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【見解】 ①私の歴史と政治に対するスタンス:②自己の次の段階に至るためのアプローチ:③近況について等

🔴< はじめに >🔴


今回は、主に以下を示す。

・自らの発揮のための作業環境の最小構成での構築

・作業環境が組み込まれた在り方による、行動等における直観の実行の簡易化

・自らのアイデアや構想等へのいたずらな期待や、実際的、精神的な望ましくない結果の回避、そのための努め

・自らの歴史的、政治的なスタンスと方向性

など。


また、余談として、以下も示す。

・VRを駆使した思考のビジュアル化と、オブジェなどの別形態化しての操作と創造のシステム

・罪悪感や劣等感について

など。


この内容は投稿した段階に対してタイムラグがある。少し前にまとめたことを中心に記している。リアルタイムの「今」から、外れるが、示した方が良いと思うため、示す。

また、今回示す内容に関して、進みや流れ的に、一旦別のことに注力する場合、寄り道する場合もあるかもしれないと思っている。ただ、おおむね、今回示す方向性で行っていこうと思っている。

🔴< 見解等を提供や共有する際の取り組み意識意図 >🔴

また顕在的、潜在的にそれぞれの方向性や観点から何かしらプラスになる人、かつ内容に関してショックや動揺が生じない、またはご自身で影響をカットや対応できる人にのみ、届くように意図する。

内容の提供や共有に関するその他の取り組み意識については、この記事の終わりで示す参考記事等の内容に基づく形とする。

🔔< YouTube動画 >🔔


YouTubeにも、今回の記事と同内容の動画を投稿した。それも示しておく。

💠YouTube動画:分割版

 🔻Part 1/8
【見解03】1/8 各物事等へのバラバラのピースの収集的かつ、スパイラル的な形での取り組みと次の段階への至り

 🔻Part 2/8
【見解03】2/8 自らの育て:発揮のための環境創り:自己の幸福感と思考、直観、行動との関係性

 🔻Part 3/8
【見解03】3/8 自らの発揮のための作業環境の最小構成での構築と、スパイラル的な拡張予定

 🔻Part 4/8
【見解03】4/8 VRを駆使した思考をビジュアル化しての操作と創造のシステム

 🔻Part 5/8
【見解03】5/8 自己の在り方への作業環境の組み込みによる安心と、直観的実行の簡易化

 🔻Part 6/8
【見解03】6/8 自らの近況を示す意図 ~プライドを守るため~

 🔻Part 7/8
【見解03】7/8 アイデア等へのイタズラな期待や望ましくない結果の回避と、その努め

 🔻Part 8/8
【見解03】8/8 私の歴史と政治に対するスタンス:罪悪感や劣等感について


🔔< 音声のみ(stand.fm) >🔔


バックグラウンド再生が可能な音声のみのものも、投稿した。
それも示す。

💠stand.fm
https://stand.fm/episodes/668590df290c4406991a29b9
分割版もある。(Part 1~8)

✅< 関連記事等の情報について >✅

関連記事やSNS等については、記事の終わりに示す。





🔻【①】🔻


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①-1
「①各物事や分野のパズルのピースの収集的な形での取り組み:②スパイラル的な形での取り組み:③それらによる、次の段階の状態への至り(の可能性)」


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私は、自らが取り組みたいこと、および発揮したい取り組み方にとって必要と感じるものに関して、バラバラのピースを集めるように、取り組んでいる。これは、その時点で必要な解像度での理解や把握、意識や状態の刷新、各物事や分野の共通認識化された知識や情報の活用可能化、といった形で行っている。


🔶
また、各物事や分野への取り組みは、マクロ的にはスパイラル的な感じで取り組んでいってもいる。
スパイラル的というのは、特定のパターンや周期で、似た傾向の分野や事柄に取り組むが、各周期ごとに各取り組む分野や事柄への程度が深まり、自らにとっての次の質的な程度の段階へと進む、ということだ。例えば、自らの理想を形にするための活動においては、以下のような流れがある。

1.自らにとって確からしいと感じられる本質や、それに基づく世界観の構築、また理想の内容や方向性などを見出すための抽象度の高い領域の分野
(例、精神世界、スピリチュアル、宗教、哲学など)

2.抽象的な理想等をより具体的な領域に段階的に落とし込むのに適した領域の分野
(例、歴史、科学、政治、経済、社会など)

3.理想理念と紐づいた実際的な活動や働きかけを行うにおいて適した領域の分野
(例、ビジネス、経営、具体的な各業界、産業、学問、文化など)

