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①現状の資本主義システムによる支配構造について、②その担い手や元になる性質や能力、ニーズの、より調和的かつ快となる形で発揮できるシステムや環境の構築と提供、③新システムにおける新たな支配構造の構築を回避するための、支配構造の構築等を担う性質や能力、ニーズ等を持つ潜在的担い手たちの倫理観およびその元になる意識や状態、エネルギー等の、全体と調和化する色合いへの昇華、それを意図したシステム、文化文明、環境の構築と提供


<はじめに>

以下のAI等のテクノロジーを活用した社会構造についての記事内容を、実現していくにおいて、ネックとなる現状の資本主義システムによる支配構造についてと、そこからの新しい社会システム、および、新しい社会システムへの移行に関して示す。

今回の内容において、具体的な内容を示した方が良いと思われる部分も、抽象的な内容に留まっている箇所が多いと思われる。その上でも、示した方が良いと思ったため、示す。

またシェアする際の取り組み意識および留意点としては、こちらの記事内容を元に行う。

※参考記事:

AI等による生存に関することをまかなえる段階に入った際の、生存ベースの社会構成から、個の発揮における内的感覚(幸福感等)ベースの社会構成への転換と、二重構造化




【①】


★★★★

「現状の資本主義システムによる支配構造」



ai等による生存に関することをまかなえる段階に入るために、生存のための役割という意味での仕事を昇華的解散させるには、資本主義および資本主義や民主主義のシステムを活用して構築、形成されてしまった支配的な構造がネックとなると捉えている。

「普遍性の高い意味での人類や世界の恒常的な変化」「支配的な構造が構築形成されてしまった形での経済成長のための変化」とを分けて捉えることが望ましいと感じる。

現行の資本主義のシステムだと、個々人や集団の「個としての利」で全体をコントロールしていく方向性に集約しやすいと感じる。

※〈補足〉
いろんな方の情報発信、自らの確からしいと感じられる認識群、全体や様々な対象から感じられるもの等を元に、資本主体システムに対して、非言語的な感覚も含めて個人的に上記内容を含め、様々に感じている。その上で、今回の内容を示していく。

なお、私の視点や感性から、資本主義というシステムに対して、今回はあまり示さないが、人類にとっての素晴らしいと感じる点についても、私の感性や観点から、実感している。新しいシステムに移行する際にも、資本主義全体を否定する形で新しいシステムを立ち上げていくようなことは考えていない。むしろそれだと、一時的に良いように思われても、人類という全体性の観点から捉えたとき、資本主義の良い面が持っていた側面を新システム内での人々の価値観や感性において、否定やさげずみ、軽視、忌避、抑圧、望ましくないものとして捉える等が生じる可能性がある。

そうなると、人類における全体性を損なうことになり、それが次の大きな変化、またそこに至るまでの新システム内での人々の体験や蓄積時における質の低下、何かしらのネガティブ因子の付着、等が生じる可能性がついて回ることになりやすい。

新しいシステムや段階において、全体の変化の循環の中での、潮流というものはあると思うし、それが反映されること、することは認めているし、奨励もする。また私も全体の変化の流れに知らずに同調しているところがあるだろうと思う。(そもそもこの変化の時に適した魂であるから来ていると感じるところもある。似た魂たちもたくさんいる、来ている、来るだろうとも思う。)

その上で、人類(および宇宙)の全体性の観点から、変化後にクローズアップされるものが交代して、全体の構成が変わる際、過去にクローズアップや重視されたこと(その表層的なもの、こともだが、特にその本質、本質となる性質、人類のニーズ、また宇宙の志向性)も、その意義や意味、価値、存在が全体に認められた上で、全体の変化、場、環境の変化へと繋げていくことが望ましいと感じている。

これは今直面している、直面する、全体における大きな変化だけでなく、時間軸上におけるさらに先で起こりうる次なる大きな変化、未来の大きな変化においても、また人類という器としての本質的な領域においても、地球、宇宙においてもしかりだ。
※〈補足:終了〉


★★★★

「資本主義システムにおける支配構造の構築、形成、運営、享受の現象としての担い手」



個々人や集団の中に内在する、物理的、コントロール的な事柄から得られやすい利を重んじ、また蓄えることを重んじる性質に基づく内外的な動き(個としての利を求めるニーズ、ニーズの充足行為、判断、選択等)が現象として集約され、上記で示したような支配的な構造が形成される、されやすいと感じている。
(こればかりではないと思うが、個人的に感じる一つの主要な側面として思う。)

人々の同調、適応、影響を受ける、影響を与える性質等から、それぞれの魂が何かしらこうした環境下、支配構造下において生じているエネルギーに影響を受けた状態へと変化(色合いの変化)を起こし、形態化もしている、とも感じる。

