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私と本屋。

私が物心ついた頃から、毎週必ず行く場所がある。

本屋である。

私は本屋がなかったら生きていけない。
本屋があるからこそ、今生きていると言っても過言ではない。

 
 
私の家には書斎みたいな部屋があった。
20畳くらいの部屋だ。
その部屋は北側と西側に扉があった。
西側の扉はドアノブがついていて、北側の扉は引き戸だった。
西側の扉を開けると
図鑑や画集や事典や小説といった大人向けの本が
本棚にギッシリつまっており
部屋の西と南に配置されていた。

北側の引き戸を開けると
近くにはピアノがあった。北側にピアノがあったのである。
部屋の東側には仕事机と椅子が置いてあり
絵本や童話が並べられた巨大な本棚と
私や姉が赤ちゃんの頃からのアルバムが何冊も並べられた棚があった。

 
 
私は物心がついた頃から
暇さえあればその部屋に入り浸っていた。
まだ自分の部屋がない時代、あそこは一人、もしくは姉と二人で過ごす部屋だった。

文字を覚える前から
私は絵本を読んでいたし、アルバムを見ていたし
文字を覚えたら覚えたで
やはり私は絵本を読みあさっていたし、アルバムを見ることが好きだった。

 
ピアノがあるので姉が弾き
私はそれを聞きながら歌ったり、踊ったり、BGMにしながら本を読んだ。

 
私と母は人前ではピアノを弾かないタイプだったので
一人の時にピアノを弾いて過ごした。
ピアノは母の嫁入り道具らしく
母は大切にしていた。
 
 
 
幼稚園の頃にはすっかり本の虫になり
小学校に入ってからは自宅の本では飽き足らず
図書館や図書室でも本を借りた。
貸し出しカードにはみるみる私の名前が刻まれていく。
それを見るのもまた、快感だった。

 
小学生になると、近所のスーパーの建物の中に本屋Aがあったので
よくそこで本を買ってもらったし
お年玉でも本を買っていた。
本屋Aは白髪混じりの眼鏡をかけた60代くらいの男性が店員で
私はすっかり顔馴染みだった。

 
 
思春期に突入し、与えられた四畳半の自分の部屋は
机とベッドとタンスと本棚しかなかった。
狭い部屋でいかに本を置くか。
私の頭はそれしかない。
本は順調に増え、タンスにも本を置き、タンスの上にも本を置き
収納ケースや段ボールにもひたすら本をしまった。
部屋の本は中学生で500冊を超えていた。
全くもって可愛げのない数である。

 
私は自分の部屋の収納に限界を感じ、空き部屋にも本を置くようになる。
姉も同様だった。
むしろ、姉がしていたから私は真似たのだ。
二歳年上の姉の本の所持数は
もちろん私よりもすごかった。

 
私と姉はこの頃から二人で、宝くじが当たったら庭に書庫を作る夢を語り合った。
敷地内にはまだ建物を建てるスペースがあるし
ろくに使っていない倉庫を改築するでもいい。
その夢はいまだに変わらない。
ただし、宝くじはそう簡単には当たらない。

 
 
本屋Aはスーパーごと閉店になり
やがて別の大手チェーンスーパーがその場に建った。
別のスーパーが入っても、そこに本屋が入ることはなかった。
建物の内部はリニューアルされたし、駐車場も大幅に変わったのだ。

本屋閉店の寂しさを味わったのは、私がまだ15歳に満たない頃であった。

 
 
 
中学に入学してから、週に二回学習塾に通うようになった。
その学習塾の近くにはセブンイレブンと本屋Bがあった。
私が初めて漫画を買ったのが、このセブンイレブンだった。

 
本屋が大好きな私達姉妹は、セブンイレブンや本屋Bで立ち読みをしたり、購入したりし
本の楽しみがあるからこそ、塾を頑張れたとも言える。

我が家からも本屋Bは近いので
塾がない日もよく行った。
家族とも行ったし、友達とも行ったし
もちろん一人でも行った。
当時は400円を出せば漫画が買えるどころか
お釣りがもらえた。
390円時代である。
片手に400円を握りしめ、レジで本と一緒に差し出す。
快感である。

 
やがて本屋Bは100mくらい離れた場所に移転した。
移転先は、1階も2階も本屋であり
平屋の本屋しか行ったことがなかった私は
はしゃぎにはしゃいだ。

 
 
だが、やがて本屋Bも閉店してしまう。
気づいた時にはシャッターが降りて、貼り紙が貼ってあった。

 
 