4.実際的な活動等を実行する際の土台となる領域の分野
(例、心、身体、意識、状態、健康、生活、在り方など)

などといった流れだ。

上記のような流れの上で、更に抽象的な領域と、具体的な領域を行き来しながら、自分自身が次の段階に至れる状態になるまで、繰り返し行っていく。また私の場合は、抽象的な領域、本質的な領域を先に重視し、そこから具体的な領域に行く傾向がある。

🔶
上記は分かりやすく説明したのであって、実際の進みは入り組んでいたり、自分の考え通りとは良い意味でもいかない場合がある。ただ俯瞰した視点で捉えると、意識的または無意識的に、スパイラル的な形で取り組む対象が変化していき、周期が展開されているように見受けられる。周期の展開の都度、自らの全体の水準(状態)が「自ら視点からの向上」をしていきながら、進んで行く。理想理念や、自己の発揮の仕方、その具体的な形等もブラッシュアップ、質的な変容(向上)をしながら、進んで行っている、と捉えられる。


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①-2
「①自らを育てるということ:②発揮のための環境を整えているということ:③自分の発揮に関する幸福感や満足感、直観と思考、行動との関係性」


🔶
私は過去から今に至るまで、バラバラのパズルのピースを集めるように、マクロ的に見てスパイラル的に、各分野や物事について、自らを育てている。心も身体も、意識や状態も育てている。

自らを育てるだけでなく、自らの満足行く発揮が行えるような環境を整えている。自らの満足行く発揮とは、方針や方向性、理想や理念、アイデアや構想、実際的な対応の見出しやブラッシュアップ等といった「実行」に関することを指す。

これは2024年の3~5月辺りのことだが、noteなどの記事投稿ができるプラットフォームやYouTube等とは全く別のところで、アイデアの具現化(事業化)に関して、練習的に取り組んでいた。そこで、必要な知識、情報、自分独自の実際的な取り組み方を得たり、意識や状態の変化を行っていた。

🔶
私は、方針や方向性、理想や理念、アイデアや構想、実際的な対応の見出しやブラッシュアップ等や、それらの実行といった自らの発揮において、アイデアや構想、方針等といったものは直観で来る。対象や事象に触れた際、どこかに行った際、状況が変化した際、直観的に気付きを得る場合がある。

また特定の物事や事象に対しての様々な条件、設定、関連する分野等についての情報を理解や頭に入れた際に、アイデアや本質的な気付き、認識等が直観的に来たりする。この際に理解や頭に入れる情報等は、自らにとっての必要最低限の知識、情報、関係する個人や集団のニーズ、傾向、該当する物事や事象に触れた際に感知する様々な感覚、気付き、それらに関する認識や知識等だ。

直観できたものは、他者とのコミュニケーションの中であれば、言語化しやすかったり、その時に言語化できるものであれば、伝えたり、表現し、やり取りする。ただ、個人的なニーズとして、直観で来たものをそのまま形にするだけの在り方では自分の中で、「何かすごく大切なピースが欠けた感覚」になり、満たされなくなる。そうすると、何かを成そうと動き出した際、途中で満たされなくなる。または空虚感を抱えたまま、直観で来たアイデアや方針、具体的な対応や案、行動などを行っていく形となる。その際は、満たされないまま、何かを求めたまま、動き続けることになる。渇きの答えは分かっているのに、立ち止まれず、立ち止まれない状態でこの渇きを満たせるようなアプローチ、取り組み方を、各状況ごとに即席で構築しようとしてしまう。こうした状況になってしまうと、自己を満たす即席の取り組みも満足に構築できず、自己の深いところのピースが満たされず、内面を中心に外側も含め不安定になっていってしまう。

🔶
直観で来たままに動くということもとても気持ち良く動ける。しかしその在り方が自らの核となってしまうと、満たされなくなってしまう。私は、直観で来たアイデア等を、自分が蓄積した様々な方面の独自の概念群や共通認識化された概念群、様々な情報等といった知見でこねくり回したい。アイデア等を様々な情報でこねくり回して、思考と直観の波を味わい、これだ!という案を様々に見出したり、ブラッシュアップすることで、私の個としてのニーズは満たされる。渇きが満たされる。(これは私の中の一つの核となるニーズの満たし方、渇きの満たし方だ。)

これを頭の中にストックした情報のみで行うのではなく、自分がまとめたテキスト等、外部刺激(情報)を活用して行うことで、様々な情報や視点が加味された案を直観で引き出すことができる。また直観で引き出した案を個人的に思考によってある程度納得できる形で解釈することがしやすくなる。それにより、個として核となっているニーズがしっくりくる形で強く満たされる。