(例、特定の生き方、在り方へのバイアスが強くかかる状況になっている。そうでないと、物質的、精神的な基礎的なニーズを満たす在り方ができない、出来ずらいため。それにより、様々な個々や属性グループの本質的に望むもの、望む方向性から外れやすい、限定されやすい構造にもなっていると感じる。
また人類においての俯瞰した視点からは、人類の社会集団において、その時点での、文化や文明によって、意識的、また無意識的に、在り方のバイアスは常に何かしら掛かる、掛かっているとも、捉えることができる。在り方へのバイアスが掛かること自体を、ある感性や視点から善悪などの二元的な感覚および認識で捉えることはできる。また、その二元的な視点での認識を私も行うし内包するが、上記に示した本質的な視点(本質というもの様々な観点からの本質を見いだせる、と捉えた上での今回の観点からの本質)からは、人類の形成する社会集団において、「在り方へのバイアスが掛かること自体」は、現象として恒常的に生じるものである、と捉えている。その在り方へのバイアスは全体としてより人類全体として望ましいものへと変化していると感じるが、資本主義システムおよびそこで意識的、無意識的に構築されてしまう支配構造的なものによって、その歩みがその支配構造的なものを意識的、無意識的に構築した個人や集団の意図(または個々の個人的な利を求める行動が環境的な構造から特定の方向性へと集積され、結果として形成された特定の集団や属性または全体を支配的に扱ってしまう構造や流れ自体の方向性、これらの背後のエネルギーの方向性)によって、硬直化されたり、硬直化されやすい状況でもあると、感じている。)

上記のような、物理的、コントロール的な事柄から得られやすい利を重んじ、また蓄えることを重んじる性質の程度が、人類全体の中での役割として高く、かつ、その他の器としての性質(資質、能力、性格、など)、またこの世界で置かれた環境等が、この資本主義システム上においてフィットした魂たちが、「現象」としての支配構造的なものの構築や形成、運用、享受の担い手となる、と感じる。

支配的な構造や流れも、その担い手も、それぞれの本質としての個性的な特性等を有していて、担い手においては「現象としての自由意志」(ある範囲内での不確実性を誘発させることができる機能)を有していると思うが、支配的な構造や流れ、その担い手となるものの在り方は、それらの素因と「環境」において形態化した、「現象的なもの」である、と捉えている。


★★★★

「支配構造の担い手、自覚的、無自覚的な支配や搾取を行っていた層、そうした性質、属性、タイプ、その元になったニーズの宇宙的な観点からの肯定と、昇華、統合」



これらの魂、および、支配構造の元になるニーズ(欲求)を私は否定しない。宇宙的な観点から肯定する。

※<補足>
宇宙のエネルギー(物理的に人間という器が捉えている宇宙ではなく、より本質的、根本的なもの、それを示すラベルとしての宇宙という表現)が段階的に物質レベルまで現象化されていき、人間という器、また魂という器が形成されていると感じる。

これは人だけでなく、動植物、自然、モノ、コト、現象、概念、情報、体験、霊的存在たちなども同様と感じる。なので、特定のタイプの魂(Aタイプ)は、特定の物質との親和性が高い、タイプBの魂は特定の情報との親和性が高い、などがあると感じている。それぞれに特定のモノ、コト、物質、情報、動植物、体験、現象、霊的存在たち、などと親和性が高い、といったことがあると感じている。
※<補足:終了>


上記の資本主義システムにおける支配構造の元になったニーズや性質等を、私もしっかり持っている、と感じる。

支配構造の元になるニーズ(欲求)や性質を、自分がそうだから肯定しているというのではなく、自分の中の本質的と感じる側面や実感から構築された世界認識において、宇宙的な観点(自己の中での、本質的視点、俯瞰した視点)から、上記の性質やニーズを肯定している。

その上で、皆が上記の性質やニーズを程度の違いこそあれ、持っている、生じていると捉えられるが、その中で、私という個の特徴としても、上記の性質やニーズを、決して少なくなく持っていると捉えている。

もっと言えば、自己認識として私は変化しやすい、様々な方向性の状態を習得し、自己の他の方向性や側面と統合させるようなことを好むところがあるため、上記の性質をより伸ばしたりしたり、この面を高めることもできる。その上で、私の別の側面として、上記のニーズや性質とは異なると感じられる方面のものも、強いと感じられるものがあるため(変化変容して色合いが変わったため)、上記のニーズや性質のみでの反応や行動をするわけではない、とも捉えている。

