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自分のこと2 10歳~18歳 いじめ

これの続き

一日中動けない日も増えてきた(目が覚めない)ので、ちょっとチャートみたいにザラっと書いて、細かいとこは細かくするか、別記事に混入させるか、悩みますけどね。

10歳くらいからですね。
誤差があっても9歳からになります。
私が希死念慮持ちになったのが、ちょうどこのくらい。

いじめにあったり、
悪夢しか見なかったり、
今思えば「いじめられる学校より家にいたくない」と思っていたり
子ども独特の幻視で、知らず知らずストレスになっていたかもしれません。
ストレスを感じなかったのは確かなので、慢性疲労症候群の医師が『ストレスを認識しなかったから~』と言ったのも、一理あるのかもしれません。

悪夢は100%見ました。中々異常ですね()
睡眠が浅いとか、あとから分かりましたが記憶力がよかったり、色々あるので
普通なら忘れてしまうようなものでも、忘れなかったのかもしれない。
今を入れると順位が変わりますが、三十路までに見た悪夢のうち一番嫌だったのは、

ハガレンって知ってますかね。鋼の錬金術師。
あれで、幼いエルリック兄弟が人体錬成に失敗する場面がありますよね。まずあれをベースに……、
千と千尋の神隠しで、腐れ神って言われてた川の神様が居ましたよね。あのヘドロ感を足します。

人体錬成に失敗した、人の形をした母親らしき何かが手を伸ばしてくるんですが、ヘドロみたいにどろどろで、形がしっかりしていると言いきれない状態なんですね。
それはもう、小学生の私には酷く恐ろしいインパクトでした。

幻視は前に書きましたね。
どの道母が関わるので、思い入れとかストレス源だったかもしれません。

反抗期って言うと変ですが、家出をしようとしたことがあります。小学生までに2回くらいかな。高校で1回未遂。
まあいわゆる不貞腐れたガキが癇癪起こしたから、出ていってやる!みたいな感情もありましたが
この頃から既に、「私が居なくなってから分かればいいんだ」みたいなのはあった気がします。
まあ分からないんだけどなうちの親……

なんで家にいたくなかったのかは、正直にわかりません。小学生の頃は次男とも揉めておらず、長男も家を出るまでまだ時間がありました(私が五年か六年で居なくなりました)。
親とも「庭でアスパラ取ってきて」と言われたら「はいよ」って言ってたし、運動会翌日などはよく透析と被るからママ友のとこに預けられたりしましたが不満とかもなく、病院についていけば看護師さんや理学療法士さんが世話を焼いてくれました。
あぁ1回透析のチューブ見て気絶しそうになったことはあります。血液が見えるからですね。

血液が生命力と、なんとなくわかっていました。

円満だった時期だと思いますが、しかし私は家にいたくなかった。
ひとりが寂しかったとかは……どうかな。あったかな。そのへんはこれに書いた
なんか勝手に縦書きになってるすみません

母さんが帰ってくるまで、ひたすらトトロを見てるような時期でした。飽きない?と言われましたが、当時の私は飽きてなかったね。100回は見たよね。

ただ、学校を休んだ日はどうしても自宅療養です。
病院には行けない。
熱が上がるからです(小雨に数秒打たれて風邪をひきます)。
社会人になってから喧嘩になりましたが、「10秒小雨に打たれたくらいで風邪は引かない」と言う上司と、「現実問題わたしは引くんだから仕方がない」で口論しました。
そのくらい弱いんです。
小雨に打たれたら即シャワー浴びに行かないといけないんです。
この体、体温調節が出来ないんで。
冷えたらそのままどんどん冷えてしまうし、熱したら冷めずに暑くなっていくか、汗をかきはしても汗で冷えてそのままどんどん冷え(略)。
適温にならないのですよね。

なので、『家に居たくない』が何故だったのかは、私が知りたい。
そこに、基本的信頼感の醸成失敗があるのかもしれません。

さて、ではいじめに話を移します。長くなりそうだ。
とは言っても、わたし、いじめてくる同級生を『程度が低い……』『貶し方がクオリティ低い……頭悪いのかな……』『他人を落とさないと自尊心保てないのかな……可哀想……』と思ってたので、結構ノーダメージでした。
とはいってもゼロではないから、1でも溜まれば蓄積されていくでしょうね。
特に何も感じはしなかったですが、思春期に友達がいないとか、フレネミー化した子が居た(ドヤ顔で笑ってましたが乾いた笑いって感じで「なるほど馬鹿だったのか……」とくらいでした)

ダメージを受けてないかまでは分からないですが、フレネミーとして私を欺けていると錯覚しているのがいたく滑稽で。
私が悲しみにくれるくらい笑いものにしたかったなら、もう少し立ち回り上手くやれるのになぁ。バレてたよ……。とは思いました。
ただ、フレネミーは居ました。