また「モノ(システム)」を扱って行うということにも、「快」が生じやすいところがある。そのため、テキスト等の外部刺激を活用することが重要であったりもする。

🔶
それと自分の場合、「記憶」はどんどん失われていく。当時の記憶に関するものを見ると当時の状態や感覚を思い出すが、フォーカスが終了した物事の具体的な知識などはフォーカスが終了すると捨象されやすい。抽象的な独自概念や認識、そこで得た意識や状態の変化変容だけが残る感じとなる。そうしたこともあるので、各物事にフォーカスしている際には、後々に思い出せる用に、キーワードだけでもテキスト等にストックしておくことが、個人的に効果的だったりする。それを扱えるファイル共有アプリと、フォルダ、テキストファイルなどを活用した個人的かつ簡易的な作業環境を整えた。


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①-3
「自らの発揮のための作業環境の最小構成での構築と、スパイラル的な取り組みによる拡張予定」


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個人的に、様々な気付きや知見等に関する、リアルでのノートやメモ、PC上でのテキスト等が膨大に蓄積されていて、収拾がつかない。ただ、過去の各時点ごとに主要な内容やキーワード等をまとめたファイルなどを中心に、少数だが、実際にアイデア出しやブラッシュアップなどを最低限行えるようにまとめることが出来た。各物事や分野などについての情報や独自概念をストックしたテキスト等の追加拡張等ができるシステムというと大げさな、簡易的な個人的な作業環境を整えた。これは単にファイルを一か所にまとめたというのではなく、簡易的ではあるが、自分の内面が納得できるような作業のやり方に適した情報の管理や活用が可能な形にしたということだ。

また作業環境を中心としたライフスタイルも構築した。ライフスタイルのことについては、だいぶ前から取り組んでいたが、特に一昨年前くらいから食事や運動など、生活全般について改革してきた。それを土台に作業環境を加味して生活スタイルも再構成した。

🔶
構築した作業環境には、作業全般を網羅でき、最小構成で行え、各物事や分野に関して得た情報を追加修正していける拡張性を持たせた。自分の性質上、短い期間の内にある程度の形までにしないと、次の事柄へのフォーカスに移行してしまうため、本当に最小構成で行った。
そのため、過去に蓄積したテキストベースの知見は、この作業環境とは、活用できた少数のものを除き、切り離している。本当に最小構成で構築したので、自分の望む方向性に進む過程で、必要性や興味関心のある物事や分野にスパイラル的に取り組む過程で、知見を得つつ、この作業環境で扱える形にしていこうと思っている。というか、既にアイデアの具現化についての練習をいくつか行うにあたって、複数の分野についてはストックした。解像度は低いが自ら視点から必要と感じられるものを全体網羅できる形にし、活用した。

この各物事や分野についてのストックは、今までよりも教科書的な共通認識化された概念群、または個人的に参考となる形の言説等にフォーカスをし、まとめ、活用できる形にしたものだ。各分野や物事における独自概念による理解は、スパイラル的な取り組みの中で、自分の中の深いところと繋がる形での理解が進んでいたようで、そこまでやらなくとも、ある程度の解像度で理解できるようになっている感がある。そのため今回からは、特に各物事や分野における共通認識化された概念群の理解とストックをやや中心として取り組んでいるところがある。

この作業環境に関して現段階では、作業環境を最小構成で作動させること、また目的(抽象的な理想等)のために必要な要素に関する全体網羅性を高めること、アイデア出しやブラッシュアップ等といった「作業」への取り組み、実践、練習をすること、等を重視している。そのため、ストックと言っても、各分野について共通認識化された概念群は、現時点での自分の中で活用できるものを限定し、行っている。それ故に、作業環境にストックしている共通認識化された概念群の量や質、解像度は高くない。各物事や分野へのスパイラル的な取り組みをとにかく回して、作業環境の全体網羅性を高め、アイデアの見出しやブラッシュアップ等の質を高めたもの、作業過程での実感も含め、自らが納得し満足できるものを、出力できるようになっていこうと思っている。正直プロセスの体感としては満足感を感じている。後はより快適にできればという感じだ。