私自身の現時点での自己認識としてはこうだが、表現したかったのは、私自身が上記のニーズや性質を持つから、肯定している、ということを言いたいのではない。そことは別の方向性で、私にとって本質的であるとか、確からしいと認識や実感された感覚や状態をベースとした世界認識を元に、現行の資本主義システムの構造や、その支配構造の担い手等を捉えた際に、私の視点からは、支配構造というものは、形成された構造や担い手たちも全体の環境等が生じさせたもの、また環境自体が持つ見えない領域を体感しやすい領域にてあらわにした「表現(および表現者)」であり、より本質的には「現象」であると感じられ、捉えている。それらの元になった個々や集団のニーズや性質等も、人類等における他のニーズや性質(一般的に善や素晴らしいものとして捉えられる、実感されるようなもの)とも、対等で、「平等に尊いもの」と、感じられるため、「否定せず肯定する」として示した。またそれが私という個としての立ち位置として、全体に対して提示することが重要と思ったため示した。他の立ち位置を否定するということではない。むしろ、それぞれはそれぞれの立ち位置、役割として、それぞれの二元的な判断、または見解、行動等を示してくれていると捉えているし、また想っている。感謝している。ありがとう。


★★★★

「支配構造の構築を担う魂たち、およびその性質やニーズの肯定と、個々や全体を支配する方向性でなく、調和する方向性でかつ、より快となる形で発揮、実感できるシステムや環境の構築と提供」



現状の経済システム(資本主義および資本主義システム等を活用して形成された支配構造)から、新しいシステムを形成するにおいて、以下の視点を示す。

「個としての利」で全体(または特定規模の集団)をコントロールしていく方向性の魂たちが、個としての利の追求の過程で、その時点でのシステムや人々の流れを活用し、または自作自演して、利権構造的なものを構築してしまうことのない、しなくてもニーズが満たされる(利を享受でき満足できる)、または全体の流れを滞らせないような別の事柄で満たせるようにする。そうしたシステムや文化、環境を構築する。新しいシステムや環境への以降段階でも、各段階に応じたものを創造、構築し、潜在的に支配的な構造や流れを構築してしまう可能性のある魂たちが、そこではなく、上記に示したようなシステムや環境の方に行くようにする。対象となる魂たちのうち、各段階で構築されたシステムや文化、環境にフィットするタイプの魂から、徐々に以降するようにしていく。

また、上記で示したシステムや文化、環境は、その管理能力や、既存システムを活用して目的を達成させる構造、シナリオを創造、構築、運営、実行する能力やニーズは、そうした発揮のニーズが満たすことができ、それが全体にとっても好ましい形で影響したり還元されるようにもする。

既存の経営者層、投資家層が、個としての利を得るための自己を発揮する際、個々人や集団が自覚して無くとも感じている「快」、これが得られるようにしつつも、それを発揮時の内的な報酬として、発揮による快楽、また発揮の結果として得られる物質的、また精神的な快楽を得続けること、求め続けることで、個人および集団や全体規模で見た時に、自覚、無自覚的な支配構造、搾取構造の構築や形成に至らないようにする。

これらの、管理能力や、既存システムを活用して目的を達成させる構造、シナリオを創造、構築、運営、実行する能力やニーズは、皆がそれぞれの役割において程度は違えど持っていると捉えられるものであり、全体性の中での一要素、役割でもある。

※<補足>
「この○○という性質が問題化されているが、この性質は皆が持っているものだ。」という言説は、それぞれの自己を内観する機能、振り返る機能の活用を加味し、「罪悪感」を生じさせるため、それぞれの立ち位置での思考や判断を鈍らせるために行っている訳ではない。特に、経済システム、資本主義システム等に深く追及されたり、携わられ、支配構造やその影響、根本的な問題点等を伝えてくれている人たち、実際に行動している人たち、行動してくれた人たちに対して言う。感謝しているし、リスペクトしている。ありがとう!。しかし、私の観点や感性から全体に対して伝えた方が良いと思う点があるため、示させてもらっている。)
※<補足:終了>


否定や抑圧は、短期的、または特定の目的時においては効果がある面もあると思う。しかし、長期的、全体的な観点からは、いずれ爆発が起こりうると感じる。
また人類(また宇宙)という全体性の中において、特定の性質、ニーズを封印してしまうと、全体の大きな変化時に対応しづらくなる。(全体は一体であるがゆえに)

そうした面からも、自覚的、無自覚的な支配や搾取を行っていた層、そうした性質、属性、タイプ、その元になったニーズ、過程や結果で得られる快楽を否定せず宇宙的な観点から肯定し、昇華的に、全体性を損なわずに発揮される、享受できる形で統合させる。
そうした方向性が望ましいと感じる。

(また個人の好みとして、特定の性質、タイプを否定、封印したような世界は好まない。)


【②】


★★★★

「新しいシステムへの因果応報を起こさない形での移行と、因果応報や報復等に関しての見解」



このような形に、報復もせず、因果応報にもならないようにしながら、新しいシステムを構築して、人々の在りようの流れを変える。賛同する、または協力できる投資家層、経営者層といった、資本家層も、新しいシステムに、より幸福感を感じられるという感覚(また在り方の質の違い、より一層の好ましさ)を元に、それぞれが主体的に移行していくようにしていく。そのためのアプローチや働きかけを行っていく。


