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ポジション取りのクズたちによる、ポジション取りのゲーム『ディアスキン 鹿革の殺人鬼』

前回の『ラバー』に引き続き、もう1つだけ、カンタン・デュピュー の作品を紹介したい。殺人タイヤに負けず劣らず、強烈なインパクトのある鹿皮製品が登場する映画、『ディアスキン 鹿革の殺人鬼』だ。

地位も名誉も金もない、なんにでもない情けない自分

物語の主人公は、妻に捨てられ、銀行口座も凍結された、一文無しの孤独な中年男(ジョルジュ)だ。ジョルジュは車を走らせ、ある男の家へと向かう。立ち寄ったガソリンスタンドのトイレで用を足すと、何を思ったのか着ていたジャケットをおもむろに脱ぎ、小さく丸めて便器の中へと強引に押し込もうとする。そのまま、水を流すと逆流し便器から大量の水が溢れ出てくる。なんとも迷惑な話だ。浮いてくるジャケットを執念深く、何度も便器の底へと足で踏みつけ押し込むと、何もなかったかのようにそのままトイレを後にする。自前のジャケットに相当な不満があったのか、男の異常なまでのジャケットに対する恨みがあらわれている。

高価な買い物

長時間のドライブを経て、目的の男の家へと辿り着くと用意された例のモノを見せられる。鹿革100%のジャケットだ。それもイタリア製のものらしい。ジョルジュはジャケットを試着すると、姿見の前から離れない。後ろからは紙幣を数える男の声が聞こえてくる。なんと7500ユーロもするそうだ。1ユーロ157円で換算すると、ざっと117万だ。おまけにデジタルビデオカメラも付けてもらう。買い物を済ませると男は、古びた宿で部屋を借りる。

鹿革を身につけることで特別な存在になった気になる。

部屋に着くと真っ先に姿見の前に立ち、鹿皮を身につけた自分の姿に酔いしれる。しかし、多額の現金を預金から引き出した為、共同名義の口座は妻によって凍結され、宿場代が払えず指輪を担保に先送りしてもらうことにする。宿の近くの酒場を1人で切り盛りする、ウェイトレスのドゥニースと出会い、ジョルジュは、映画製作をやっていると軽はずみな嘘をつく。初めは何気なく外の風景や、ジャケットとの会話を撮影しているだけだったが、やがてドゥニースを巻き込みスナッフフィルムを撮ることになる。

差異を恣意的につくり自らの地位を上げる

ジョルジュは、ドゥニースと映画製作をする際、必ず彼女にジャケットを脱ぐように指示をする。それは映画に出演する役者に対しても同様に行われる。役者に出演料とし金を握らせ、ジャケットを脱がせる。そして「生きてる限りもうジャケットは着ない」と言わせると、持って来させた自前のジャケットやらアウターやらブルゾンやらを車のトランクに入れさせる。恣意的な差異をつくりだし、自らの地位を上げるためだ。そことで得られるものは優越感だけだ。

夢は「ジャケットを着る唯一の人間になること」

ジョルジュは、ジャケットを手に入れた後も次々と鹿革の製品を集める。ハットは、自殺した宿の受付係の男が身につけていた物を盗み、ブーツは、ドゥニースから騙し取った制作費の金で買い、ズボンと手袋は、彼女からのプレゼントだ。こうして、ジョルジュは全身に鹿革製品を身につける。まるでハリウッドセレブの仲間入りでも果たしたかの様だ。ジョルジュの夢は、ジャケットを着る唯一の人間になること。そして次々と殺人をしては、ジャケットを奪っていくのだ。

ポジション取りのクズはジョルジュだけではない

映画のラストシーン、ジョルジュは車を走らせ、見晴らしの良い丘陵に立ち、ドゥニースに「俺を撮れ」と指示する。特別な存在となった自分を誇示する様に、ジョルジュが両手を広げると銃声が響きジョルジュはその場に倒れる。ドゥニースは近くへ駆け寄るとジョルジュから手袋とジャケットを剥ぎ取る。そして、ジャケットを着た自分にカメラを向け映画は幕を閉じる。ポジション取りのクズはジョルジュだけではなかったのだ。ジョルジュとドゥニースは似たもの同士で、地位や名誉もない、ただの孤独な存在だ。社会学者の宮台真司氏の言葉を借りれば、どちらも「ポディション取りのクズ」ということになるのだろう。何にもなれなかった2人は、ポジション取りのゲームをする事で、自分が特別な存在になったと錯覚することができるのだ。本作も『ラバー』と同様に、現実を映した鏡のような映画になっている。言う事がころころと変わる政治家や、その場しのぎで話を合わせる言論人。政局ばかり報じるマスメディア。アテンションエコノミー、炎上商法、これらすべてはポディションどりのためでしかない。コメディなのに心底笑えないのはそんな連中が、今にもこの国を奈落の底へと引きずり込もうとしているからだろうか。

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