🔶
過去にはアプリなどで簡易的なものを自分で作るか外注するかで創ろうと試みたこともある。しかし、自分の性質やパターンであったり、拡張性、ストックされたものの扱いなどの面への考慮、具現化する際の方法等を検討したりしている間に、これにフォーカスしていたターンや流れが終わってしまって断念した。過去にも何度も試みたりしていたが、自分自身がどんどん変化していってしまうため、出来そうで中々できなかった。できても自らの変化によって実質形骸化していた。変化する面も含めた自己の性質やパターンをある程度のレベルでメタ的に捉え、自分の変化を加味した形にしないと、仮に形にできたとしても活用した際に納得できるものとはなりずらい。また作業環境の構築途中で、これへのフォーカスや流れが終わってしまう。そのため、形にすることが中々厳しかった。完璧主義もあるので、尚更きつかった。

🔶
私は、こうした自己のスタイルや作業環境にこだわらない。ただ、こうしたスタイルや作業環境のプロセスにおいて生じる「快」となる感覚、それが発生すること、およびその質が自分の核にフィットするならば、それにより満たされるのならば、形態は問わないし、スタイルは変えていく。例えば、AIも使っている。自分の抽象的な認識から具体的な案を出す際に、AIに案をいくつか出してもらい、それをたたき台にして、もっと自分的に「これだ」というものになるまでの案を見出したり、ブラッシュアップするなどだ。(注:「note」等で記事にするアイデアや見解等の内容に関しては、AIは使っていない。作業途中でまとめる際に使ってみたりしたことはある。注:終了)


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①-4
<余談:VRを駆使した思考のビジュアル化と、オブジェなどの別形態化しての操作と創造:その思考結果の質的変容:思考よりも行動や身体活動優先タイプの思考的深まりの提供と、その人類的な質的作用とその可能性>


🔶
作業環境については、もっと言えば、VRなどのテクノロジーを活用したものでも良い。例えば、VR空間で自分の身体の周りに各分野に関して独自にまとめた情報を表示させ、それらを見渡して自らの思考モードを直観が生じやすい「思考のカオス状態」とでも言える状態に持っていくことで、直観を生じやすくし、引き出す、という形態でも良い。VR空間上であれば、PC上の画面を超えて、より情報を体感的に感知しやすい状況を生み出せる。それが様々な分野や方向性、観点からの情報や視点が統合融合された直観を引き出しやすい状態に持っていける。

🔶
更に言えば、各分野における自分の独自概念等を記号化や図表化し、その記号や図表と各種の情報とをVR空間上で直接手などで操作して、より深い思考をしやすくし、そこから直観を生み出せるようにするのも良い。更に言えば、思考要素の記号化や図表化といったものは、平面的な形態だけでなく、立体的なモノとして変換し、VR上で立体的に操作できるようにしても良い。「立体的なオブジェ」を創るように。

思考の要素を操作し形成したオブジェ等は、言語的に翻訳もできるようにしておく。思考的な展開ではなく、思考要素を立体化したものをオブジェを創るようなビジュアル的操作を行い、その形成物の結果を、思考要素に言語的に変換することで、思考展開をさせる、思考結果を得る、ということを可能にするということだ。(注:詳しく説明していないのもあるが、私のこの言語的な説明では、訳が分からないと思われるかもしれない。大丈夫だ。私は元々訳が分からないだけだ。注:終了)

話を戻すが、この思考要素を立体的に記号化し、VR空間内で操作、アプローチするということによって、そこで生成される思考過程、思考結果、アイデアなどの質や領域は、今までに無いような「特異性」を持つ可能性がある。これによって、人類の思考の質的な変容を生み出せるかもしれない。AIやコンピューター等でこのシステムを活用して、膨大なパターンを行っても良いが。(この結果の質も変わる可能性がある。)

🔶
これは、独自の認識を記号や図表、またイラストや映像等として捉え、脳内で扱うようなタイプの人々には、その能力をより高度に発揮させることに繋がる。また脳内のイメージを他者と共有しやすくもなる。

更に「思考する」よりも身体を動かすことで考えるようなタイプの人々でも、思考の要素、ツール、情報等をVR空間上で「身体的に」操作することで思考が行える、補助できる。そのため、より深く思考をするということが、自らの「手で」行える、体験することができる。今まで思考への比重があまり高くないタイプが思考をより深い領域で行えるようになることで、今までありそうで無かったような思考展開を生み出す可能性がある。これも人類の質的な変化に繋がる。

なおこれは、数学における関数のグラフ、コンピューターにおける情報をウィンドウ上で表示させて扱えるようにしたこと等と同じ方向性での考え方だ。

✅※<余談:終了>※✅

🔶
ものすごく余談だったが、自分としては、様々な観点で集めた自分とフィットする情報、認識を加味した状態での思考展開やそこからの直観の流れ、そのプロセスで生じる質の「快」に、自らの核と繋がるような強い幸福感を感じる。これができれば、それを行うための形態は、問わない。より快適で、快が生じやすいものであれば、それを自然と取り入れる。