※<補足>
また報復や因果応報を否定しない、それを示したり、提示する役割の人々、分野を否定しないし、尊重する。宇宙的観点から肯定する。その上で、私の観点からは、変化においての因果応報的な作用が実際レベル(エネルギーレベルでも)で、生じない形での移行が望ましいと思っている。
それは、現時点での(人類や地球、宇宙、社会等の)変化という意味においてもだが、人類社会の変化という点において、今回以降も生じうる変化に対して、「同じような質での展開が生じないように」、という意味でも重要と思っている。(人類という種における、「社会という器の変化展開自体の変容」という意味での重要さ。)

また、因果応報や報復的なことが生じた形で、新しいシステムへと移行した場合、変化後において、様々な軋轢が生じたり、変化期において、特定の価値観、性質、タイプの人々、在り方が、人類において、望ましいもの、望ましくないものという固定的なイメージ、観念、前提が形成されてしまいやすいと考えられる。新しいシステムが形成されて以後、数百年単位、またはそれ以上での安定の間に生じうる体験や変化の蓄積による、次のパラダイムシフトやそこに至るまでの過程での変化や体験への望ましい対応(皆が幸せのままでの体験や変化等)がしずらくなってしまう可能性がある。(目の前の変化だけに順応した形での社会変化、人類変化となり、その普遍的なレベルでの変化の度合いが、ある程度の領域にとどまってしまう。これは良い悪いではないが、個人的な好みおよび望みとしては、私が関知する根本からの色合いの変化を起こしておきたい。)
更に、普遍的な視点、人類における「変化」という現象および認識においても、報復や因果応報が主とならない、生じないような方向性での変化によって、「変化」という現象および認識に付着している様々な認識や体験、集合意識上の認識等(集団や人類の意識的、無意識的なベースとなっている認識や感覚、感情、体験等)を、その絡みついているもの、連結しているもの、構成、繋がり等を刷新し、より個々や集、全体にとって、幸福な感覚に繋がりやすいものにしていくことにも繋がると思う。
そうした面からも、「新しいシステムへの報復や因果応報を起こさない形での移行」を私は提示する。



その上で、全体性の中でのそれぞれの役割や性質から、現状に対して怒りや不満を持っていたり、または流れが好転した場合、自己の尊厳を回復させるために尊厳を傷つけたものを実際的、精神的に攻撃する、さげずむなどのアプローチを取ったり、取りたいと思う人々もいるかもしれない。(このプロセス自体はそれこそ私の観点での宇宙的な視点から肯定される。)

しかし、私の観点や感性からは、それらを認めた上で、上記に示した理由から、できうる限り、怒りや不満、を個として集として内外的にぶつけていく形ではない方向性で対応していって欲しいと思う。これは、人(存在)によってはきついことと思う。特に、役割上、負担を強いる体験をすること、担うことが必要だった魂たちやグループ、存在たちなどにおいては、刺激値が高くなること、心や思考に負荷のかかることと思う。

またそうした方向性の人々(エネルギー)を代弁したり、守ったりする役割の人々などにおいてもしかりだ。ただ、それぞれの領域や方向性の代弁者や守り手的な人々においては、それぞれのしっくり来る方向性において、表現の質を上げていって欲しい。発するエネルギーの質を上げていって欲しい。(それぞれの色合いとして深めていって欲しいということ。私もだ。)それが結果として、「それぞれの本質をブラさない形での全体の調和」(それぞれを尊重した上での変化を認める調和)に繋がると思うためだ。

ただ、私はそれぞれの領域や役割の担い手に対して、他の役割(全体)への尊重を強制はしない。現時点の各領域や役割において、他の領域や役割等への尊重を行うことで、それぞれにおける、深い領域から生じる、「伝えなければならないこと、行動しなければならないこと、表現しなければならないこと」からどうしてもズレてしまう、しっくりこなくなってしまう可能性もあるからだ。
そのため、私の感性、方向性からの全体のために、支配構造の担い手や、支配構造の元になったニーズや性質等を、認め、その上でのアプローチを行うし提示するが、かといって、それぞれの領域で役割を担う人々、存在たちが、同様に「認める」ということは、しなくて良いと思っている。むしろ無理にしないで欲しいと思っている。

それぞれがそれぞれの発揮をする際に生じる、「内的な感覚」、(自覚化しずらくとも)その幸福感(しっくり感、納得感)がより高まる形で、それぞれの感性からの他を尊重すること(それぞれの視点から理解すること、認めること)、それぞれの観点からの「全体」を想うこと、それらをより反映させることを、模索していって欲しい。その結果、過激になる人や役割、声を出さなかった人やタイプ、役割が声を出す、行動する、ということもあるかもしれない(起こっているかもしれない)が、それも踏まえた上で、マクロな視点では、「それぞれの本質をブラさない形での全体の調和」(それぞれを尊重した上での変化を認める調和)に繋がっていくと思う。
その上で、皆にとっての幸せのまま、更なる幸せ(根本からの変革、ソフトの変革)へと、できる限り近づけて進んで行けるように、私の立ち位置でアプローチしていきたいと思っている。

