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受験なんてくそくらい!

今日は少し強烈なタイトル。

受験なんてくそくらい。心底そう思う。

塾講師である立場上、こんなことを書くのは筋違いではるが、

いや、塾講師であり、そこそこ良い大学に入り、受験の恩恵を受けている僕だからこそ、思うことがある。そう信じて、今、執筆している。


僕は、小、中、高、大と基本的には地域No,1の学校に通ってきた。ありがたいことに数多くの、受験の恩恵を受けてきた。


僕と同じ高校の友達の話だ。家出をして、深夜に公園のベンチに座っていた時に、警察に声をかけられた。

「君、何しているんだ? 学生証見せなさい」

「はい、、」

すると警察は

「あ、○○高校の生徒さんでしたか!塾の帰りですね!頑張ってください!」

そういって、その警察は帰っていった。何も珍しい話でも、その警官が悪いわけでもない、田舎の有名校にはよくある話だ。


そうやって、僕らはちやほやされる。誰かにお会いした時も、高校や大学の名で悪くない印象を持ってもらえる。

アルバイトの採用だって、ひょっとしたら、就職だって、そういう風潮がある。


別に、テレビの高学歴番組でよくある、学歴でなくて自分を見てほしいなんてことを言っているのではない。

そんなことは、その人ときちんと向き合えば分かってもらえる。


こうやって、世にいる高学歴が満足して(中には威張るやつもいる)、逆に高校時代までにたまたま勉強に縁がなかった人や、受験勉強が肌に合わなかったひとが、自分の学歴のなさを嘆く

そして、最悪なことにそれが循環して

未来ある高校生が偏差値が全てだと勘違いして、勉強ができないだけでその後の人生を悲観したしする

ましてや、中学生までが「私バカなんで、、、」とこぼす


僕は、まだ学生だ。だが断言できる。こんなの間違ってる。

なんで、人生100年のうちで、中高生時代の6年足らずで、その後の人生の良し悪しが決まってしまうこのような風潮があるのか。


そもそも、僕たち受験組が受験を通して身につけたもので、今も必要かつ受験でしか得られない物なんて全くない。

受験で学んだ、数学の公式も、国語の読解も、思考力を身につけるためのツールであって、それをその後、使うことなんてない。

仕事で、「君!なんで球の体積もとめられないんだ!」といわれた人がいたら是非教えてほしい。

受験組が受験を通して、学んだことは、頭の使い方や、計画の立て方、自分を信じること、謙虚でいること、といったものだ。

別に、いつであっても、何かに向かって真剣に取り決めば身につくだろう。

そう、別に受験でなくても、高校時代でなくても、必死に努力すれば、頭も使うし、自信も付く。

受験なんて、自分を磨くための一つのツールに過ぎない。

だから、これを読んでいる人の中で、学歴に捉われている人がいたら、それは今日で終わりにしてほしい。

 

そして、高学歴が受験勉強を通して、学ばなかったこともがある。

「お金」の勉強だ。お金ということに関して、受験では一切教わらない。

一番大切なことなのに、なぜ教わらなかったのかは謎であるが、とにかく教わらない。

高学歴の弱点の1つだろう。



一方、現在受験をされている方や、そのお母さん方。受験で得られることは非常に大きい。しかしそれは、知識ではなく知恵であるべき。

受験をツールにして多くのことを学んで、学ばせてほしい。僕は全ての受験生を応援する。

もちろん、自分の生徒にもそういった角度で指導していきたい。



最初にもどって、なぜ、受験がくそなのか。別に客引きでも何でもない。

諸悪の根源は、頑張ってきた高学歴層でも、受験以外で頑張ってきた人でも、これから頑張る人でもなく

勉強しないやつは将来大変とか、受験におちると仕事がない、とかそういう空気を作り出してしまっているこの社会にある。


だから、親や先生が子供にそう言うのは当たり前。別に嘘をついているのではない。残念ながら、社会にはそういう空気が漂っている。

誰も自分の愛する子供や、生徒をそんな空気の中に入れたくはないだろう。


僕の生徒にも、自分の力不足で志望校に入れなかった子がいる。そういう子には、声を大にして、学歴なんて関係ない!と言いたい。


そして、悪いのは社会ではなく、この現状を放っておこうとしている僕自身なのかもしれない。


いきなり、社会は変わらない。

まずは僕が変わらなきゃ。そして、次は僕の目の前の人の未来を照らせるような人になる。

10年後の子供達にはもっと生き生きとしてもらいたい。






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