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①-5
「自らにとって望む快を得られる作業環境が組み込まれた在り方の存在による精神の安定、それによる行動等における直観の実行の簡易化」


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直観から来たアイデア等を、上記に示したような作業環境を用いて、思考によりブラッシュアップすることは、常に行う訳ではなくとも、個人的には満たされる。こうした作業環境が土台として存在していて、それを活用し、いつでも自分の中で思考や直観等による「納得や満足できる快」となる感覚を味わえる、体験できる機会があれば、満たされるし、安心する。

直観的なアイデア等もだが、目の前の行動や実行、対応等に関するアイデアや方針、方向性等の直観については、個人的にメモ等は取るが、わざわざこの作業環境にてブラッシュアップなどをせず、そのまま実行していく。

上記に示したような、直観と思考の味わいを体験できる環境があり、機能していれば、直観に基づく実行に関しては、来たままに実行して行きやすくなる。また直観的なアイデア等に関して動く際、調査した方が良いとか、このままだと良くないとか、そうしたものも直観的、または感覚的に来るため、それに従って動ける。こうした直観や感覚自体を盲信しないようにしているが、基本的には自らの感性からは有益なことになりやすいので、そうする。

上記で示した作業環境やそこでの発揮の仕方が自らの活動や理想創造に向かう際の在り方に組み込まれていることと、作業環境を活用して味わいたい「快(幸福感)」が味わえること、それらができる状況、状態であることが重要である。これは自らの魂の核の部分で重要だ。その上で、これからも必要なもの、ことは出てくるかもしれないが、今はこれが大切と感じている。

🔶
上記の作業環境が組み込まれた在り方が土台となることで、心や魂が落ち着き、直観で動いていくことへのフォーカスがしやすくなる。
保険をかけると、この段階になっても、次のストッパーが出てくるかもしれない。私は本来はもっとガンガン行きたいし、そう「見られたい」ので、「保険をかける」という言葉も使いたくない。

(注:保険や保険をかけるという在り方を否定していたり軽視している意図ではなく、個人的な好み、もっと言えば、他者にどう見られるかという部分での好み。もっと深く言うと、他者にどうみられるかを意識するのは、他者のエネルギーを受けて、自己が感じている自らにとって好ましく感じている側面、ここでは「もっとガンガン進んで行く感じのような性質」等が、感覚的に揺らいだりするのを感じ、それにより、自らにとって快であったエネルギー状態、心身の状態から外れてしまうことに「不快」を感じるため。自己のエネルギー感を保ちたいというニーズがあるということだ。注:終了)

自らがどう思われるかという観点から、「保険をかける」という言葉を使いたくない、ということを示しつつも、結果、苦しくなってコトを成すこともできないくらいなら保険をかけまくってでも進む。

こんなことを言ったら精神世界や社会的なあらゆる尺度で断罪されまくると思うが、「私は私」で在りたいし、そうでないと成すこともできない。コトは成せても満たされない、と思うのでこれをさらす。認める。(この発言自体、数多の尺度や感性による「断罪の元」になるだろう。ヤメテクレ。)
いくらでも断罪してくれ。
(でも断罪されないように全力で祈ってやる。)


🔻【②】🔻


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②-1
「自らの近況を示す意図 ~プライドを守るため~」


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自らの作業環境の構築等に関してを示す理由は、自分のプライドを守るためだ。以前の記事等でも示したが、プライドを守るためということは、特定の精神的な尺度にて、「陰」と捉えられる場合がある。陰と判断される自分だとしても、自分で在るため、認めるため示す。該当する数多の尺度や感性では、「私は陰である」と、自信を持って主張する。自分の中で必要だから示す。

全く言い訳しないが、そもそも私の感性、世界観では、プライドという機能、プライドを守るための行動も、在り方も否定しないし、その意味や意義、個人や全体における機能、役割がある。俯瞰した視点から認めている。肯定している。その軸の中で、他者も自ら自身も捉えている。
その上で、プライドやプライドを守ることを望ましくないもの、避けるべきものとする感性や尺度、またその方向性も、認めている。肯定している。

スゲーじゃん!良く見抜いてるよ!全体性の中で、必要な役割だ。認めてるよ。

🔶
なお、私は自意識過剰を素晴らしい性質の一つの表れとして認めているし、自認している。だから言う。私と一部でも似たような性質の魂たち、プライドを大切にする魂たち、私を真似する必要性はないよ。正解とかはないと捉えている。