平和ボケと言われてもやられても、構わない(嫌なのでやめて欲しいし、対応はするけれども)。
私は私の視点や感性から、自分をそうとは思わないが、外側の他者の視点や見解は、外側の他者のものだ。
平和ボケに限らず、いかようにも言ってもらって、またやってもらって構わない。
(ただ、繰り返すが、嫌なのでやめて欲しいし、自分を守るための対応および全体にとってプラスになると感じる対応はする。)


それらを踏まえた上で、怒りや不満を発散させる場やアプローチ(文化)、流れを別途創り、また創られるように促す。それにより、その怒り等が、支配構造を主として担っていた、支配構造上において、意図的、または無自覚的に主となる階層で担っていた人々、集団に、向かないようにしていきたい。

それと同時に、怒りを癒す場やアプローチ(文化)、流れをより活性化、促進していきつつ、また怒りを抱えやすい層やタイプの人々を、発揮のニーズに基づく喜びを軸に、様々なニーズ(生存に関してはもちろん、所属や愛や承認といったニーズ)を満たせるような場、役割、環境を、既にあるものはもちろん、新たにブラッシュアップしたもの、新たに創造したものも含めて、個人や集団における発揮の喜びを中心とした在り方や環境を提供していき、報復や因果応報的な状態に、実際レベルで(エネルギーレベルでもだが)生じないような、「現象状態」に持って行きたいと思っている。
※<補足:終了>


【③】


★★★★

「世界中で形成される、様々な主体や背景の街型のプラットフォームの形成促進や繋がりの構築における、旧来的な個としての利を主としての活動主体かどうかを見極めての繋がり方、取り組み方」



世界中で形成される、形成されている、国や大企業、団体、個人等が形成する様々な規模、出資者、システムや文化的背景、目的を持つ街型のプラットフォームと言えるものたちに対して、その自立性を高めるようなシステム、アイデア等を創造、提供していく。

それにより、個々の地域や価値観に根ざした新しい集団社会の形成を促進しつつ、個々の街型のプラットフォームと言えるもの同士の繋がりや連携も高めていく。

この際の、個々の街型のプラットフォームと言えるものたちとの繋がり方、出資者、主催者、運営者たちの、魂としての性質、役割等を「個としての利」で全体をコントロールしていってしまう、またはそうした支配構造の構築や形成を自覚的、無自覚的に行う可能性がある性質や役割の魂たちか、グループかどうかを見極めてく。

時流の変化を感知し、新しいシステム構造やグループ同士の関係性の中で、自らの支配構造、利益構造の確保や拡充を本質的な目的とし(既存の支配構造の構築や形成、保守の延長線上の感覚(旧来のシステム上の目的感覚)ということ)、新しいシステムの方向性や考えを表面だけ目的のために装ったものかどうか、また顕在的だけでなく、潜在的にどうか、魂の性質や役割としてどうかを見極めていこうと思っている。

こうした方向性の流れにおいて、新システムの形成や本格的に世界的な影響力が高まってきた段階にて、上記に示した「個としての利」で全体をコントロールしていってしまうタイプの魂のものたちが、プラットフォーム同士のつながり上での力関係、支配関係のようなものを構築や形成したり、または後々にだとしても行わない、できないようにも調整していく。


【④】


★★★★

「新しいシステムへの移行とそこでの新たな支配構造の構築や機能不全を回避するための、支配構造の構築等を担う性質や能力、ニーズ等を持つ潜在的担い手たちの倫理観およびその元になる意識や状態、エネルギー等の、全体と調和化する色合いへの昇華、それを意図したシステム、文化文明、環境の構築と提供」



これを行うにはシステムとしてのアプローチだけではなく、各性質やニーズの質自体をそれぞれの方向性が納得いく形で昇華的に高質化させていくことが重要と思われる。支配構造を構築する性質やニーズは、それこそシステムをシステムという枠組み内で捉え役割に徹したり、運用運営する、活用するような認識や感覚ではなく、どのようなシステムや枠組みの中であっても、そのシステムや枠組みの外に意識を出し、システムや枠組みといった事象を俯瞰して捉え、それらを「自らの目的、利」に活用する、更にそうした目的や利が常に得られ続ける恒常的な構造、システムを構築するという性質や能力、意識状態、そうした知見が影響している。
(意識しているしていないに関わらず)「ルールやシステムという土台の上で動くのではなく、自らという土台の上で、ルールやシステムを材料や要素として捉え、目的やニーズの達成のために活用していく、そこに創造性や実行力を発揮していく」そうした性質が主となり影響していると思われる。

