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自分のこと11 父の話

これの続き

はいでは肉付けしていきます。
多分色々バラバラした情報になりますが、とりあえず今回は父に焦点を絞ろうかな。

そうですね。
父と母は見合い婚です。
理由としては「馬があった」ではなく「悪くなかった」からだそうです。
とはいえ、母の「悪くなかった」は適当感(感覚と少しのコンプレックス)かもしれないですが、慎重派の父が「悪くなかった」と言うのは珍しくも思えます。

出会った理由も、最近の令嬢モノを読んでればお察しつくかと思いますが、「総本家長男(父)」と「総本家長女(母)」という理由です。
家との結婚とまではいかないですが、家柄を見られる時代ではあったようです。

夫婦間では、まず(母からの提案で)「女、子どもに手を挙げない(酒が入ってる状態も含む)」など、色々決めたようです。全部は聞いてない。
なので、同意している父から手を挙げられたことはありません。まあ父も思うところがあるのでしょうね、実父が酒で実母に手を挙げて大怪我をさせるとかしてますから。
そんな光景を見て育てば、どんな理由でも手だけは出さないと誓えるでしょう。

少しばかり期間が開きますが、まず長男を産みますね。視覚障害者にならないなら死亡すると言われて(網膜芽細胞腫)、長男くんは片目を失いました。
その時に祖母から悪様に言われたのを、(父も片目がありませんので)庇うような、激昂するような形で言い返したそうです。
産後の不安定なメンタルの母を支えるのは夫です。
「私がちゃんと産んであげられなかったから」とか、私の時のように思い詰めたんだろうな(確信)。
父がそれに何を返したかは分かりませんが、長男もろとも自殺をとマイナスに行っていたと聞いていますので(母自身から)、プラスに連れて行ったうちの一人は父でしょう。

また、長男くんの名付けにも祖父母が一枚噛みたかったらしく(可愛いの空回りですね)、画数が悪いだの字相が悪いだの言われたらしいですが、「夫婦で決めることだから口を挟まないでくれ」と言ったそうです。

さてそんな父と長男くん。
厳しい教育を施していました。
片目がないというハンデに実感があるのでしょう、幼少期の長男くんはキツいと言っていました。
けども、どれも「社会に出た時に困らないように」という視点でやっている気がします。
口が悪いのは娘の私も認めますけど。もう少しやり方を覚えてくれ。
「見えない方角は見えないから、醤油とか取ってやって」とか「食べ残しでちょっと汚いのは許してやって」とは言いますが、「なるべく綺麗に食べる」は大分徹底しており、長男くんは私より魚を食うのが上手いですよ。
他の障害者さんとお食事を一緒にすることがよくありますが、魚を綺麗に食べるのは難易度が高いため、なるほどこうなるんだなと思いました。
私の目の前にいる障害者さんは「汚くてすみません」と言いますが、そもそも健常者でも上手く食べるのが難しいんです私を含みます
父の年代はまだ「飲み会は義務」みたいな時代でしたから、そういう場で晒し者にされないように。そんなところでしょう。

さて、間に兄を2人流産してからの?(流産の順番覚えてない。聞くと母を傷付けるので聞けない)、次男くん誕生です。
こちらは健康優良児なので特に話は聞いていませんが、兄と結託して悪さをした後の襖の直しとかは父もよくやってましたね。
小さい私には何してんだだったので聞きましたら、長男と次男がやんちゃしてなぁと。やんちゃしたら襖なんてデカイものが半分くらい破れんのか。どんなやんちゃだ?

