マガジンのカバー画像

自分記事まとめ

15
関係者に見せるのが面倒なので端的に
運営しているクリエイター

#精神障害

自分のこと11 父の話

自分のこと11 父の話

これの続き

はいでは肉付けしていきます。
多分色々バラバラした情報になりますが、とりあえず今回は父に焦点を絞ろうかな。

そうですね。
父と母は見合い婚です。
理由としては「馬があった」ではなく「悪くなかった」からだそうです。
とはいえ、母の「悪くなかった」は適当感(感覚と少しのコンプレックス)かもしれないですが、慎重派の父が「悪くなかった」と言うのは珍しくも思えます。

出会った理由も、最近の

もっとみる
自分のこと9 32歳

自分のこと9 32歳

これの続き

乗り越えてしまえそうなほどエネルギーが返ってきてしまった。急いで書かないと。
私のこの遺言マガジンは、「乗り越えられない人」「乗り越えられなかった人」が言わずに死んだときの言葉を綴らねばならない。

私だけが立ち上がっても意味がない。
立ち上がれない人をどうしていくかの情報の集積にするべきだから

さて32歳です。厄年ですね。
(数え年が厄年数えになるので女性33歳になります)

もっとみる
自分のこと7 27歳~30歳

自分のこと7 27歳~30歳

これの続き

さて、タルパもいるくせにアチラサマとも繋がりができて、頭の中が大混雑ですが。
すげえなこれ他人には聞こえないらしい。ちょっとだけ羨ましい(人数が多い分大体絶え間ないので、脳が疲れる)
聴こえること自体には不満はありません。

家庭は相変わらずでしたかね。
価値観は違いますが、だからこそ父は相談相手として最適だと思っていました。
友達みたいな関係ではないから、一々悩むなとかまたそれかみ

もっとみる
自分のこと5 24歳~4社渡り

自分のこと5 24歳~4社渡り

これの続き

ぶっちゃけ仕事に関しては様子見の部分が多かったので、ザラーっと書いていくしかない。
最後までダメージ受けない子だった()

えーと次は3社目か。
次はまあザックリ言うと書店です。
面接の段階で「こういう仕事は無理です」と言ったのを忘れてるアホ店長でしたが。だからバイトから嫌われるのでは?

早番や中番や遅番が割と固定されてるところだったので、同時期くらいに友人から「聞いて~~~!!!

もっとみる
自分のこと4 24歳~2社渡り歩き

自分のこと4 24歳~2社渡り歩き

これの続き

縦長で見切れたので貼り

えー就職してからですか。
ダブルワークの傍ら、母の介助をして過ごしてましたかね。その分給料は少ないですが実家ですし、親に返す金が入れば問題は無いかなと思ってました。

1社目は特に問題もなく、理想論だけではないサ高住でした。
まあ私の手際の悪さとか、体調が崩れやすいのを理解しない社員は3人はいたし、「正社員に判断を仰いでください」と逃げる人もいたし(最終判断

もっとみる
自分のこと3 19歳~24歳

自分のこと3 19歳~24歳

これの続き

大学時代は特筆することあんまないですが。
小学生から高校生までいじめにあってましたから、母には2週間ほど友人の心配をさせたかなと思います。
まあ「頑張って!」で私からの信頼を失ってるので非常にどうでもよく。おひとりさまもこの頃は普通だったし。
何より「クラス」というものがないため(一番多い学科だったから入り切る講義室は数えられる)、グループになる意義はあまり感じませんでした。

ただ

もっとみる
自分のこと2 10歳~18歳 いじめ

自分のこと2 10歳~18歳 いじめ

これの続き

一日中動けない日も増えてきた(目が覚めない)ので、ちょっとチャートみたいにザラっと書いて、細かいとこは細かくするか、別記事に混入させるか、悩みますけどね。

10歳くらいからですね。
誤差があっても9歳からになります。
私が希死念慮持ちになったのが、ちょうどこのくらい。

いじめにあったり、
悪夢しか見なかったり、
今思えば「いじめられる学校より家にいたくない」と思っていたり
子ども

もっとみる
自分のこと1 0歳~9歳

自分のこと1 0歳~9歳

全部貼れなかった。
今この景色無いんですよね。勿体ないなぁ。
見に行ったら変わり果ててました。

さて、希死念慮者の生い立ちやら思考やらを紐解く上で、全貌を語る回2です。
つっても私は、他の方みたいに繊細な悩みから希死念慮があるわけではないので、参考になるかは甚だ微妙ですが。
私という自殺者の数値1は減らなくても、他の方の自殺数1が減るなら、大したことではありません。

さて前回は両親について書き

もっとみる
両親について

両親について

noteを遺言状にする手前、34年分の膨大な情報を書き出さねばならないので
とりあえず両親に区切ります。
後の世で役に立てばいいかな。

まずは父について。
こちらはあまり口を割らないので、事細かに書けないのですが
まあ簡単に言ってしまうと昭和の頑固親父です。

一族の成り立ちから、主君を失った落ち武者の武家であり、その一族の総本家がうちです。
まあ平和な世の中になったのでそんなものは効力がないで

もっとみる
自分の成り立ちとか

自分の成り立ちとか

「にゃーさんってなんでそんな人(頼られ過ぎて疲れる程のお人好し)になったの?」みたいな話を振られたので、ちょいちょい書いてみようかな。

うーんまず、
最初の時点で、父と兄は身体障害者でした。
網膜芽細胞腫。
父は時代柄、身体障害(特に目なんて分野)は発展していなかったため、今でも障害認定はされていません。
ただ、弱視近視網膜芽細胞腫と3コンボかましてる長男は片目がないため、昭和の偏見か言葉のあや

もっとみる