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AI等による生存に関することをまかなえる段階に入った際の、生存ベースの人類社会から、個の発揮における内的感覚(幸福感等)ベースの人類社会への転換と、二重構造化


<はじめに>

AI等のテクノロジーの発達により、生じうる人類社会や世界(また自らが創りたい人類社会や世界)について示す。




【①】


★★★★

「AI等による生存に関することをまかなえる段階に入った際の(可能性が観えた際の)、生存ベース(生存に関する結果ベース)の人類社会から、個の発揮における内的感覚(幸福感等)ベースの人類社会への転換と、二重構造化」



AI、ロボット技術、バイオテクノロジーにより、食料や水、製品の生産、建物の建設、エネルギーの生成、などの生存に関するものの生産は創意工夫は必要だと思われるが、賄えるようになると思われる。

その際、生存の役割としての肉体労働的な仕事はほぼ無くなると考えられる。事務的な仕事、基本的な方針決定等の仕事も、生存に関しての領域においては必要性は無くなると思われる。

生存に関して、ai等でまかなえるようになった段階で(またそこにかなり近づいた段階で)、人々の「生存のためのしなければ」が解放される。同時に生存のための役割としての仕事は失われる、失われていくと考えられる。


後日示すが、技術的に可能であったり、可能性が生じても、既存の社会システム、特に資本主義システムを成り立たせるために、「生存のための役割としての仕事」や活動は、保持され続ける可能性がある。
資本主義システムおよびそれを活用した「現象」としての支配構造、搾取の構造が、根本の変革へのボトルネックとなる、なっている可能性がある。※


生存に関して、ai等でまかなえるようになったら、生存のための役割としての仕事は失われる。失われていくと考えられる。

その上で、生存のために行っていた仕事、役割、行為時に生じていた、内的な感覚、その質感へのフォーカスが高まると思われる。
(これは、内面で感じる幸福感へのフォーカスへ繋がる。)

個々としての発揮、またそれを他者に提供したり、役立ったり、喜ばれたり、個々という存在として自立した上で、他者と繫がること、協力し合うこと、それらの過程や結果で生じる内的な感覚といったものへのフォーカスが高まると思われる。


やりがいだったり、幸福感だったり、快となる感覚だったり、至高体験だったり、またそれらの質を高める、より深い幸福感へ至るという観点から、自らという存在への探求、興味関心、変化変容、体験、そういったことが、より様々な人々のタイプによって生じていく。また自己探求や内的感覚に関する智慧等を持つ様々なタイプがそれぞれの形で表現したり、自然と導いたり働きかけるようなシステム等を創造し提供するなどが行われる。それらにより、自己探求や内的な感覚、幸福感への実感が自然と成されやすいような環境となり、全体の水準が上がっていく。これはもうすでに大分起こっていると感じられる。

また、元々そうしたものを自覚的に感じていたり、大切にしていた性質や状態の人々には、それらの感覚を元に、より発揮しやすい環境で、それぞれの方向性ややり方で、より楽しみながら発揮や体験をしていくことができるようになってくる。またそうした流れを奨励し、この流れや個々人をサポートしたいとも思う。

そこから、個人の集積としての社会において、生存を前提として構成された社会システムは、生存部分をテクノロジーでまかなえるようにしつつ切り離していき、個々や集としての発揮の喜び、それを誰かや何かに対して提供する喜び、それぞれにおける「全体」に対して繋がったり貢献する喜びを軸とし、それを最大化(高質化)していくことにフォーカスされた環境としての社会システムへと再構成的に再創造される、する。
またその中で、それぞれの望む体験や変化変容成長(それぞれにおける精神的な成長、魂の成長)を行っていけるようにも意図して設計する。


こうした社会変化において、例えば、人が働くことが主となるような生存のためとしての食料生産や農業は無くなる。その上で、個の発揮の喜びとして農業をすること、また作った農作物を誰かや何かに対して提供すること、それらの人々の活動や体験の力になりたいとか、サポートしたいとか、助けたいという想い、そこからの例えば、活動やマッチングシステム、流通システムなどのアイデア出しや、その具現化や運営に関して、協力したい、具現化の過程で個を発揮したい、という人々の想い、ニーズ、そうしたものがフォーカスされ、発揮や体験できるようにサポートされるシステムが構築、形成されるということ。
農業を行いたい人と、その作られた農作物を受け取りたい人とをマッチングさせるシステムや、それに関する流通システムを構築する際、ai等のテクノロジーをアイデア出しやブラッシュアップレベルから活用して形にしたりもできるが、状況により人々の「体験」のためにあえてテクノロジーを活用せず、行われたりもする。

これは、人々の発揮や体験、変化変容成長、内的な感覚(快、幸福感等)に価値が置かれるため、あえてaiなどの効果的なシステム、テクノロジーはここでは使われず、あくまで生存に関してのシステム(生存のための食料生産など)に活用されているという形。
そうした、人々の内的感覚(幸福感)をベースとした体験の場、環境を、ai等のテクノロジーで構築した(または構築過程の)生存部分をまかなう社会システム層における、「上位となる社会システム層」として構築する、という感じ。