続いて、私ですね。
父がどうしても娘が欲しい娘娘と意気込んでたそうで、目に入れても痛くないって本当に言った。
それは一旦置いといて
私の出産ですから、要するに医師からの母体は死ぬでしょう通告がされます

周りが流産にした方がいい、子はまた為せば良いと言う中、母は二度も流産したから断固産むと言います。
確かに「子は」為せば成ります。
「私」という子は流したら死にます。
父とて愛妻を失いたくはないでしょうから、それなりに悩んだはずですが
それでも母の味方をする方につきました。なんでかは知りません。自分の武勇伝あんま話さないので。

で、結局私を産み、母は悪運が強いため生き残りました。ただし障害者にはなりました
父としてはどちらも生きてくれて胸をなで下ろしたかったでしょうが、そんな暇もなく母からの離婚の申し出が来ます。ちょっと揉めたらしい。
母の主張は「障害になったら働けない、経済的負担が強すぎる」。父の主張は「お前はそんなことを心配しなくていい、働かなくても俺が稼ぐ、離婚はしない」。
修羅場ですね。確かに3児と働けない妻を抱えるのは厳しいでしょう。それでも、父は現実主義者である以上に、家族愛がズバ抜けています。無理だったでしょう。例え3人の子を置いていってくれても、妻が居ない。

ぶっちゃけ、母が先に死ぬのは小さい頃から分かってた事実ですから、「母が死んだら父もポックリ逝きそうなんだよな」と思ってました。
それくらい無理なんですよね。

さて、これ以上は産めないので、息子2人娘2人の夢は母のためにも諦めて、5人家族です。
出世やらもそうですが、高熱(39℃)を出しても出勤してしまうので、母も「風邪の時くらい休んで欲しい心配にしかならない」と、2人でうんうんって頷いてました。
大黒柱としての義務感が強過ぎるんですよね。正社員だから有給だってあるのに。

話が一旦飛びますが
父は昔ながらのというのかな
自分が経験してきた家族の図を模倣するのが好きでした。
飯はみんなで食べる。
食後はみんなで団欒する時間が(僅かでもいいから)欲しい。
自分は定年退職したら祖父母の畑を継いで農作業しながら生きていくんだ…と、自宅の庭にアスパラとか植えながら言ってました。
農作業というか家庭菜園含めて土いじりが好きなんですよねこの人。米俵二俵担げるよとか言ってましたしスゲー力があります。

さて、そんな父ですが
まず食卓からみんなが離れていきました。
仕事の愚痴が多くて聞きたくないからだそうで、私しか残らなくなりました。
延長線上にある団欒が叶うはずもなく消滅。
精神障害で家庭崩壊した叔父一家の方がまだ団欒してた気がしますね。夫婦喧嘩が始まる時間より前に子どもは全員撤退するのは似てましたが。

最初は仕事の愚痴でした。
幼い私には分からないので、まあ高熱出してでも頑張ってんだし、吐き出し口にくらいはと思っていたのですが
叔父が病んでからは叔父への不満も吐くようになるし
なんならTVの向こうのただの意見を言ってる人(リサーチ取材に応えてる人)を悪く言ったり
挙句が母のいない時に母の愚痴を言うようになりました。

娘に向かって。
配偶者の愚痴を。吐くのです

内容は姑みたいなみみっちいことばかりです。
消費期限切れをいつまでも捨てないとか。(気付いたなら自分で捨てればよかろうよ…)
こうやったほうが節約になる、得になる、何度言っても聞かないとか。(そりゃあ母さんズボラなんだからそんな几帳面なことしないよ…)
毎回米を多すぎるほど炊いて、結局(当時は私と父しか食べなかったので)余ったり、余ったら捨てたり、そもそもカピカピになるので困るし、タッパーに取って冷蔵庫に入れれば電気代が節約できるのにとか。そこまでシミュレーション出来てるならあなたがやりたまえよ…

そんななので、次第に私がやつれてきました。
まあ配偶者への悪口は心理的虐待の項目にありますし、長男くんも「俺でも聞きたくないわ、お前よく30年も聞いてメンタルもったね」と
30年もったというのか、30年で無理になったのか、もはや表現がわかりませんが。まあ聞いてたのは事実かな。