 
受験が終わり、街中の高校に行くようになった私は
とにかく本屋に囲まれた。
駅ビルには本屋が二箇所、通学路の途中にも五箇所あった。
つまり、高校と駅の間に七箇所の本屋があった。
選び放題、読み放題、買い放題である。
私は本をジャンジャカ買った。

 
中学生の頃は図書室に鍵がかかっていたし
小学校ほど品揃えはよくなかった。
高校の図書室もあまり品揃えはよくなかった。

 
小学生の頃は図書室と図書館で本を借りていた私は
本不足になり
高校時代の友達から小説や漫画を借りるようになった。
高校はマンモス校であり、友達はたくさんできた。
クラスの友達はヲタク率が高く
お互いに様々な本を貸し合った。
エクセレントである。

友達から本を借りつつ、小説を買う量が増えたのが高校時代だ。
ちょうどその頃、地元にブックオフもできたので
ブックオフも大いに活用した。
高校近くにもブックオフがあったので
まだバイトをしていないあの頃は
中古でもよく本を買っていた。

 
 
18歳になり、私は車の免許を取得した。
更に、他県の大学まで電車通学していた為、定期券も手に入れた。
免許証と定期券を持つことで、行動範囲は更に広かった。

まず、本屋Cに行くことが増えた。
自転車で片道40分くらいかかり、たまにしか行かなかったが
車と免許を手に入れた私はウハウハだ。
本屋A、Bが閉店してしまった以上
我が家から一番近い本屋はCなのである。
二階建ての本屋で
私はルンルンしながら店内を見て歩いた。

 
本屋Cの隣はファミレスで、よく友達と女子会をしていた。
ファミレスの隣はうどん屋で、よく家族と外食していた。
女子会の後は一人本屋に行き、外食の後はササッと本屋に寄らせていただいた。
私は本屋を見ると入らずにいられない症候群である。

 
大学に行くまでの道のりでは、本屋が五箇所あった。
エクセレントである。
大学までは電車で一時間半かかるため、途中下車すれば更に本屋があった。
電車の窓から本屋が見えて、ついつい途中下車したことも一度や二度ではない。
新しい本屋を見掛けたら、チェックせずにはいられないのである。

 
 
 
大学生になると、東京をはじめ、他県に行く回数が格段に増え
私は東京や他県に行くたびにまた本屋に寄った。
友達と待ち合わせする30分~一時間前に待ち合わせ駅に着き、本屋を物色したり
友達と別れた後に本屋を物色する。
友達といる時に物色する場合ももちろん多々ある。

 
面白かったのが
本好き三人を含めた四人で集まった時
私含めた三人が同じ行動をとったことだ。
待ち合わせ前に本屋二箇所でバッタリ会い
解散後、三人ともまた別の本屋に向かった。
お互いに干渉はしない。
本屋で一緒にちんたら本を選ぶなんて無粋だし、付き合わせて申し訳ない。
お互いにマイペースに本を愛で、待ち合わせに間に合うように本屋を出て、解散したらまた各自本屋を求めるのだ。

四人中一人は、「理解できない。」と言った。
理解などしなくていいのだ。
真似も習得も必要ない。
これは本好きの一部に見られる特性なのだ。
 

 
私は各本屋のブックカバーが気になるタイプなので
まるでお土産のように各地で本を買った。
やはり本好きではない友達は、何故地元ではなく、観光地でわざわざ本を買うのかが理解できなかった。

地元に売っているし、荷物になる、と。

本の重みとここでしか手に入らないカバーは
私にとってとても幸せだ。
常にバッグには必ず本を一冊入れているが
本が二冊、三冊になっても無駄にはならない。
レジ袋有料化する前から
私は常にエコバッグとビニール袋をカバンに入れていた。
本を買いすぎた場合はエコバッグに入れ、雨が降った日はビニール袋の中に本をしまうのだ。

本が濡れるくらいなら私が濡れる。
本は私が守るべき愛しい存在なのだ。

 
 
 
やがて、私は学校を卒業して社会人になった。
勤務先は、今まで行ったことがない地域だった。

その勤務先から我が家に帰るまでの間には
書店Dがあった。
今までも時折行ってはいたが
就職を機に、行く回数は激増する。

通勤路の間に、本屋はそこしなかったのである。

 

 
書店Dによく行くようになってからも
たまに書店Cに行っていたが
社会人になって3年くらいしてからその道を通ると
気づいたら書店Cは閉店していた。

これで地元店の本屋が
私の知らない内に潰れるのは3回目である……

私は落胆した。

 
 