✅※<補足>※✅

ある尺度や感性が作用する領域においては、正解を見出す、感知するということもできる。ただ、本質的には、そういったモノやコトはないと捉えている。故に、私の言説に囚われることはないが、それぞれの感覚や判断によって、それぞれの程度で適用することもまた「自由」だ。

✅※<補足:終了>※✅

私の言説を真似する必要はないという話に戻す。私は過去の記事等でよく示している「イメージング」などを活用して、外部および内部の影響をある程度クリアすることができるようになってきた。自己の中でのいろんな反応パターンに対して可能になってきた。そうした自己の状態、状況、環境だから、自分のプライド云々のことを、言えるようになった。そうじゃなきゃ、とてもじゃないけど、言えない。心身の刺激的にキツすぎる。誰かに言ったとしても(その人が善意だとしても)、場合によってはその人のエネルギーに引っ張られる。自分のエネルギー感、軸とズレた形となって自分を下げることになる。大変だと思う。似た魂であっても、役割や変化の方向性はそれぞれだと思う。その体験や担う役割故に、エネルギー的なアプローチを現時点で取り扱いづらい人たちもいると思う。尚更キツイかもしれない。(注:エネルギー的なアプローチ、イメージングなどの他に、実際に強めの体験をすることで変化していくというアプローチなど、様々なものがあると思う。ただハードになりやすいかもしれない。注:終了)

それぞれにしっくり来るアプローチで行うことが個としても全体としても望ましく感じる。これはリアリティのあるおとぎ話だ。独り言であり、妄想である。

✅※<補足>※✅

相談やカウンセリングなど、担ってくれている人たち、ごめんなさい。上記の見解は、あくまで一視点からの話です。軽視したり、下げる意図はありません。申し訳ないです。それでも言った方が良いと思ったため、示しました。すみません。

なお、無粋になるが、私は謝っているが、自分の尊厳を下げるような内的な感覚では、謝っていない。相談やカウンセリング、人々を受け止めることをしてくれている、担ってくれている存在たち、役割たちへのリスペクトから、示している。また私自身が内面の尊厳を下げずに各担い手や役割へのリスペクトから謝るということを示すことが、相談やカウンセリング等を担ってくれている人たちだけでなく、より全体にとってもプラスになると、私が「勝手に」思ったから言っている。

どうだ。ものすごい上から目線だろう。こんな上から目線を私の感性から全く否定せずに認めている。言った方が良いことは言う。その上で、ショックや動揺させたら、させていたら、謝る。役割や立場上、反応しやすい存在たち、また繊細な性質を担う存在たちに、謝る。ごめん。

✅※<補足:終了>※✅


🔻【③】🔻


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③-1
「アイデアや構想等へのイタズラな期待、失望、実際的、精神的な望ましくない結果の回避、そのための努め」


🔶
私は、私自身のアイデアや見解によって、人々をイタズラに期待させるようなことを望んではいない。いや、ちょっと違う。自分のアイデアや見解等によって、少しでも心や思考がポジティブに反応してくれたら、そこに期待が入っていたとしても嬉しい。今の私としては、自分の影響力、力を実感できるため、素直に嬉しい。また承認も実感できる機会となるため、嬉しい。更に、受け手それぞれが、各々の軸のまま、私の感性や感覚から見て、より良くなっていくこと、それを感じられることも、素直に嬉しい。対象や事象、事案、現象において、よりプラスになったと感じられることも、また純粋に嬉しい。

しかし、もし仮に私が示したアイデアや構想だったりが実際に形になった際に、受け手にとって期待ほどではなかったり、失望させたり、またその具現化されたものによって実際的、精神的に苦しませてしまったりすることを、私は望まない。これは何かしらが具現化された際の短期的な結果だけではなく、中長期的な期間での結果についてもだ。

✅※<補足>※✅

実現性や実際性、具現化された際の影響や効果、などを考慮するよりも、人々に希望や期待を与えることを重視している人々、役割やグループたちをとがめるような意味や意図、想いから、これを示している訳では無い。それは私の想いや価値観、本質と感じるものからズレる。人々に希望(同時に期待)を与える役割の人たちには、それぞれの形でどんどん発揮していって欲しいと想っている。

✅※<補足∶終了>※✅

🔶
個人的にアイデアや構想、理想、理念、方向性などを、直観的に受け取ったり、見出したりすることは、個人的なニーズから行いたいし、行う。その際の、私の好みとして、枠に囚われない01的なもの、または私の感性から見て人々のソフト面およびハード面が質的により望ましく変容するようなものを好む。また枠に囚われないようなものでありながら、それが実現性や実際姓、効果的に機能するものを好む。効果的に機能するとは、個々人や集団の意識や状態、認識の変容や刷新に意識的、無意識的に確かな形で作用する、ということだ。