そりゃあ私だって母への愚痴は聞きたくないですから、話を逸らしたりしたんですよ。
仕事の話が聞きたいと言えば、同僚がこんなことやらかしてなぁと面白いことを言ったり。
父さんは歴史オタなので、とうらぶに出会ってからは特にそこを抜き出しました。
白蛇シリーズでやたら「歴史書に載ってないよ?」みたいな情報があるのは、うちが武家で、総本家の人間だからです。しかも父は長男です。
『家を継ぐ』のは長男。
つまり父は知っているわけです。
ネタにするために質問をすれば、それに応えてくれます。
私たち三兄弟はみな結婚しない予定(次男は女嫌いのため難しい、私はアチラサマに気に入られた以上無理、長男くんはコンプレックスを乗り切れば無理ではない)なので、じじ様やばば様が繋いできた『家』は当代で終わるのです。
ならせめて、足跡くらい書き残しておきたかった。

他にも、父からは色んな食卓教育を受けました。
確かに味覚障害になるほどのストレスは受けましたが、それ以外にもあったのです。
不審者の見分け方。
不審者に遭遇した時の対処法。
そもそも遭遇率を下げるための知識。
突然現れる不審者に何が有効か。
父は柔道の段持ちなので、こうやるんだみたいなのを口で話してくれて(絞めてきたのは次男)、中学の体育で柔道を取ってやってみたら出来る出来る。
確かに縄抜けできるし(寝技の絞めから逃げるのも)、自分より体重ある人間を投げ飛ばす(着地に成功するように投げる)とか、投げれなくても転がせばいい(転んだら真っ先に脚を潰す)とか、色々聞きましたね。
男子相手とかあまりなかったですが、柔道取ってる女子が二人しかいなかったので、片方が休むとどうしても見学か、弱めの男子が相手になります。
背格好が同じくらいという方がいいのかな。
要は腕力以外のハンデが無いようにですね。

相手が格上の場合、柔道より合気道が良いと言われたので、柔道の技を使いながら合気道のやり方で投げ飛ばしてました。

その他はそうですね
少年時代の話も聞きましたし
今でこそ友達からも「彼岸花は縁起が悪いイメージが強いんだよ」と言われますが、父さんに聞いたら「彼岸花?非常食の話?まずはこの部分を切ってな、毒があるから」みたいになります。
父さんにとっては非常食なんです。群生するし。

私は縁起の悪さもフォルムも好きなので、まさか「食べ物」と言われるとは思いませんで、ずっこけました。そうか食えるのか。

食事は嫌いですが、知識を与えられるのも食事中でしたから、そこは全部が悪い思い出だったわけじゃないとは思ってます。強烈だけどな愚痴だもん…。

そうですね
わたし、昔は白菜とキャベツとレタスの見分けがつかない人間でした。
母からも「キャベツとレタスは分かるけど白菜もなの??」と不思議がられました。
そんな私に、「葉の付き方がこうなのが白菜」「葉脈がこうなってるのがキャベツ」と教えてくれたのは父です。サツキとツツジの見分け方もですね。
魚だけは最後まで中々当たりませんでしたが、鯖、アジ、鯛はなんか分かるようになりました。
見分けやすい鯖とか、好きなアジとか、見てくれで他とは明らかに違う鯛は識別しやすかったのかもしれません。他はまだわからん。

魚が出るたび、「この魚の名前は?」は習慣みたいなものでした。
最初の1文字を聞けば分かるんですが(たまに親父ギャグ)、なかなか。

あとは、鉛筆持ちは直りませんでしたが、箸の持ち方は直りました。豆取りが得意だったので魚食べるのもすぐ出来るのではと思ったそうですが、残念なことに魚を覚えなかったため、魚のどこに箸を刺して開くのかが分からず、結構時間が掛かりました。
20代後半くらいでやっとヨシされました。

英才教育に力を入れる一方、父親としての分担は下手な人でした。
うちは古風な家ですから、まあ簡単に言うなら「叱るのは父親の仕事」みたいなんがありました。
しかし叱るのが下手なんですよね。

今私が同じことをしろと言われたら…。
まず現場が荒れてるなら離す、荒れてないならその場で話しますね。
で、なんでそうしたのかを聞いて、それがどんな未来をもたらすのか考えてもらいますね。
まあ反省を促す感じでしょうか。
事実を並べるのから始めるのもそのせいではありますね。

