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神奈川のこと

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2021年5月の記事一覧

【神奈川のこと52】母とおば達の横浜大空襲(横浜市西区宮ヶ谷)

76年前、昭和20年(1945年)5月29日、米軍のB-29爆撃機約100機が横浜に飛来し、焼夷弾による無差別爆撃を行なった。死者数約8千から1万。その空の下、9歳の母と妹たち(つまり、おば達)はいた。

よって、これを書く。

夜更かしをするようになったのは、小学校5年生の終わりぐらいからだろうか。枕元のラジカセで深夜のラジオ番組を聴くようになったからだ。

ニッポン放送、塚たんくろうの「くるく

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【神奈川のこと51】東林間の10年(相模原市南区)

先週、義母の墓参りのため、家族4人で東京都町田市へ出かけた。帰り道、相模大野駅ビルの「とんかつ和幸」でランチ。その足で、かつて10年間住んだ街、東林間へ寄った。

なので、これを書く。

平成8年(1996年)11月末に結婚して、鎌倉を離れた。1年間は、妻の実家がある東京都町田市に住んだ。その後、相模原市の相模大野に引っ越して4年暮らした。

平成14年(2002年)、同じ相模原市の東林間にできた

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【神奈川のこと50】ブルーライト東戸塚(横浜市戸塚区)

土曜の朝、目が覚めたら憂うつだった。

熟睡した感覚はある。

ただ、ベッドから起き上がれない。

トイレに行きたい、もう眠くはない。

だが、起き上がれない。

ピーター・バラカンのラジオ番組をかける気も起こらない。

憂うつ、ブルー。

昨晩から兆候はあった。

だから酒も飲まず、ゆっくり風呂に浸かり、ベッドに入った。

だからよく眠れた。でも、目覚めたらブルーであった。憂うつであった。

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【神奈川のこと49】やはり根岸には、牛がいた(横浜市磯子区)

先日、神奈川新聞を読んでいて「おっ、」と思わず膝を打った。

よって、これを書く。

昭和45年(1970年)鎌倉は二階堂で生まれた。翌年の暮、つまり昭和46年(1971年)に横浜市中区根岸旭台にある、根岸台ハイツに引っ越す。以降、昭和53年(1978年)1月中旬までの6年間を、この根岸の地で過ごした。

物心というのは、この間に付いた。

根岸台ハイツは、JR根岸駅で石油コンビナートを背にして立

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【神奈川のこと48】中華街の片隅で、自由とチャーシューについて考える(横浜市中区)

今回の緊急事態宣言発出の前日、中華街に行った。

よってこれを書く。

神奈川新聞を読んでいたら、中華街にあるギャラリーで、横浜在住の写真家、中村康伸氏による「香港の民主活動家たち」という写真展とトークイベントが開催される記事が出ていた。

早速主催者に連絡し、参加を申し込んだ。

その日は、朝、大船の整形外科で五十肩のリハビリテーション、その後、カトリック大船教会で教会報発行のお手伝いをしてから

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【神奈川のこと47】のり、要司、トシ& Billy(平塚市、茅ヶ崎市、藤沢市&鎌倉市)

大学時代、ゴールデンウイークになると、親友4人で自転車旅行をした。

よって、これを書く。

平成元年(1989年)、東海大学法学部に入学。

すぐさま、小学校から大学までずっと一緒のゆきちゃんの紹介で、綾瀬市にあるTry学習教室の講師として中学生向けに英語を教え始めた。

そこに我が母校、東海大相模高校の同級生で、大学では経営工学部の要司とトシも講師として入ってきた。要司は茅ヶ崎、トシは藤沢にそ

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