自らが直観的、もしくは見出したアイデアや構想等は、上記のような実現性や実際性等を自ら視点で加味したものとなる傾向が高いと思われる。しかし、私の各物事や分野についての解像度は、具体的なものであるほど高くない傾向がある。また私の各物事や分野の捉え方、学び方の傾向から、教科書的な共通認識化された概念など、具体的な知識や情報への程度が低い、欠けている場合がある。自分の中の抽象的なアイデアや構成イメージにおいて、その具体的な構成は専門知識が無いため明確には見いだせない、説明できないが、自らの各分野に依らない抽象的な構造に関する独自概念等や蓄積された感覚等によって、具現化可能性があると感知し、判断している可能性がある。その上で、各物事や分野の有識者や技術者とのやり取りを通して、各分野等の具体的な概念や技術等によって、自己の抽象的なアイデアや構成イメージに対する具体的な形態等を発掘する、見出す、発見するような、そうした流れも加味して、「具現化可能性がある」と判断している場合がある。こうした内的な働き等から、自分の中では「実現性、実際性がある」と認識している、感知している場合がある。

自らのアイデアや構想等を捉えるにあたって、上記のような性質を持っているものとして捉えてもらえると、ありがたいと思う。イタズラに期待させたくはない。ただ、自分の中での実現性や実際性およびその可能性を直観的、もしくは思考的に把握および感知しているものを基本的には示している。

✅※<補足>※✅

たまに具現化可能性や実際性を考慮していないようなものを出す場合もあるかもしれない。ただ自分の性質上、空想的なものと思えても、具体的なイメージや構成の説明が無くとも、基本的には実現性を無意識的に考慮したもの、感知したものを重視する傾向がある。そのため、意識せずとも、実現性や具現化可能性等が加味されている傾向があると思う。ただ、実現性や実際性、具現化可能性があったりしたものでも、具現化するためには、かなり創意工夫や様々な点からの考慮、対応対策、智慧等が必要となる可能性があるものを示している場合もある。あらかじめそうした可能性や内容も、言語的な説明はせずとも、考慮や想定した上で、出す、出している可能性や場合もある。

✅※<補足:終了>※✅

🔶
集団や社会、人類の混乱期や転換期に、変革的なことを掲げ、熱狂を生み、そのある種の達成に至ったものの、その結果が人々にとって望んでいた程ではなかったり、望んでいたようなものでは無かったり、また望ましくないこととなってしまったり、というようなことにはしたくない。またしないように努める。
例、毛沢東の政策など。

そのために、自分自身を高めるし、同時に他者とやり取りして、自己という領域を超えた形のもの、より全体にとって望ましいものとなるようにしていく。それを提供できる、機能させられるようにしていく。
有識者たちとやり取りして、実現可能性、実際性、実際的な効果を持つものを、創造、具現化、提供するように、できるようにする。努める。自分のやり方とペースで。


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③-2
<補足:自らの歴史的、政治的なスタンスと方向性:罪悪感や劣等感について>


🔶
毛沢東などの過去、現在における為政者たちを私は責めないし、各時代の環境、各個性でもって、それをやりきったと思う。各時代の環境等における人類的な蓄積から来る、個々の発揮における内容的な違いはあれど、個々の存在たちはもちろん、現在も過去も未来も対等であると思っている。その時代軸それぞれで、発揮できる現象の形態、質というものは、変わってくる。そこでの固有の個性の輝きが、現象化されると思っている。

ヒトラー、スターリン、ポルポト、麻原彰晃、ビンラディン等を責めない。それぞれの魂の個性として、全体の中での役割をやった、担ったと思う。皆、対等な存在である。

また同時に、上記の人たちを責める、非難する人たちも認める。それもまた、ある方向性における平和や安心が背景にあるからこそ責めている。それもまた役割だし、担ってくれている。認める。そのお陰で、今におけるある一定の水準での平和や安心といったものが保たれてもいる。現環境の中だからこそ、私はこうしたことが言えるという面があることも認める。だがそれに対して、罪悪感や劣等感を持たない。

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罪悪感や劣等感も、ある方面での優しさ、感性や感知力の高さが起因となっている「現象」である。(と個人的に捉えている。)現象としての認識の表層における、「無限の解釈領域での一つの解釈」としては、罪悪感や劣等感とは、現時点および各時点での人類の内外的環境と、全体の表れとしての各個々人(個性)とが合わさり生じる「叫び」であり、「訴え」でもある。それと同時に本質的には、罪悪感や劣等感は、「そのまま」として、本質的な宇宙における、「対等な創造物」として祝福されている。認められている。