話逸れた
思春期にそんなで、虚しさ自体は感じました。
自分に虚しさ……というのかな。無くはなかったのか。でも圧倒的に、他人に虚しさを覚えました
そこらへんを軸に「死にたいなぁ」とか考え始めましたが、いくつかあったので、まあ死なずにはこれました。

①に、その時にちょうどシャーマンキングやってたんですよ。連載。
うち、私が中学生の時に数えて本が6000冊あったくらいものを読みますので、マンキンもたくさんのうちのひとつだった。
あの頃なら、さくらちゃんとか、コナンくんとか、DNangleとか、ヒカルの碁とかですかね。
漫画はどんなにドマイナーでも読んで大切にしてきました。今なら『私の幸せな結婚』をコミカライズしてる先生の『プラネットガーディアン』もリアタイで読んでたのかな。
その中で、マンキンだけ突出したんです。

葉もいじめにあっていたから。かもしれません。
それでも、それを誰かのせいにしないしなやかさ。
自由に生きて、自分が笑えるように、誰かに手を伸べる素直さ。
憧憬に近い感情で惚れました。

『友達だから、助けるんだろ。』

そんな簡単な台詞でも、私には届いたのです。
まあマンキンの話は年末にしてるから飛ばしましょう。
とりあえず10歳の私が自殺をやめたのは、葉に出会ったからです。

②に、親が悲しむのを理解していたからです。
今となっては親が頭足らずで私が頭痛に悩んでいますが、「飛び降りたら死ねるな」とよく思うたび、脳裏に「娘の棺の前で泣く親」が過ぎるんです。
親を悲しませてまで、投げ出したい身だろうか。
親や、毒親は足枷とかよく言われますが
その足枷がなければ、私はとっくに死んでいるわけで。少なくとも、すべてがすべて悪いわけではありません。

さて自殺は出来ないがいじめは無くならない。
なんならクラスに3人は被害者が居るとかいう複雑極まる状態です。そんなにターゲットいる???
自クラスの他の子は庇えますが、他クラスは中々庇えず、保健室登校組の子は長らくつらい思いをしてきたと思います。
まあ16になるや否や結婚して家庭を築いたそうなので、幸せになってくれてると嬉しいですね。

他の子は、庇ったらめっちゃ『たすけてくれるの……?』みたいな上目遣いしてました。泣いてた。
よし泣かせたやつ体育館裏に来いや。
まあ言うて、私も嫌われ者ですから、自分をぶつけただけなんですけどね。
私が嫌いなんだろう?近付いてやったよ。ほらほら遠くに行かなきゃいけないね。

とはいっても、私に対するいじめがなくなるわけではないので。
どこかの記事にも書きましたが、『いじめられてるの、目の前で見てるのに、助けられなくて、本当にごめんね……』と電話で謝られたことがあります。
さすがに電話でまでいじめ挟まれない時代ですからね。
泣いて謝るその子は、自分がターゲットにされるのが怖い。まあ当然ではありますね。
だってその子、親に虐待されてますからね。そこにいじめが加わったらと思うと、恐怖が勝つでしょう。それでも謝りに来たんです、凄い子ですね。

同時期に、『友人のいじめを止められなかった事を苦に自殺』という記事が新聞に載りました。
そっち側に行ってしまうかもしれなかったよね。
でも私に謝る道を選んだよね。偉いよ。
まあたぶん、わたしがいじめを苦にしてない態度をしていたのも大きいでしょうが
自殺より謝るのを選んだのは、偉いよ。
その謝罪が、いくら私のためにならなくても。
『本当は何かしたいのに出来ない人が居るんだ』という、一種の『味方はゼロじゃないんだ』になるんです。
少なくとも私にはなったんです。
貴方が謝ったこと、誇っていいんだよ。
私は生涯誇るよ(←)

まあ、悪質ないじめもたまにはあったので
嫌な思いもしなかったわけではなかったですが
周りに恵まれておりまして、あとやっぱり私が鈍くて、何とかなってました。
あとは葉の存在がデカイ。

担任から指摘してもよいという時代ではありましたが、同時に、担任にチクったとか言われる時代でもありました。
ぶっちゃけ「負い目がないならチクられても困んねえだろうが?」だったんですが。邪悪な被害者だな。
なので、担任は私がいじめられてるのを知っていましたが、私が望まないことはしない人でした。
「言った方がいいなら言う」し、「言わない方がいいなら、せめて悩みを聞かせてほしい」と。利発な方でしたね。
たびたび、話しかけて下さるので、毎回「特に何もありません」は逆に心配になるやつか?と思い
一度、「最近は困ってないか?」と聞かれた時に、「じゃあ聞きたいんですけど」と答えました。