人類レベル、宇宙レベルにおける、それぞれの領域や担い手を守りながら、それぞれがより発揮や全体への還元ができる形で。



生存ベース(生存に関する結果ベース)の人類社会から、個々の発揮における内的感覚(幸福感)ベースの人類社会への転換と、二重構造化。
それに伴う、ベースの社会システム(既存の国家、資本主義システム)の変革と切り離し、そして移行。


【②】


★★★★

「AI等で人類の生存がまかなえる状態になった際の人類および宇宙における「生存」の扱い、位置付け」



生存に関して、全てai等がまかなえるようになったら、逆に生存のための行為が再認識されると思われる。それは、その生存という感覚を元にした上でのアクションの、感覚、味わいへのフォーカスである。

その生存を強く感じたり関連する事柄で感じられる感覚を、生存が保証された環境の上で、体験できるようになる。魂の性質や役割によっては、興味関心や、快となる感覚を味わうことを追求するという形で、この生存に関すること(例、自給自足、サバイバル、ハードな身体活動、命に関する極限状態への挑戦等)を、意図的に取り組むことができるようになる。生存に関することに取り組むにおいて、しなければや恐れという感覚がベースとなったりせず、また付着する割合もかなり下がったり、無くなった形で、行うことができる。

また、むしろ魂のタイプによっては生存から生じる恐れを意図的に生じさせ体験することを行う魂たち、およびそのニーズも、より意識化され生まれる可能性がある。それに答える形で、ある種「安全な形」で、それでいて、「望む質感の恐れ」を味わえるもの、システム、文化等が生じたりもすると思われる。

また、生存に関する恐れの体験を望む魂であっても、時々で付随する事柄に対して望まない部分もあると思われる。そこは取り除いたり、対応対処した上で、体験できるなど、現代で格闘技やスポーツ、アクティビティなどを「安全を配慮した上で」行い、各競技やアクティビティの種類ごとに、異なった刺激、良さを体感できるが、そのような感じで行うことが出来ると思われる。

こうした環境の中で、望むような快の体験を通じて、それぞれがそれぞれのテーマや方向性での魂としての成長も、楽しみながら、かつ意図的または意図せずともシステム側で安全な形で取り組めるようになると思われる。

身体という器を活用して、より高質な感覚や状況で、楽しみながら、様々な感覚、感情、エネルギーを体験していけ、変化変容成長していくことができる。それが全体に還元されていく。人類や地球、宇宙の進化へと還元されていく環境ともなるし、する。


また、ai等が生存に関することを全て担ったとしても、生存への体験に快を感じやすい魂たち、グループ、また興味関心のある魂たち、グループが、人間という器としての、生存に関するニーズ、方向性での力、智慧を継承すること、満たすこと、体現することを満たすようにする。

人類の全体性として、生存に関する側面、ニーズ、潜在的な力、方向性は、抑圧や封印、軽視されること無く、よりそのニーズやニーズの充足時の感覚、体験、力の開放や発揮、智慧、それらの味わいを、安全、快適、好み(ハードさの度合いも含めての好み)などの要素が加味され、よりそれぞれの個人やグループにおいて、快となる形で味わえるようになる。

生存への体験から得られる、生じる魂の体験や変化変容、成長の方向性に関しての感覚、状態、知見、智慧は、これらを担う魂たちによって保存され、かつ探求される。そして、後々に現れると思われる、「内的な感覚等を共有するシステム」等によって、生存へのフォーカスが意識的にはあまり強くなく、別の事柄へのフォーカスが強い魂たちでも、生存に関する感覚や状態(それこそ、チャクラの状態、身体感覚、身体の状態、生存に関して生じるエネルギー等)をある程度共有し、体感、獲得することが容易にできるようになる。全体の水準を引き上げることが出来る。

生存への体験に重きをおくことは、今までは人間という器であることから前提化されていたが、ai等のテクノロジーを創意工夫を持って組み合わせること、創造することで、ai等がまかなう形に持っていく。

そして、それぞれが「好きなことをすること」、それが主となり、そこに、個人や集団が力も時間も労力も使える、使うことが、人類において前提化する。

ここで言う「好きなことをすること」とは、表面的な意味での好きなことをするというよりも、魂として望んでいる好きなことを順次取り組んでいくことである。それを通して、意図せずとも魂として望んでいる体験や成長を行い、またそれらを通して人間、人類、地球、宇宙という物質的な器の維持成立進化にも、それぞれの役割でもって自然と寄与していく、全体への還元や循環が生じていく。これらが、より意識的に成される段階に人類が至ると捉えている。

「好きなことをすること」のバリエーションの一つとして、生存に関することがあり、それを魂の性質に基づき、惹かれる魂たちが行い、全体に還元していく。人類という器としての全体性においての、「生存」という側面(エネルギー、宇宙の志向性の具現化の一つ)を、保存し、追求し、伝承し、他の側面にフォーカスする魂たちに還元していく。全体を底上げしていく。


