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「セラフィムコール」ラブライブ!のご先祖様は衝撃の意欲作

今回は「セラフィムコール」について語りたい。

「セラフィムコール(1999)」

セラフィムコールの原作は電撃G'sマガジンの読者参加企画で、アニメーション制作はサンライズである。
同誌の企画が原作となった作品は他にも「シスター・プリンセス」や「ラブライブ!」が存在する。つまり、本作はそれらのご先祖様にあたるのだ。

「シスター・プリンセス(2002)」
「ラブライブ!(2013)」

セラフィムコールは上で挙げた後発作品とは決定的な違いがある。それはラブコメしたり、歌って踊ったりするような、平凡な美少女アニメにありがちな要素が全くない点だ。
実は本作の正体は脚本、カメラワーク、演出等に工夫を凝らした実験的な意欲作なのである。物語は、11人の少女たちが体験した出来事をオムニバス形式で描いていく内容となっている。

第2話は「寺本たんぽぽ」というヒロインがメインを務める回だ。
たんぽぽは中学生にもなって、ぬいぐるみに話しかけるなど幼稚さが目立つ少女として描かれている。

「寺本たんぽぽ」

物語はたんぽぽが「マーガリン」と名付けたぬいぐるみに話しかけるところから始まる。彼女が身支度する姿や、パソコンへ向かう姿など日常の風景が描写される。

お気に入りのリボンを選ぶ姿
パソコンへ向かう姿も…

何かおかしい事に気づかないだろうか?カメラの画角が固定され、パンやズームといったカメラワークが一切存在しないのである。加えて、たんぽぽはこちらを気にせず、まるで盗撮映像のようだ。このように、第2話は一貫してぬいぐるみのマーガリン視点で進行していくのだ。

唯一カメラが動くシーンがある。それは抱き抱えられたマーガリンが移動する際だ。

鏡越しにマーガリンと会話する「たんぽぽ」
窓際に置かれた「マーガリン」

勘の良い方はお気づきかもしれないが、実はマーガリンにはカメラと盗聴器が仕込まれていた。第2話のラストで、盗聴電波に気づいた警察がたんぽぽの自宅を調査し、マーガリンに仕込まれていた機材を発見する。そして、配線を抜かれたカメラの映像=マーガリンの視点が砂嵐となってこの回は終了する。
演出上の都合でしかないカメラワークに意味を持たせ、大どんでん返しという非常に斬新な回となっている。

「マーガリン」に仕込まれていた機材の配線を抜く…
「マーガリン」の視点(カメラ)は砂嵐になる

またセラフィムコールでは、ほぼ同じ内容を2週に渡って放送する回が存在する。同一時間軸をループするシナリオを表現するため、このような演出手法が取られているのだ。
同じ内容を何度も放送するアニメの回と言えば、涼宮ハルヒの憂鬱のエンドレスエイトが語り草となっているだろう。だが、本作はハルヒよりも10年先行して既に試みていたのだ。

「涼宮ハルヒの憂鬱(2009年版)」

第5話と第6話は僅かな作画の差分を除き、全て同じシーンで構成されている。作画やセリフの違いで全く同じではなかったエンドレスエイトよりも、さらに攻めた演出ではなかろうか?

「村雨紫苑」
「村雨桜」

第5話と第6話は双子である紫苑と桜の元へ、宛名不明のラブレターが届くところから物語が始まる。双子のどちらに宛てたラブレターなのか、お互いの意識や思考を追体験して、真相を探るというシナリオになっている。

第5話
第6話
第5話
第6話

上記の通り、双子の外見の同一性を活かし、ほとんどのシーンを流用している。だが、心理描写は5話と6話で違っており、双子が持つ内面の微妙な差を描き分けることで別々の回として成立させているのだ。

エンドレスエイトは愚直にループを繰り返すため、セリフや作画を変えて同じ内容を放送するという試みを成立させていた。
正直、タイトル通り8回もループさせる必要はなかったと思うし、ループさせるために同じ内容を放送する必然性は全くないとも感じる。
だが、セラフィムコールでは双子の持つ外見の同一性(作画)と内面の違い(心理描写)を、共通するものとそうでないものでしっかり使い分け上手くループを成立させている。
同一の内容でループする必然性もあるし、双子という設定も活かされている。やはり、パイオニアとして本作の方が優れているのだ。

最後になるが、セラフィムコールが如何に意欲的な作品か伝わっただろうか?他にも、本記事では紹介しきれなかった斬新な回が数多く存在するので、未見の方にはぜひ視聴していただきたい!


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