私が返してくるほど何かあったか?と心配そうにする先生に、「あいつ(仮にA)、家庭に問題がありますか?」と聞いて、ぽかーんとされました。
まあそりゃそうだな。

いじめは、女子3グループ、男子2グループの派閥があり、Aは男子で、保育園の頃から同じとこ通ってるやつです。
ので、母親同士がママ友で、Aの母親はそう目立っておかしい人じゃないというか、我儘息子の尻拭い大変そうだなは思える程度でしたが

子どもって、一種の捻れた思考を持っています。
私にもあります。ありました、ですか。
さすがにもうガキとはいえない年齢()
平たく言うなら、『親のくせに』です。
自分の年齢を通過してきた先人だから、自分の気持ちがわからないわけがない、みたいな思い込みがあります。
少し考えたら分かることなのにと、理不尽な理由で腹を立てます。
同じ人生を歩んできたはずだと信じて疑ってないから、悲しい時にどんな気持ちか汲めるはずだと確信しています。
今思うと中々謎な確信ですが、これで親子関係が拗れるとかあります。
少なくとも、私がいじめられてると知った母が、悩んで絞り出した言葉を、私は受け入れられなかった。望んだ台詞ではなかったからです。
なんだっけ『頑張って!』だっけ。

Aをそうじゃないかなと思ったのは、優しい一面も見られるからです。稀ですが。
問題児なので基本的にいつも何か問題起こしてますが、その瞳に見えるのはストレス発散。
行き場のない何かを、暴力という形で出しているように見えました。

それを掻い摘んで担任に言うと、「確かにA君は家庭に問題があります」と。
なるほど家族の誰かと反りが合わなくてイライラしてんのかな。さっきも友達背負い投げして叱られてたしな。
なぜそんな質問を?と聞かれて、私がなんとなく書いてる観察ノートを見せました。

A。機嫌が悪い。今日は2人背負い投げされてた。1人は階段付近だったから、かなりこってりしぼられてた。
C。相変わらず影でクスクス笑っている。自分達が優位なんだと思っている目をしている。
B。なぜかAと一緒に消しゴムをちぎっては投げ、ちぎっては投げしてくる。鬱陶しいので途中で全部投げ返した。数学苦手なんだよ静かにしろ。
A。他の子の落し物に気付いたらしい。拾って渡している。ありがとうと言われて笑顔が見られる。

まあこんなかんじで色々書いてるわけです。
担任は開いた口が塞がらない。まあそりゃそうだ。

小学生はまあ低レベルいじめばかりだったので、中学に移ります。

まあ大体が小学からの繰り上がりですから、見慣れた連中しかいませんね。
しかし同級生のみならず、上級生からもいじめをうけました。暇人多いんかよ。

特筆することはあまりないですが。
『2階から帰れよ』で友達がブチ切れた話もここかな。
私の前で友達を貶したので、彫刻刀を突き立てたのもこのへんですね。続きなら私が聞いてやる。

ピックアップできるいじめがあるとするなら、第2のフレネミーですかね。
私が『3人行動』が苦手になった由来です。

友人Aと、転校してきた友人Bがいるとしましょう。
まあ3人で固まるわけです。女子グループってそんなもんですし。
ただ、友人Bはひどく臆病で、根暗で、転校前はいじめられていたそうです。しかし転校先でもいじめられ始めたわけです。やめてやれよ。

なので、友人を失いたくない一心で、私を除け者にしました。まあ友人Aを独占したいのですね。
何をするにも私を除け者にしますので、上に書いてる「2階から帰れよにブチ切れた子」の友人Aは、ひどく罪悪感を抱いていました。
友人Bが錯乱してるのは火を見るより明らかなので、落ち着くまでしょうがないよとは返しましたが
『3人行動だと友達を奪われる』は、思いの外わたしの中に強く穿たれたようでした。
大学生活で支障が出ました()

すっとばかして高校に行きます。
突然友達を信じられなくなって靭帯損傷もこの頃ですね。
友人Aは別の高校へ行き、友人Bは同じ学校へ進みました。なので、依存先が私にすり替わりました
精神科医が言ってた『依存する人は、依存先を失ったら、必ず次を見つけます』はこういうことなんですかね。
まあ当時の私に知る由はありませんが。
気にしてなかったのと、『3人行動は嫌』であって友人Bを嫌いになったわけではなかった奇妙な私は、『どの面下げて私が一番好きとか言ってるの?』という発想なかったね。
言えたね()

