていると、人間関係は修復できないほどのヒビがあっという間に入る。

 
信頼関係を築くのは時間がかかる。
だが、崩れるのは一瞬であったりする。

 
 
 
以前、「信頼関係はどのように築くか?」と聞かれたことがあり
私はこのように述べた。

①挨拶を自発的にする。
相手と目を合わせ、笑顔で聞き取りやすい声でする。
公的な場合は立ち止まり、挨拶をする。
歩きながらや、お辞儀しながらといった、~ながらの挨拶は好ましくない。

 
 
②約束(や時間、ルール)を守る。
一度口にした約束は守る。
何らかの事情で果たせない場合は、早めにこちらから伝えて詫びたり、行えない理由を伝える。
後日、別の形で誠意を見せる(別日に約束をし直す、別日に行動する、プレゼントする等別の行動で埋め合わせをする)。

※約束を果たせなかった際、周りから言われないからと何事もなかったようにすると、信頼度は下がる。
誰かに指摘されたり、注意されてから、途端に言い訳を並べたり、開き直ると、信頼度は下がる。

 
 
③TPOに合わせた服装をする。清潔感を心がける。

容姿云々よりも、場に適した服装やメイクをしていることが大切であり、それらを守っていても、清潔感を感じない身なりであると、信頼度は下がる。

キチンとしていない、不衛生であるという印象を持たれると
その後の関係や付き合いに制限がかかる可能性が高い。

 
④会話のキャッチボールや相手の価値観を大切にする。

内向的な方や外向的な方、話をするのが好きな方や聞き上手な方…と様々だが
基本的には人は話を聞いてほしい生き物である。

 
一方的に話し過ぎず、話を聞きすぎず、質問し過ぎず 
お互いにテンポよく会話ができると望ましい。
話す姿勢よりも、話を聞く姿勢を意識的に見せた方が好印象である。

 
また、会話をする際に、自己主張ばかりして、相手の意見を否定してしまうと、信頼度は下がる。
自分と違う意見であっても、「そういう考えもありですね。」という姿勢を見せない場合、人は話す気をなくしてしまう。

 
会話の際、正しい正しくないを人は求めていない。

【話を聞いてもらいたい】
【話をしたい】
【私を分かってほしい】

が最重要になるので、悩みや愚痴を言っている相手に過剰な正論やアドバイスは逆効果になりがちである。
相手に寄り添って共感する姿勢、聞く姿勢が最も大切である。

 
※ただ、どんな話でも、いついかなる時でも相手の過剰なペースに合わせて話を聞きすぎると
依存性が高まってしまい
聞き手側が病み、話す側も調子に乗りやすいので
距離感がやはり大切である。

 
 
⑤笑顔で穏やかである。

いついかなる時でも笑顔で穏やかなことは難しいが、関係性や距離感に合わせて
本音と建て前を上手く使い分ける必要がある。

相手が笑顔で穏やかな場合、こちらも安定した気持ちで付き合うことができる。
笑顔は人にうつるからだ。

 
ぶっきらぼうな口調や不機嫌な表情、態度が続くと、気持ちが冷めてしまうし
批判的であったり、傲慢であったり、人を見下したり、気分屋であったりする言動が目立つと
人は関わりたくなくなって、距離を置かれてしまう。

 
 

 
 
私が①~⑤までをいついかなる時でもできているかといったら、できてはいない。 
ただ、意識的に行おうとは思っている。
それが誠意であり、信頼に繋がると思っている。

  
公的な関係はともかく
プライベートで距離感や信頼感の問題を感じた場合
私は人間関係を見直すべきだと思っている。

 
好きだからといって
相手に悪気がないからといって
全てを受け入れ、許すことはできない。

私の器は小さいのだ。

 
 
そして逆に、友達や身近な誰かと関係がこじれた時は
私は①~⑤ができているかを見直す。
好意や関係性に甘え過ぎていないか考える。

私は自分を責めてしまいがちな傾向があるが
もし私が①~⑤までをできていたなら
相手が怒っていたり、不誠実な態度は
私云々ではなく、相手の問題なのだと考える。

 
 
利用する、しないでは、私はやっぱり人間関係は考えられない。

距離感と信頼感。

これが私が30年以上生きてきて導いた
人間関係に一番大切なことだよ。

 
 
 
私は私を大切にしてくれる人を大切にしたい。
私を大切にしてくれる人を大切にすることは
私自身を大切にすることでもある。

 
私は好きだったり、関係性にとらわれて
尽くし過ぎて身を滅ぼしがちだ。

 

 
自分の心身を大切にしたい。
健やかに穏やかに過ごしたい。

仕事では仕方ないが
プライベートにおいては
自分のストレスになる環境や人とは距離を置く勇気を持っていたい。



 











 



 
 
 
 
 






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