 
世の中は本屋に厳しい時代へと変わっていった。

ネットの普及などにより
読書離れが加速したこと。
電子書籍化により
本を買わない人が増えたこと。
Amazon等の通販が盛んになり
本屋で本を買わなくてもすむこと。
コンビニでも本が買えること。

  
本屋は弱肉強食のサバイバル時代へと突入していく。

 
 
街中にはTSUTAYAが目立った。
Wonder Gooもだ。
所謂、本屋+CD屋(+α)で
本屋はどんどん潰れていくが
TSUTAYAやワングーはどんどん増えていった。

 
我が家の近くにもできた。

 
私ももちろんTSUTAYAやワングーにもよく行くが
私はやはり、生粋の本屋が好きだった。
○○書店という、本だけで勝負する店が好きだった。
更に欲を言えば、建物内に本屋しか入っていない本屋が好きだった。

 
だが、風向きは完全にTSUTAYAやワングーだった。
学生時代、書店Dでバイト募集をしていた時
とても惹かれたが、できなかった。
時給が安く、シフトはハードだった。

バイト…労働条件にしても
本屋よりもTSUTAYAやワングーの方が有利と言わざるを得なかった。

 
 
 
書店Cが潰れた時期を前後して
高校時代や大学時代に通った本屋が次々に閉店した。
もしくはTSUTAYAになった。
まだ残っている本屋もあるが
1/3~半分は潰れたり、別の本屋…主にTSUTAYAになった。

 
 
 
久々に高校や大学方面に用事があり、ついでに近くの本屋に寄ろうと立ち寄った瞬間に

 
シャッターや閉店のお知らせ
改装
別の店になっている現実

 
を見せつけられ、私は何度も心をえぐられた。
たかが数ヶ月、目を離した隙に
別れの言葉も言えず
思い出の場所は消えていく。

  
 
 
それでも私は、書店Dがあるからまだ大丈夫だった。

私は仕事帰りに毎週、書店Dに寄った。
基本的に寄るのはその週の最後、金曜日か土曜日だった。
一週間仕事を終えた私の最大のご褒美が本屋だった。

週末は予定が入ることもあったので
そんな時は木曜日に寄ることにしたし
仕事で嫌なことがあった日は
週はじめでも本屋に寄った。
好きな本の発売日にも寄った。
近所にシャトレーゼや寿司屋やイオンがあるので
そこに寄る時にもついでに寄った。

つまり、最低週に一回
場合によっては週一回以上寄っていた。

 
 
書店Dは私の聖域だった。
本を買う買わないではなく、ただそこに行くだけで癒やされた。
特に買う本がなくても私は立ち寄ったし
予定以上に本を買った日ももちろんあった。

 
個人的に漫画や小説を買うのが主だが 
それだけではない。

甥っ子への誕生日プレゼントに絵本を買ったり
資格取得のために問題集を買ったり
仕事のためにピアノの楽譜を買ったり
お弁当を作りたくて料理レシピ本を買ったり
旅行に行きたくてるるぶを買ったり
好きなアーティスト目当てで雑誌を買ったり

もした。

 
私の生活に非常に密着していた。

 
 
 
書店Dの隣はCDショップで、私はよくそこにも寄っていたが
私が社会人になって数年後、やがて閉店した。
近隣のCDショップ、最後の砦だった。
これでCDを買うのは、TSUTAYAかアマゾンかワングーしかなくなった。

 
本屋の隣では、看板の外された空の建物が残った。
そこはいまだにどの企業も入らない。

 
 
 
やがて、本屋の隣の隣の隣のお店の酒屋が閉店した。
じわりじわりと追いつめるように、本屋の近隣のお店が潰れていく。
その酒屋さんも潰れてから、どの企業も名乗りを上げず
空の建物だけが残った。

 
 
そんな中、書店Dの室内に文具屋さんが入り
本だけでなく、文具屋も売るようになった。
個人的には本のみ販売の本屋が好きだが
仕事で文具屋をよく使う私は、文具屋があると確かに実用的ではあった。

だが、文具屋が入ってから5年もしないうちに文具屋は撤退し
また本屋のみになった。
看板から文具屋の名前は消えた。
色々大人の事情だろう。

 
 
 
仕事をしていた11年間、毎週そこに立ち寄っていたが
今年の春に退職してからも、私は書店Dに行くことを止めなかった。 

 
仕事をしていない私に、もはや週末のご褒美は必要ない。
今年に入ってからは、大抵月~水曜日に行った。
書店D方面に予定があったのが月~水曜日が多かったのもあるし
コロナウィルス対策のため、土日祝日は基本的には完全に引きこもった。