高校は転換期で、良い思い出が勝つのですが
いじめに関して言うなら、なんだっけあれ修学旅行かな。なんかみんなで遠くに出かけるとかあったんですけど。班行動を無視したんですよ。
私の班は、私を笑いものにする人で構成されていました。まあ別に、苦はあったかもしれないけど規則(班行動)を破るほどではなく、我慢してつつがなく終わることは出来たと思います。しなかった。

そのため、班単位で行動して点呼も済ませないといけないのに、私がその班に欠けているわけです。
当然あちらはおかんむりです。なんで別行動したの!?と。
そこで私の中でなんかがブチッといきました。
「あんた達が私をいじめるからだけど?その胸に聞いたらどうなの?行きは笑ってたよねもう忘れたの?そんな人達と一緒にいたくないでしょ!!」

周りもシーン。
ほぼ全生徒の前です、奇妙な静寂。
先生も唖然。
一緒に回った子は感情が堰を切った私が泣いてるのでなだめてる。
同班の子は、それ以上なにもなく、帰りも別行動になりました。

公認でお許しが出たので、いけねえいけねえ、セルフマネジメントが甘いと自分を叱咤していましたら、帰りの新幹線で同班の子がやってきました。
友達が庇おうとしましたが、やめてもらいました。
相手の表情が、どう見ても意気消沈だったので。

「ごめんね。傷付けてるって分からなくて……」

あれだけ笑ってて傷付ける意思がなかったのか??
不思議な話をされているようだ。

「謝って許してもらえるとは思ってないけど……謝りたくて……」

何を反省したのかは聞いていないが。
まあ反省したんでしょう。
申し訳程度に、差し出された手に飴が数個乗っています。お詫びですかね。

『激情を洗い流し───』

頭の中で反芻します。
ここで私が「いらない!帰れ!」と言うのは、簡単でしょう。その権利もあるでしょう。
でも、私がしたいことではない気がするのです。

数秒の沈黙。
いたたまれないその子らはビクビクしていました。まあ私に怒鳴られても文句言えないからな。
つか怒鳴ったあとだしな。

「もうしない?」
「っ、しない!酷いことした」
「なら受け取る」
「え……」
「謝りたかったんだよね?」
「そう、だけど……でも……」
「叱られたかったの?」
「……」
「友達からやり直そうか」
「あんな酷いことしたのに……?」
「酷いことだって分かったんなら、もういいよ。
 ギクシャクしたいの?」
「気まずい」
「そうやろな。
 じゃあ、もうしないなら、ただの同級生」
「私はあなたを小学生からいじめてきたのに!?」
「じゃあ、いじめたぶん、優しくしてよ」
「……。はい」
「どれ、飴ちゃんひとつ貰おうか」
「えっ」
「問題ないでしょ?同級生」
「……っ、ごめん……なさい……ごめんなさい……」
「仲直りのつもりだった。失敗した。
 助けてくれ友人よ」
「いや、これでいいんじゃね?
 被害者が加害者を許すって、本当に中々有り得ないことだから」
「中学の同級生には種蒔いてきたけど?」
「えっ?なんて」
「『そのうち分かる』って言っといた」
「えげつないよぉ……」

新幹線で謝った子は、その後ふつうに隣のクラスの子として関わりを持ちました。
人って変わるんだなぁ。
反省する機会がないだけなのかな。
思い知るタイミングというか。

いじめは多くは、感情が決壊すると自殺します。
私はそれを反論としてぶつけた。
結果論、相手は反省した。

Aなんか成人式でもまだ差別してましたからねあいつはもう無理だろう。

中学の時に残した「そのうち分かる」は、聞いてきた加害者は怯えてましたが
着火するかは、人に寄ります。
ただ、子をもうけたら必ず着火します。

その子が、被害者かもしれない。
加害者かもしれないし、傍観者かもしれない。
苦悩する子を前に、元加害者が、何を言えるでしょう。
気付いたとて、引越し族の私にはもう会えないから、同窓会で謝るなどもできない。

それが私の置き土産。
「そのうち分かる」ことです。


疲れたので分けます_(┐「ε:)_フ-


追記
書き忘れてました。
小学生だったか中学生だったかは忘れましたが、よく休んでたので、休み明けに貶してくる人がいる訳ですね。「今日も休めばよかったのに」と。

「なるほど私が登校すればお前らに合法的に嫌がらせが出来るんだな?」と
サディスト開花したのはここからです。
存在を誇示して嫌がらせをする。悪いことじゃないもんなぁ私は元気よく挨拶してるだけだ

なかなか捻れた思考回路だったので、「そんなこと言うなんてひどい……」とかならなかったです。
私に喧嘩を売るなら100倍返しは覚悟できてると勝手に捉えます。

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