では父はどうだったかというと
なんかよくわからん話を1時間以上するんですよね。
私は何を叱られてるのか分からないまま聞いてることしか許されないわけです。
で、一応「お前の考えは?」と聞いてはくるのですが、今までの謎話から何を導き出せというのか??が正直な感情で、ひとまず心当たりのある失態を述べるとするじゃないですか。それしかないし。何言いたいか分からんし。
しかし父は100%否定します。すごいね破綻してるよ。しかも最後に何を叱ったか言いもせず、「そこで1時間正座してろ」とか言ってくるんですよね。昭和だなぁ。昭和の人だったわ。
途中からアホらしくなって離席したら、「都合が悪いとすぐ逃げる」と言うんですよね。説得できてないの理解してないんだなぁ。頭かち割りたいと何回思っただろう。
ただ私は生真面目だったので、父の謎説教が終わったら、母の所へ直行していました。何を叱られたのか教えてくれるからです。起承転結でいうなら結です。

母は教えるのは上手いのですが、叱るのを避けるところがありました。嫌な体験があったのかもしれませんね。
でも、「火は危険なものだ」というのは、きちんと教えてくれました。うち1回火事にあってるそうなので、殊に厳しく。まあ私は聞かない子だったんですけどね今更ですがごめんなさい。

ガスコンロを使って教えます。
まず点火。火が出ますね。
触らないようにと厳重に注意されながら、「熱い」がわかるギリギリまでの接近は許してくれます。もう1回言いますが触らないようにと厳重に注意されながらです。
熱いものだと分かったあと、父にバトンタッチされました。
当時はまだ自宅で可燃ゴミを燃やしても法律違反ではなかったため、一斗缶にゴミを入れて着火します。

私「ものは燃えるんだね」
父「そうだな。家も人も燃える。火は危険なものだ」
私「これ(一斗缶)はなんで燃えないの?」
父「燃えにくいものもあるんだ。全く燃えないわけじゃないぞ」
私「燃えるの?」
父「長男、倉庫から古いの持ってきてくれ」
長男「はいよ」
私「黒焦げだ」
父「燃えにくい物体ではあるけども、ここまで焦げるともう使えない。なんでか分かるか?」
私「わからない」
父「そうか」
私(あれ答えは……??)
次男「父さん、そろそろ芝生がヤバイよ」
父「トンボももう飛んでないか?」
次男「トンボの時期は終わったかな」
父「そうか、じゃあお前達、見てなさい。近寄らないようにな」
私「???」
長男「ホース引いてくるわ」
父「頼んだ」
私「水やりするの?」
父「まあ見てなさい」※芝生に着火
私「???」
次男「これ見ると冬が来るなって思うなー」
長男「雑草の根性がすげえなとは思う。妹は?」
私「燃え移ってるけど大丈夫なのかなと思ってる」
父「さっき、一斗缶みたいに燃えないものもあると言ったろう?」
私「それは一斗缶と言うの」
父「うん。で、基本的に燃えない代表は金属と土だ」
私「そういえば芝生は燃えてるけど土は残ってるね。でもあっち石壁じゃないよ」
父「うん、あれはディフェンスというんだ。長男、ディフェンスの素材は?」
長男「金属」
私「金属。燃えない?」
父「全く燃えないわけじゃないけどな(2回目)。だから水を準備する」
私「消火」
父「そうだ」
次男「まあ雑草の感じと天候的に必要ない気がするけどな」
私「なぜ」
次男「燃える媒体が先に無くなるから」
私「わからない」←小学生になってない
父「自然鎮火という現象があるんだ。学校に通ったら分かるようになるよ」
長男「一斗缶で見せてやればよくない?出来るでしょ自然鎮火」
父「それもそうか。じゃあ娘、一斗缶の火が完全に消えたら言いに来なさい。燃え盛っても来なさい」
私「あい」

