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唯識の教え:あらゆるものが自分の中にある?!妹尾武治「未来は決まっており、自分の意志などは存在しない」

唯識の教え:あらゆるものが自分の中にある?!妹尾武治「未来は決まっており、自分の意志などは存在しない」

 唯識は、二つの言葉で簡単に説明できる。「唯識無境」と「唯識所変」である。
 唯識無境とは、外界にものなど存在しない、外界には何もない、という考え方である。
 唯識所変とは、この世とは、全て、唯、阿頼耶識から作られたものという考え方である。阿頼耶識という不思議な存在が全てを構成し、我々に夢を見せているのである。

本書より

「唯識無境」と「唯識所変」、「阿頼耶識」ってどう読むの?

「ゆいしきむきょう」「ゆいしきしょへん」「あらやしき」だよ。

唯識無境って外界には何も無いという教えなんだね。

実は中学生の頃に、悟っていた。

実は、唯識無境は、中学生の頃に、ボクは悟っていたんだ。

ふーん、唯識無境という言葉については知らなかったんでしょ。

唯識無境という言葉は、本当に、この本で読んで初めて知ったんだ。

どういうふうに悟ったの?

前にも書いたけれども、中学校への登校中、学校の最寄りの駅のホームから、改札へ降りる階段を降りていた時に、ふと、この景色は、視覚がとらえていて、ホームの音は、聴覚がとらえていて、足が地についている感覚は、触覚がとらえている。そして、これら五感によって、脳が外の世界を勝手に作っているんだな、と思って、実は外の世界はないんじゃないか、という変な感覚に襲われたんだ。

まさに唯識無境だね。

唯識無境までは、ボクも悟っていたけれど、唯識所変までの発想はなかったな。

唯識無境までは、ボクも悟っていたけれど、唯識所変までの発想はなかったな。この世は夢か?とは思ったけれどもね。あれ?悟っているのか?(笑)

要するにどういう考え方なの?

阿頼耶識が、すべてアナタに夢を見させているという考え方だ。

阿頼耶識自体は、心の働きなんでしょ?

深層心のひとつだ。たしかに、嬉しいときと、悲しいときとでは、世界の見え方が違うでしょ?そういうことじゃないかなぁと思うんだけど、間違ってたらごめん。

Aさん、Bさん、Cさん、すべては自分の中にある?!

Aさんは、自分にはわからない話をしている。Bさんは自分の知らなかった話をしている。Cさんは自分の理解できない英語をペラペラ話していたとする。

でも、唯識の教えでは、Aさん、Bさん、Cさん、全部自分の中にあると考えるんだよね?

なんか不思議だけど、そういう帰結になる。トンデモ論に聞こえるかもしれないけれど、すべては夢ではないということを、誰も証明できないんだ。

本書は、「未来は決まっており、自分の意志などは存在しない」という本。

本書は、「未来は決まっており、自分の意志などは存在しない」という本だ。

ノンデュアリティ(非二元)の話で出てくる「すべては完璧に起こっている」と、ほぼ同じこと言ってるね。

この本自体は、ノンデュアリティの本ではないけれど、「すべては完璧に起こっている」ってことを、より深堀りしようと思って読み始めたんだ。

唯識の教えだって、ノンデュアリティでは重要じゃん。

すべては自分の内側で起こっている、まずはそう捉えることから、ノンデュアリティに気づくバタ足を初めてみないか?ってのが、金森将「バタ足ノンデュアリティ」の発想だからね。

面白そうな本だね。

面白いよ~!

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