ただ、自らという個の器としての感性から、より望ましいと感じる方向性、自他、全体の理想に至るにあたって、理解(想い)と対応は「切り分ける」。そのために、過去の時代と比べて、ある水準でいられている自らの現状への罪悪感や劣等感を認めた上で、「打破」する。自らのエネルギー感において。あらゆる罪悪感や劣等感という現象自体および、それらの表れの元になる「願い」のためにも、「打破」する。

また、時間軸上という観点における過去から現在までの個々の発揮によって、全体の表れとしての「私」という個としての器が上記のように思える、感じられる「環境」になったこと、それは素晴らしいことだと思う。そして、現時点を基点に更に個々が発揮されれば、また更に事象の受け止め方の質は変わる。そうした個々が生まれる「環境」へと至っていく、とも思っている。

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私には、「日本が〜」とか、政治的な「右とか左とか」は無い。外部から私をどう判断するかは自由だが、私にフィットする立ち位置はそこではない。役割としてどの立ち位置も対等と捉えている。しかし、上記のような軸にはいない。その上で、人類全体で見た時の位置や役割として、それぞれの地域であったり、主義主張といったものを捉える。その中の一つとして日本という地域を捉える。各地の右とか左とかの政治的な主義主張も、全体の中での役割として捉える。それぞれを担ってくれているとして捉える。その上で、この人類、地球、宇宙、世界の現象をどういったものか、どうしたいか、どうするか、どうしていくか、で捉える。考える。見出す。

✅※<補足:終了>※✅






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🔴< 関連内容等について >🔴


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今回の内容と直接連動する動画や記事を以下に示す。

✅※参考内容:

💠預言書と私のプライドについて
   ↓
 🔻記事(note)

 🔻動画(YouTube)
 🔻音声①(Spoon:バックグラウンド再生可)
 🔻音声②(stand.fm:バックグラウンド再生可)

💠【見解】①自らの物事への解像度の程度:②見解やアイデア等の傾向と好み:③アイデア等に関する有識者等とのやり取りのスタンス:④この世界の本質的な完璧さと祝福性
   ↓
 🔻記事(note)

 🔻動画(YouTube)
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 🔻音声②(stand.fm:バックグラウンド再生可)


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🔔< 関連記事 >🔔


今回の記事と特に関連する記事を以下に示す。

✅※参考記事:

💠街型のプラットフォーム、革命を超えた革命と、その後の世界の流れ、内外的な新しい質の世界の完成

💠地の時代→風の時代など、エネルギー的な変化の周期における、人類の内外的な変化や移行の既存パターンを刷新する、3層(4層)の土台とその完了

💠AI等による生存に関することをまかなえる段階に入った際の、生存ベースの人類社会から、個の発揮における内的感覚(幸福感等)ベースの人類社会への転換と、二重構造化

💠①現状の資本主義システムによる支配構造について、②その担い手や元になる性質や能力、ニーズの、より調和的かつ快となる形で発揮できるシステムや環境の構築と提供、③新システムにおける新たな支配構造の構築を回避するための、支配構造の構築等を担う性質や能力、ニーズ等を持つ潜在的担い手たちの倫理観およびその元になる意識や状態、エネルギー等の、全体と調和化する色合いへの昇華、それを意図したシステム、文化文明、環境の構築と提供


🔔< 見解等を提供や共有する際の取り組み意識意図 >🔔


また顕在的、潜在的にそれぞれの方向性や観点から何かしらプラスになる人、かつ内容に関してショックや動揺が生じない、またはご自身で影響をカットや対応できる人にのみ、届くように意図する。

内容の提供や共有に関するその他の取り組み意識については、以下の記事で示した内容に基づく形とする。

✅※参考記事:

💠①闇や陰の光化:②陰的影響をカットできる橋渡し的存在たちを介しての、それぞれの管轄の光や陽を体験している存在たちへの提供:③それによる各領域の豊かさの質的向上

💠①自己の見解等の受け手として、何かしらプラスになる人々、かつネガティブな刺激等を受けない人々の意図:②そうした人々への伝播による全体にとってより効果的な浸透

💠気付き等をシェアする際の取り組み意識および留意点

💠気付きやアイデア、アプローチ等を提供やシェアする際の取り組み意識  ~ネガティブベースのものにおける、リアリティのあるおとぎ話としての提供やシェア~

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