更にそうした性質や能力を行使する対象が、人や集団、社会構造、社会システム等といったものである場合、かつ利他的な性質や倫理観、全体性への感覚等がリンクした形で意識的、無意識的に発揮される場合は全く変わってくると思うが、そうしたことではなく、「個としての利の獲得や拡充、保存、継承」といったものの比重が強く作動している状態を土台とした上で、上記に示した性質や能力を発揮、行使した場合、意識的であれ、無意識的であれ、支配構造の構築、形成、運用、享受へと繋がっていきやすい。


上記の性質や能力を否定しているものではない。むしろ上記のような性質や能力(自己という土台の上でシステムやルール等を材料として目的となるものを創造、構成、実行するという能力や性質)を発揮することで得られる感覚が、私は個人的に好きだし、快なため、主体的に行ったり、自然と行ったりする傾向がある。そうした性質、能力、役割の人々も、たくさんいるだろう。主として行使する対象や領域、興味関心のある対象や分野、自然と惹かれたり、実行できる対象や分野は異なれど。(これは支配構造を構築するということではなく、上記のような性質や能力を活用して、純粋に各事柄において、恒常的なシステム、流れ等を創造する傾向がある、好むということ。魂の性質や役割によっては、支配構造的なエッセンスが入る人もいると思う。それを責めるものではない。全体の現時点での「現象」であるため。)

これらは学問や発明だったり、芸術だったり、文化(創作、スポーツ、ゲーム、など)、あらゆる行為や分野、場面、それこそ企業の運営や国家経営、あらゆる諸活動等において、効果的な性質や能力、意識状態、智慧であると思っている。ただそれが、影響力のある立ち位置や役割、分野等で、「個としての利の獲得や拡充、保存、継承」といったものの比重が強く作動している状態を土台とした上で、倫理観なく(倫理観の程度が全体性への考慮というのが本質的にあまり強くない程度の段階で)発揮、行使されると、他の性質や役割のものたちを考慮せず、利用や活用して、個としての利を獲得や拡充等する構造(各分野や領域での支配的な利益構造)を構築していく流れになっていきやすいと感じられる。(個として完結している領域、人の介在が極力無いような領域であれば、エネルギー的な領域、集合意識的な領域での影響はともかく、直接的な領域での影響はあまりないかもしれないが。)

倫理観というものも、様々な観点や方向性、ベースとなるエネルギーでのものがあるし、根本的に良い悪いはないが、他者愛(他存在愛)、人類愛等といった感覚(それぞれに方向性や質自体は違えど)の程度によって、それに即した方向性での形成になりやすい。そうした倫理観、そうした倫理観の感覚に基づく力の発揮となりやすい。特にそうした他者愛(他存在愛)、人類愛等といった感覚が育まれたり、体験しずらいような性質、環境等の役割の魂である場合、上記のルールやシステムという土台の上で動くのではなく、自らという土台の上で、ルールやシステムを材料や要素として捉え、目的やニーズの達成のために活用していく、そこに創造性や実行力を発揮していく性質や能力(ある種の優れた能力)を他者や集団に対して強い影響力や規模感を持って発揮していく前に、倫理観等をある程度高めるということは厳しいものがあると思う。(時間や労力を割こうという意識やフォーカスも、その個性や役割故に、優先順位は強くはないと考えられるし。)(こうした状態自体も含めて、現時点で生み出されている、体験の場としての世界の構成、「現象状態」ともいえる。)


こうしたことを捉えた上で、支配構造を構築することに繋がる性質やニーズを認めつつ、それの快を満たしつつ、他や全体に対して望ましくないような支配構造が自覚的、無自覚的に構築されないような新しい形態のシステムや環境を創っていく。その際には、システムとしての考慮も行うが、そもそもがシステムや後述するが個人や集団の性質やニーズ等をメタ的に捉え、創造的に活用する性質が影響している面があるため、システムだけでの対応であれば、新システムや環境が上手く人類に適用された当初は効果が有れど、ある程度長期的なスパンで見た時には、徐々に新システム及び、そこでの人々の新しい在り方や流れ、蓄積された文化文明、知見等を活用して、新しい形態の支配構造的なものが構築されて行き、新システムが快適に機能しずらい、機能しない状態へと至っていってしまう可能性がある。
これは良い悪ではなく、人類という器の性質から生じうる可能性があるということ。

それを見越して、システムや環境面で考慮するものとして、システムや個人や集団の性質やニーズ等をメタ的に捉え、創造的に活用する性質等やそこに影響してくる倫理観(または倫理観の元となる各人や集団、全体の意識や状態、エネルギー、それらの元になる体験や実感、それらの元になるシステムや文化)等が、質的に向上された形態に至りやすいように、倫理観の元になる意識や状態、エネルギー等が支配構造等の構築としての発揮へと進まない水準まで自然と育まれたり、実感されていくようなシステム、文化、環境を構築することも、同時に織り込んでいくことが重要と思う。(理解させる、強制的に教育するのではなく、支配構造を構築するような性質やニーズ、能力を持つ魂たちが、各々の好みや興味関心、楽しさ、快、等によって、主体的に楽しめる文化や、あまり意識せずとも接すること、サポートされることになる、土台となるシステムや環境等との関わり、他の人々や存在、地球との関りから、自然と実感の伴う形で、意識や状態、エネルギー等の水準、色合いが、その個性をズラさずに、全体の調和を保ち発揮されるような色合いへと昇華的に変化していくような形にしていく、それに繋がるシステムや文化、環境を意識して構築していくということ。こうした文化や環境の担い手も含めて。)