私「消えた」
長男「どれどれ。……うん、まだかな」
私「?燃えてない」
長男「燻る火というものがあってね。こうやって燃料を与えると」紙切れを入れる
私「火が着いた」
長男「そう。だから『完全に鎮火する』まで目を離しちゃいけないんだ。危ないからね」
私「また燃えるのか……」

こんなルーティンしてたかな。
ちょっと話をスムーズにするために捏造されてる部分はありますが(兄弟の口出しとか)、まあそこはお許しください、で。

別段、父と仲が悪かったわけでもなし
家族仲が悪かった訳でもないです。
まあ父の愚痴で破綻しかけたとは言いますが。

私にとって父は、『知識』と『反面教師』というのが、率直な感想です。
不器用な人ですから、悪いところは悪いわけです。
それは私にも分かりますから、そうならないようにと試行錯誤はするわけです。

実際、n回目ですが、「会社の休憩時間長いから娘見に帰ってきちゃった~♡」とか言うんですよ。目に入れても痛くないって私に言うような人ですよ。
確かに会社はすぐ側にありますから、休憩時間1時間もあるなら帰ろうかなとは考えるでしょうが、「暇だから帰ろうかな」じゃなくて「娘見たいから帰ろう~♡仕事さっさと仕上げたら1時間以上は休憩時間だから長く居られる~♡」ですよ。
これを親馬鹿と言うんだな……。
長男くんが「父さんはお前に甘いと思う」って言ったり、次男くんが「妹ばっかり可愛がられてる」と拗ねるのも、分からんでもない。
鬱陶しくはないのですが、さすがに有り余り溢れ返ってダダ漏れの愛情が分からんとは言わない。
むしろ次男に言い返せる立場でないからそこは窮屈ではあったけど、複数人兄弟の洗礼・上から順に下をいじめるはありましたし、記憶にないほど昔には次男も私を可愛がっていたそうなので、まあ……甘んじるしか……(汗)

いじめに関しては口を挟んで来なかったですが、「万が一お前を殺す輩が居たら、法律が裁かなくてもワシが殺しに行く」とか言ってたので、やめてやめて妻が居る兄も居るとかやってたかな。
「愛する我が子を殺されて無罪ですとか受け入れられんし、賠償金が1億でてもお前の命が1億程度なのかと思うと腸が煮えくり返る」と激昂してました。机が壊れるからやめたげて。(ダァン!てやってました。男子用握力測定器を破壊するような人間が)

今の状況だと、私を殺しかけたのは父自身になるわけですが、彼の心境はわからないな。
私がまだ怖いと思ってるせいです。
ただ、今まで高熱を出そうが出勤し、どんな苦難苦境に立っても頑なに動かなかった父が泣き崩れたと言うので、父の人生において一番の苦境なんでしょう。謝りたいからいい加減話聞いてくれ。

実の親でも苦境にならなかったの?というと全くそんなことはありませんでした。
祖父の暴力(酩酊)で心神耗弱になった祖母はあまり長生きせず逝ってしまったので事情がよくわかりませんが、葬儀には出ました。
父はどちらかと言うとマザコン気味です(男はそんなもんかもしれないけど)。
それでも喪主をするには祖父はもう無理ですから、長男つまり父がやるわけです。やつれてますよね分からなくはない。

その頃からなのでしょうか、葬儀は「大事な人を送るのは、大事な人に」みたいな感じになっており、平たく事情を明かすなら「喪主様、点火をお願いします」と言ったわけです。

母も。私も。叔母も。その場が凍りつきました。気付いてないのは火葬場の人だけです。気付けよ。
父さんは確かに分かりにくい部類ですが、あからさまに顔に「嫌だ」って書いてあったよ。
見かねた叔母が「私がやりましょうか、兄さん」と言いましたが、父さんも頑固なので、自分でやりました。

自分の愛する母親に、自ら火をつけたのです

次は祖父になりますね。
祖父は結構大往生しまして、行く先行く先、介護士が泣いて追い出されるを繰り返す気難しい人でした。
ただまあ、私(孫)に嫌われてないかなとか、認知症が進行した頭でもくっきり覚えてるくらいの臆病な人ではありました。父も臆病かもしれないね。