 
今年、レジ袋有料化が始まってからは
袋を断り、エコバッグに本をしまった。
考えてみれば、レジ袋有料化初日に行ったお店も書店Dで
本をエコバッグに入れる時の段取りで苦戦した思い出がある。

 
家には書店Dの袋は山ほどあり
よく友達に何かを渡す時にその袋を使用した。
書店Dの袋と同じ模様のエコバッグも、レジ横で発売されたが
迷った挙げ句に手を出さなかったし
実際売れ残ってもいた。

書店Dはほとんどのお客さんが車で来る。
エコバッグを忘れても、なくても
本が数冊ならばそのまま両手か片手で持ち
助手席にそのまま置けばいいだけだった。

 
 
 
こんな日々が続くと思っていた。
こんな日々が続くことを願っていた。

 
 
 
だけど、8月のある日、お店の入口やレジに貼られた閉店のお知らせを私は見つけてしまった。

 
息が止まるかと思った。 

 
 
動きが止まった私は、貼り紙を何度も見返した。
9月に閉店である。
何度見ても9月に閉店で

この日がやってきたか………

と、私はうなだれた。

 
 
 
閉店の予定を知りながらも、私は残された日々を大切に過ごそうと
書店Dに通った。
店員さんは電話で誰かに閉店の件を告げていた。
逃れられないことなのだ。

 
現金なもので
閉店のお知らせをしてから
あっという間にエコバッグは完売した。
たくさんの人が思い出の品として購入したのだろう。

 
 
 
閉店の日は就活が入っていたので
私は夕方に本屋に訪れた。
外は雨だった。
今までは他の本屋の最後を見届けられなかったが
今回は閉店日に絶対に行くと決めていた。

 
 
その日は雨にも関わらず
お客さんがひっきりなしに入ってきた。
店内はたくさんの人で溢れていた。
地元に愛された本屋だったのだ。

 
私はたまたま買いたい漫画や小説がたくさん売っていたので手に取り
ぐるっと店内を歩いた。
店内は何回も改装していた。
その記憶が蘇る。
ここの本屋はどの本がどこにあるか
私は配置をバッチリ覚えていた。

この本屋が今日、なくなる………。

 
私はレジで
小説にカバーをかけてほしいと伝えた。
それに、有料袋に本を入れてほしい、とも。
エコバッグは持っていた。
だけど今日は今までのように
馴染み深い袋に本を入れたかった。

 
 
店員さんは私を覚えているか知らないが
私はここの店員さんを覚えていた。
今まで、新刊入荷しているかどうか等しか話したことはないが
私は初めて話しかけた。
最初で、最後だ。

私「今までありがとうございました。」

 
店員「ありがとうございます。……お客様も、どうかお元気で。」

 
私「………今まで、お疲れ様でした。どうかお元気にお過ごしください。」

 
 
私は会釈をして、本屋を出た。

 
別の店員さんは遠くで、台車を使って大量に段ボールを運んでいた。
他のお客さんも別れの挨拶をしたらしく
お互いに頭を下げていた。

 
 
私は車に乗り込んだ瞬間に泣いた。
あの段ボールに売れ残った本や備品を入れるのだろう。

 
この本屋がなくなる。
今日をもって、なくなる。
建物は残るかもしれない。
でも、本も棚もレジもみんななくなる。
店員さんは仕事がなくなる。
お客はもう店内には入れなくなる。

もうここで本を見ることも買うことも、私はできなくなる。

 
 
人は「コロナウィルスだから仕方ない。」と言うだろうか。
 
それは分かっている。
無職の私が周りを心配している場合ではないのかもしれない。
それでも私は涙が止まらなかった。

 
私の聖域。
仕事で頑張った私を癒やしてくれる空間。

それがここだった。
ここだったのに。

 
 
私は車内から店をもう一度見た。
雨足は強くなるばかりだった。

今までありがとう。
大変お世話になりました。

さよなら。
大好きでした。

 
 
私は泣きながら車を走らせた。
私の力ではどうにもならない別れがある。

今年はそんな別れがありすぎる。

 
 
 
 
家に帰ってきてから、私は本を読む前にしおりを眺めた。
書店Dでもらってきたしおりだ。
胸がいっぱいで、買った日に本は読めなかった。

 
 
シルバーウィークの四連休は雨。
コロナウィルスもあり、外出はままならない。
 
私は本屋に思いを馳せながら
しおりを本に挟んだ。

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