その上で、同時に、システムや人類の性質等をメタ的に捉え創造的に活用する性質やニーズを新しい質(他の個々や全体にとっても望ましいような形)で満たす(発揮される)システムや環境も用意する。
それによって、支配構造を構築してしまう性質やニーズ、能力のある魂たちが、その性質を閉ざさず、全体と調和した色合いでの意識や状態、エネルギーで、より快や幸福等を実感できる形で発揮し、全体に提供、還元していくことが出来るようになる。
それにより、人類としての性質やニーズ、その全体性を閉ざしての現状を踏まえた上での新しい形態への移行から、全体性を解放しての、それでいて全体の性質やニーズがより高次の色合いで調和する形態への移行の方向性に、進んでいける。


★★★★

「支配構造として想定されるものとしての一例」



支配構造について、一つ見出せるものを示す。
ちなみにこれはリアリティのあるおとぎ話として示す。

心理的な弱みを突いて(見出して)特定の考え(二元論的な正しさ、評価、強さ等、様々な性質やタイプの魂たちが自覚的無自覚的に精神面や本能面で重視しているもの、ニーズ、自己認識、他者や集団からの認識(評価や承認)を、それぞれが実感の伴う形で形成し、集団に作用させる。また物理的な報酬(生存や肉体的な快楽を生じさせることに効果的なモノ、場、金等)も活用して、あらゆる視点や観点からの「大衆」を創り上げ、数の論理が作用する場を形成する。
これらの「二元的な評価軸」「物理的な報酬」に対して、何かしら引っかかる者たちを選定する。そうしたものたちの物理的、精神的な欲求、ニーズを活用して直接間接的にコントロールし、集団において形成した善悪、優劣、強弱等の精神的な評価軸を用い、その善などの正規なるものを、目的のための行為や行動、アプローチ、流れ、構造を形成するために、創り上げた「大衆層」たちが好むようなものに「コーティング」し、大衆層に適用する。
集団に対して目的を満たすための秩序や人々の流れを創る、創らせる。

また、数の論理や力で、支配する対象たち自身同士が無自覚に互いを攻撃、停滞、破壊させる流れやシステムも創り上げていく。支配構造にとって抗うものや不都合なものたちは、支配する対象たち自身の各々のニーズを活用し焚き付け、数の論理、力で攻撃させ破壊する。また役割上、反する性質や立場のもの(支配している対象の中での適任者)を、精神的な評価軸、物理的な報酬を大衆の流れ、システムを活用してあてがい、直接間接的に力を与え、攻撃、破壊、もしくは無力化させる。全体を盲目化、闘争化させていく。
場を混乱に陥れやすい状態を保ち、状況により混乱させ(雲に巻き、利を生み出し)、叩き潰し(誰かに叩き潰させ)、破壊する。(誰かに破壊させる。)そうした構造を多層的、多視点的に明示的および暗示的に構築、形成し、この最深部で鎮座する。(影響力の行使における構造としての最深部であり、実際的には隠れている訳ではなく堂々と自己の利、ニーズの充足を享受できる立場や立ち位置を確保し、享受、構築を進める。)

このようなアプローチをニーズや目的から逆算して、構築したり、展開に応じて随時使い分けて、構築、実行して行っている、というか個人や集団が意識的にやっているかに関わらず、そうした流れが現状のシステムとして「現象」として自然と生じてしまっている、と感じる。そうなりやすいシステム及び環境、状態となっていると思われる。

そして、これらの構造や流れの中で、自覚的に上記と似たようなことをやっているものがいたとしたらば、そうしたものは行為自体に自覚的、または無自覚的に「快」を感じている可能性が高い。支配すること、破壊すること、奪うこと、蹂躙すること、それ自体が望みでもある状態となっている。

(こうした支配すること、破壊すること、奪うこと、蹂躙することなどに「快」を感じること、望みとなっていること、それも宇宙的な視点からは肯定される。その上で、上記で示したように、こうしたニーズをより全体と調和する形で発揮できる、より快を感じられる発揮の仕方、場、役割等を創る。また発揮に関して自覚的、無自覚的に作動する倫理観がそれぞれの方向性にフィットして全体と調和する水準までの色合いへと至れるようなものへと自然と育まれるようにする、システムや文化、環境を創造する。こうした倫理観の元になる、意識や状態、エネルギー、およびその元になる体験が育まれるシステム、文化、環境を創造する。それが重要と思っている。)