その祖父の最期の姿を見に行くのを私に任せて。
祖父は天に召されました。
火葬場の人は相も変わらず「喪主様、点火をお願いします。」人の心あるのかな。
今回も私が押そうかと申し出ましたが、頑なに自分が押しました。頑固め。

火葬が終わり、納骨した骨壷を抱えて、喪主と同じ車に乗る人間に、何故か私が選ばれました。
叔父も居るし、叔母もいるし、次男も居ます。
序列的に私は低いはずです。
それでも父は私を傍において、『喪主』ではなく『故人の息子』として、他の人間が唯一いない時間に

「娘。父さん、これだけになってしもうた。」
と呟いたのです。
弱音の吐き方が、分からない人。

町内の祭りで法被?着てもすぐ写真撮るし。
子煩悩にも程がある、子離れ出来てないよねと長男くんに言われるほど『家』を愛している。
古い時代の人ですから、親戚や分家も『家』です。
分家とかそういう意識がなくなって、自分が陰口を叩かれていると分かっていても、本家として分家を支える義務から逃れられない。

腕枕にもコツがあるからと、自室があるにも関わらずすぐに親の部屋に来てしまう私を一晩中腕枕してる。

私が怖いと言ったらそれを駆除するし、特におかしいところはありません。
融通が利かなくて、頑固で、見栄っ張りで。
ああ、私の友達をデブって言ったのは今でも許してないけど。謝罪してないのに許されると思うなよ。他の奴らもだよ。謝罪してないのに許されると思うなよ

ちょっと古風で、現代についてこれなくても、自分の生きた時代の価値観での愛し方はしてきた。
まあ私が家出した理由の台詞はどうかと思いますけどね。

自慢できる父であって欲しいと願いながら、自慢できないことばかり積み重ねてしまっただけの人。

大学から深夜に帰る時とか、通院とか、外出の時に運転するのは父でしたけどね。
文句は言うし助手席の人を驚かせるのが好きなせいで、私が車嫌いになったとかはありますが。
幼少期は、果物狩りとか、ちょっと遠出のピクニックとか、近場の花見とか、遠いところなら年に一度、海水浴に泊まりがけで行くとか、遊園地に行くのは毎年やっていて
金銭負担も父だし、運転負担ももちろん父です。
それでも、そんな時間を大事にしてきました。
まー「お前は結構酒いけそうだから、成人が楽しみだな」は叶えてあげれなかったですけどね。
度数は大丈夫なんですが、アルコールの味が無理で……。カルピス割りすれば飲めますが、父さんは「酒は割らずに飲むもの」派なので、黙認されるかはちょっと分からん。

まあ酒は割らなくても、腹は割らないといけないよね。本当にね。

仲違いしたかったわけじゃあない。
何も私はあなたの愛情を否定したいわけじゃないし、些末なことで縁を切るほど恩が無いわけでもない。むしろそこで絶縁を望むなら阿呆は私です。

私とあなたが積み重ねてきた時間を、裏切りたいわけじゃないのよ。
あなたの言葉が、私の努力を否定したから傷付いたと、分かって欲しいだけなんだ。
それ以上望んでいない。
だってそもそも父さん不器用なんだからね、難しいことやれとか言わんよ。

ねえ父さん。
「父さん、これだけになってしもうた」と、私が言う前に、仲直りさせてくれないか。
確かに記憶が無くなるほど病んだり、届かなさ過ぎて最後、これが最後と思ったりしたけど

3回も「これが最後」をしてきたんだわ。
ほかの何を捨てても、あなたとの縁はそんな簡単なものじゃないんだわ。
長男くんは障害を理解しようとしないところもよくないねと議題を増やしてたけどさ。
今はそれじゃないんだよ。

あなたはもうお迎えが近い年齢なんだよ。
いつ死んでもおかしくないね。
私の「ただいま」は
あなたの遺体に向かって言わないといけないのかい?願い下げだな。

生きてるうちにさせてくれよ。

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