成功における「努力」「運」
表題の件に関して1番ありがちな意見が
「結局どっちも大事」
である
しかし、二元論はダメと言っても、80分の1で日本で生まれ、その中でさらに半分の大学進学を勝ち取り、さらに偏差値が50を上回ればつまりその中のさらに半分......
これを「運で決まる」と言わずになんというか?
それに気づいてから、学んでから、私は謙虚になったつもりでいたが、実際は無気力だったと思う
社会に出る前まではそれなりに頑張って上智まで入った
つもりでいたけど、それは親や友達に恵まれていただけだったと
社会に出てからはその付け焼き刃親の課金教育のメッキ
が剥がれて社会性や人間性のなさやメンタルの弱さが露呈し、勝てやしないのだと
過去の頑張りにも、未来の頑張りにも、ぶっきらぼうな態度をとってしまっていたと思う
衝撃を受けた意見があった
成功者が全く賞賛されない世の中でいいのか?
頑張るモチベーションがなくなっていいのか?
「頑張ったところで運で決まるしなぁ」は絶望では?
成功者の傲慢さを無くすのはいいが、この思想が行き過ぎると「絶望」に変わるだけなのだと。
自分はまさに、絶望してしまっていたように思う。
「努力によって、少しでも自分の人生は変わる。」
この宗教のような価値観こそ、ある種、人の希望なんだ。
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