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ハードボイルド書店員日記【206】

「あの文学賞、いつ発表だっけ?」

混雑と人手不足のコラボが常態化している土曜。文庫本を買いにきた年配の紳士から問い合わせを受けた。

「10月10日の木曜です。例年通りなら夜8時ぐらいには」
「今年も村上春樹はダメかな?」
「どうでしょう」
「まあ本人が望んでないみたいだし、本当の村上主義者は騒いでない気がするけどね」
もう少しで握手を求めるところだった。ハルキストではなく村上主義者という語彙を使ってくれたお客さんは初めてかもしれない。

「カバーをお掛けしますか?」
「お願い」
購入したのは「ノー・カントリー・フォー・オールド・メン」(ハヤカワepi文庫)だ。著者のコーマック・マッカーシーは昨年亡くなっている。
「彼も有力候補でしたね」
「ん? ああ」
声のトーンに若干の驚きを感じた。
「あなた詳しそうだね」
「そうでもないです」
「この本、前は違うタイトルで出てなかった?」
「『血と暴力の国」ですね。扶桑社から」
「久し振りに読もうと思ってさ。でもどの本屋にも置いてなくて」
「昨年ハヤカワが再び」
「惜しい人を亡くしたね」
「ええ」

「お品物でございます」
ありがとう。口元を緩めてくれた。
「ポール・オースターも残念だったね」
「彼やフィリップ・ロスは、ボブ・ディランよりも先に選ばれるべきかと」
「そういう人たちの著作を集めたら面白いよね。大きい書店へ行くと受賞者とか候補者のフェアをよく見掛けるけど」
「興味あります」
「あなたなら誰の本を置く?」
「カーソン・マッカラーズです」

時間はある、余り過ぎて困っているとのこと。お問い合わせカウンターへ案内し、椅子へ座ってもらった。海外文学の棚から「哀しいカフェのバラード」(新潮社)を抜き出し、対面へ腰を下ろす。
「代表作のひとつです。春樹さんの訳で先月発売されました」
「アメリカの人だっけ?」
「そうです。23歳の時に書いた『心は孤独な狩人』が高く評価されました」
「名前もカッコいいなあ」
「チャールズ・ブコウスキーが同じようなことを晩年の日記に記しています」
「え、そうなの?」
「たしか河出文庫の『死をポケットに入れて』に載っていました。お持ちしましょうか?」
「それは今度でいいや。なぜこの人を?」
「作品を読むたびに『これをやってこその文学だよな』と感じるからです」
「どういうことかな」
「112ページを開いていただけますか?」
そこにはこんな文章が書かれている。

汗水流して努力したあと、事態がちっとも好転していないようなとき、人は魂の深い場所でしばしば無力感を抱くことになる。自分には値打ちなんてろくすっぽないんじゃないか、と。

「哀しいカフェのバラード」 カーソン・マッカラーズ著 村上春樹訳 山本容子銅版画 新潮社    
112~113P 

「そういうタイミングは誰しもあるよね」
「特に近年は出版不況といわれ、本屋の閉店が目立っています。現場は以前よりも頑張っているつもりですが、状況は好転しない。やっぱり後ろ向きな考えに囚われがちです」
「ほう」
「それに対して、マッカラーズは作中でアミーリアが始めたカフェになぞらえ、こんな風に言っているのです」

しかしこのカフェが町にもたらした新しい誇りは、ほとんどの人々に、子供にさえ影響を及ぼした。このカフェに来るにあたって、客は食事を注文する必要もなく、酒を注文する必要もなかった。五セント払えば瓶詰めの冷たい飲料を飲むことができた。
(中略)そこでは、たとえ二時間やそこらのことであったとしても、自分には値打ちなんてろくすっぽないんじゃないかという深く苦い認識は影を潜めた。

同113P

「カフェっていわゆる喫茶店じゃなくて、お酒やつまみを楽しめるパブみたいなものかな?」
「おそらく。私はこの箇所を読んだ時『自分にとっては本屋こそこういう空間だ』と感じました」
「たしかにお金を払わなくても入れるし、いいことではないけど立ち読みも少しならできる」
「仰る通りです。そこで己のために書かれたような一冊と出会う度に、人生もさほど悪くないと思える。特に優れた純文学は無力感に苛まれた人々の側に立ち続ける存在です。そういう名作を売りたいし、紹介する場所を作っていきたい。現状でこの仕事を続けるモチベーションのひとつです」
老紳士は私の目を凝視し、ふっとまた笑った。そして何度か頷き、この本いただくよと金歯を見せた。元・同業者かもしれない。

「”あの文学賞”を獲れそうで獲れなかった文豪フェア」いつかやりたい。マッカラーズ、ロス、マッカーシー、オースター。ミラン・クンデラと安部公房、三島由紀夫も外せない。春樹さんが獲った年にやるのはどうだろう? 働く楽しみがまたひとつ増えた。

作家として面白い本や文章を書くことでお返し致します。大切に使わせていただきます。感謝!!!