また感覚等が全体としてある程度共有されるようになると思われるため、他のことにフォーカスしていた魂たちも、別の様々な事柄、例えば生存に関すること、体験、それに取り組むことも容易となる。その際、生存の体験に惹かれたり、フォーカスする魂たちは、人類における生存に関する側面の守り手、導き手、教師的な位置ともなる。

また更に次の段階の人類や地球の変化変容、様々な内外的な事象(災害等)への対応力としても、この「生存」というニーズ、方向性は重要な意味を持つ。そのため、保存され、発展し、継承され、新しい質で影響力を発揮していく。そして、時間軸上における、「未来」に人類という器を繋げる。

それぞれの魂たちは、「好きなことをすること」が奨励されるが、それは一つの事柄へのフォーカスでも構わないし、様々な事柄でも構わない。特に好きなことをしなくても良い。存在していること自体が、尊重される。それが人類社会のベースとなる。

それぞれの魂の志向性の動きが、全体そのものに常に還元されるような形となるし、する。


【③】


★★★★
「感覚を共有するシステム、加工するシステムの発明による、人々のソフト面での変化:「個性」「存在としての尊さ楽しさ 」「反応対応体験味わい」等の質的な変容」



テクノロジーの発展により、感覚を共有するシステム、加工するシステムが発明されると思われる。
個々の人々の感覚、それを表示させる体験、在り方、また個々の存在としての器、肉体、心、思考、魂などからなる個性、そこから生じる感覚、状態、それらを共有すること(ある程度のレベル感での共有、また擬似的であっても)ができることで、個々の存在としての個性、大切さが、自他ともにそれぞれにおいて体感、実感されていくことになる。

その際、表立った個性、違いの有無だけでなく、内的な感覚の個性、これらも他者および不特定多数と共有したり、体感することができることで浮き彫りとなり、そこにもフォーカスがいくようになる。

ある集団や属性における「普通」にしている人、振る舞いが集団のデフォルト的な人であっても、その内的に生じている感覚においては個性的であったりすると思う。それを他者が感覚を共有した際、心地良さや面白さ、今まで味わったことの無い内的な感覚が生じる可能性がある。それらを味わうことが出来るようになる。

こうしたことを経て、「個性」というものが、現段階でのイメージや感覚のものから、さらに拡張され、人々の中でまた新たに刷新される。個性という認識の拡張と刷新の先には、他者に対して個性(価値)という尺度で捉える際の、「個性の有無、個性の程度」という前提となる認識が、「皆それぞれが真に個性的であるということ、一人一人が唯一無二で大切であるということ、価値ある存在であるということ」、という方向性の認識として、実感の伴う形で、様々なタイプの人々の中で生じる(生じやすくなる)。

またその上でのそれぞれの個性、それぞれが持つ肉体や心といった器や魂の個性、性質ということへの意味や価値が、他者との比較としてではなく、それ自体としての素晴らしさ、尊さ、また楽しさが実感され、再認識、また認識の刷新へと繋がる。存在としての優劣がベース的に作用する感覚が減少し、存在としての尊さの感覚や認識が、様々なタイプ、それぞれにおいて実感の伴いやすい形で生じる。それが様々なタイプや全体においての実感の伴うベースへと切り替わる、またより強く定着していく。

その上での、各感性や特定の尺度での、距離感としての上下や程度、正誤などの捉え方へと、変化する。二元的なものの見方、実感に付随する、ベースとなったり、別視点からの認識(顕在的、または潜在的な形で作用する認識)が個々人や人類における各タイプ、属性等においてそれぞれに変容し、結果、より高質な形での、存在の尊厳や尊重、またその上での二元的なものの見方(上下、正誤、程度、等)が生じ、それに基づく、価値観、概念体系、関わり、コミュニケーション、在り方、集団現象、文化文明が、形成されていく。

それぞれの存在としての尊さ、価値を、それぞれが実感しやすくなるし、また全体の認識としてもより高い質で生じていく。そうしたエネルギーが全体により一層生じていく。


またそれぞれの様々な反応や対応が体験としての味わいがあることが改めて実感、認識される。それにより、個々の様々な反応や対応(感覚、感情、認識、思考、想い、イメージ、行為、行動、など)が、外界上での意味(例、ある尺度や系において正しいか、問題の回答として正しいか、起こった出来事に対して効果的か、感情か、など)とは別に、「味わいとしてどうか」といった体感の伴う価値視点から捉えられるようになると思われる。そして、各々の反応や対応が実際に体感されたり、味わられることに繋がる。

それにより、個々の様々な反応や対応において、外界上での意味(例、問題の回答として正しいか、など)の割合が相対的に下がるようにもなり、より一層、個々の存在、存在としての個性の尊さが、尊ばれる、大切にされる、楽しまれるようになる。

それが自然と個々人や、その反応や対応に対して繋がる、人々や分野、領域、見解、見識、表現などとの「繋がり自体」のパターンの拡張深化を促進していくことになる。それにより、今までにないような繋がり方、それに基づく創発を生むようにもなっていく。

これらのサポート等もai等のテクノロジーが行っていくようになる。


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