上記のようなアプローチや構造、流れは、人類社会といった規模感の大きなものだけでなく、他者との一対一での関係性から、数人規模での関係性、十数人から100人、それ以上といった集団や組織においても、同様のアプローチが可能であるし、自覚的、無自覚的に、部分的であれど生じてしまっている環境等もあると思われる。個々の担い手自身は、全くの悪意なくとも。私自身も。

※〈補足〉
(この言説は、罪悪感や劣等感を生ませるための意図のものではない。ちなみに罪悪感や劣等感は本質的な愛や素晴らしい性質故に生じるものであり、その現象自体、本質的な愛の表れの一形態である、と捉えている。俯瞰した視点、宇宙の愛の視点から、罪悪感等が責められるもの、ことではない。二元性の領域における、特定の感性や方向性、目的にて体感されたり、形成できうる価値観や体系において、罪悪感等を望ましくないものとすることもまた、可能でもある、ということだ。このように捉えているし、私の観点から本質的、普遍的と感じている。)
※〈補足:終了〉

上記で示したようなアプローチも現環境での現象であり、また宇宙的な視点から肯定される。
その上で、こうした構造や流れではない、望ましい流れになるように、個々の担い手や、こうした構造や現象の元になる性質やニーズを否定せず、宇宙的な視点(それぞれにおける俯瞰した視点)から肯定して、それらが他の性質やニーズ、タイプの人々や存在たちと調和し、全体としても変化を内包する形で調和的に循環するような、そうした形で、満たされるように、発揮されていくようにしていく。


また、ここで言う「大衆」に関してだが、様々な観点からの「大衆」であるため、各々の得意領域、興味関心の領域、性質や能力が役割上秀でている、また秀でた領域や方向性等の部分においては、それぞれが「大衆から外れる」傾向が強い(個々の性質やタイプなどにもよるが、外れやすい領域はある)が、様々な領域や観点で「大衆」は構築されているため、個々人や集団のそれぞれの個性ゆえに(それぞれの役割や個性故の興味関心や性質、能力の程度の違いのために)、何かしらの領域においては無自覚に「大衆」として振舞ってしまう傾向が強くなる、と捉えている。これは人類的な性質や現象を活用して、構築、展開される。この言説は、罪悪感や劣等感をあおるものではない。個人的に私は興味ないものに対しては、ボーッとしている。故にかなり大衆だ(興味なくとも気付くこともあるが)。また大小の支配構造における単なるイレギュラーだ。自信を持って言う。


【⑤】

★★★★

「既存システムでの自覚的、無自覚的な支配構造の構築享受層の、権限等を部分的に認める形での、新システムへの移行と、最終的な昇華的解散」



新システムへの現行の資本主義システムの移行において、示す。

支配構造等を自覚的無自覚的に構築や形成しやすい人類の性質やニーズ、またその比重が強く適性のある役割の魂たち、グループを否定や抑圧、封印することなく、宇宙的な視点から肯定する。(それぞれのタイプや性質での納得できる俯瞰した視点から認めたり肯定する)。その上で、その性質やニーズ自体、役割の魂自体の質、在り方、表現形態自体の質を向上させるために、それらの性質やニーズを満たすための行為や対象、アプローチ、場、環境自体の質を向上させて創造し提供するなどの必要がある。)

既存の資本主義システム内で影響力を行使している人々(資本力の強い投資家層、経営者層等)は、その立ち位置や享受している利は保証され、それぞれのニーズを満たせるが(ニーズを満たすにおいて、人が担っていた部分はaiやロボット等のテクノロジーで代替えして、人は順次、新システムへ移行させていく)、全体の支配や利権構造などを構築、形成できない別形態のシステム、在り方に、主体的に移行してもらい、緩やかに、新システムに吸収されていくようにする。

新システム側のルールやシステムを個々や集団単位で、それぞれにおいての「快や利」を見出し、主体的に受け入れる形で既存システムや立ち位置から移行していくような流れを創っていく。それをスムーズにするためのシステムや専用の立ち位置(権限を限定的に認めるなどの立ち位置を段階的に設定する、など)等も用意しておく。状況に応じて、用意していく。
支配構造を意図的無自覚的に構築している個々やグループに対して、限定的に明示的な権限を認めつつも、同時に暗示的に形成された利権構造なども暗に部分的に認めたりしながら、少しづつ、それぞれにおける「快や利」に基づく形で主体的に移行していくように、創造的なアプローチ、システムの導入、流れの形成などを行い進める。

それらにより、ある時点で支配構造を構築していた層が存在し、幸福を享受していても、搾取されるものは限りなくゼロに等しく、全体においての影響力は無い形へと移行し、最終的に新システム側にそれぞれの「快や利」を元にした主体的な意志により吸収され、「昇華的解散」を迎えるに至る。もっていく。


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