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雑記集

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雑草という名前の草はない。 雑記という名前の記事もない。
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2020年1月の記事一覧

相互フォローの幻想

相互フォローの幻想

ネットにつながったアプリ。それを示すアイコンが、自分のスマートフォンの画面上にならんでいます。それを、一日のうちに何度もクリックする私がいます。こんなに頻繁に見る必要もないでしょうに。「なんのためにそれをするのか」なんて、ほとんどの場合、見失っています。ただ、習慣としての動作をしてしまっているのにすぎない。目的を見失い、時間を失っている…のかもしれません。まぁ、一瞬開いて通知と1〜2スクロールを見

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破られた夢想カレンダー

破られた夢想カレンダー

12月の中頃に私は言ってました。今年も終わりかけかもしれないけれど、まだやれることもあるはずだし、やりたいこともある。ぜんぶはできないかもしれないけれど、まだまだ変われるぜ! みたいなことを…。 そのほとんどを、見事に年明けに持ち込んだ私です。年明けどころか、未だにそのあたりのことをやっている。未だにといいますか、ようやく、が正しいでしょうかね。はい、1か月遅れです。いや、1か月以上か? 

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スクリュードライバー

スクリュードライバー

「うまくやれよ」以外にあるだろうか。上手に立ち回り、情に身を任せず、知恵をつかって、的確に判断しなさい。そんな多くのことをひと言でいうなら、ほかにどんなことばが値するか。とらえようによっては、「がんばれ」だって「幸運(健闘)を祈る」だって、もっと無責任に響くかもしれないがひょっとしたら「神のご加護を」といったことばにだって、似たようなニュアンスを見出せるかもしれない。いや、それはだいぶ違うよと思う

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もっと、喜観を。

もっと、喜観を。

子どもができると、子どもを連れて行きやすそうなところに出かけていったりします。そうすると、やっぱりそこには、「あそこなら子どもを連れて行きやすそうだ」と同じように考えた人たちが集まります。で、そういう親たちを目にすることになるし、その親たちが連れてきた子どもたちのことも当然目にすることになります。子育てしている人って、いるもんだなぁなんてしみじみ感じますが、「子育てしている人」なんてものは、大昔か

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生産と消費の距離

生産と消費の距離

私の住んでいる地域に、私のことを知っている人はどれくらいいるでしょうか。もっといえば、私の得意なことや好きなこと、これまでにやってきたことを知っている人がどれだけいるでしょうか。ほとんどいないと言っていいでしょう。その数、その比率は、圧倒的に「知らない」で占められていると思います。で、それは私に限ったことじゃない。ほとんどの人が、お互いのことをよく知らないで、ある地域にまとまって住んでいたりします

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なにかと実際、そうでもない。

なにかと実際、そうでもない。

今日、ちょっと住んでいる地域を離れて遠くに来ています。ちょっとといいますのも300キロメートルくらいです。東京から、福島に滞在中です。

いつもならこの文を書くのにパソコンを使うのですが、旅に持ち歩くには重いので置いてきました。スマートフォンでこれを書いています。入力速度面で、パソコンに劣ります。

パソコンの入力は、だんだん慣れていくにつれて速くなりました。それに同調して、不思議と「しゃ

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本質を伝えることば

本質を伝えることば

ひとこと多いのと少ないの、どちらがキドリか。
 つい、私はかっこつけちゃいます。といいますのも、「みなまでいわずともわかるだろう?」という姿勢をとりがちなのです。つまり、省ける言葉は省きがちなのです。

 そのことによって、「伝わったかもしれないこと」を、どんどん「伝わりにくく」してしまっているのかもしれません。それって、ほんとは「省いちゃいけないことば」を省いちゃっているんじゃないのかよ、私よ?

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プロセスに何を含ませるか

プロセスに何を含ませるか

死ぬこと そのリアル
死ぬことをリアルに感じられるか。その意識はあるか。私にそれが、あるか。そう問われると、十分にあるとは思えません。死について、なんにも考えてこなかったわけではないけれど、それが十分とも決して思えません。いえ、足ることなんて、一生ないのかもしれないとさえ思います…なんてことをまだ言っている33歳が、いまの私です。

死は普遍か 普遍の入り込む余地のないことか
死ぬことは普

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今日を表明しよう

今日を表明しよう

・わかったつもり
 すぐ、わかったつもりになってしまいます。というか、わかろうとしない、突っぱねる、除外する、排除する、そんな態度を取りがちです。それはいまの自分には必要ない、私は誇り高い一個の人間だから、といった具合に。「私」とやらは、いったいどれだけ偉いというの? これっぽっちも偉いことなんてないし、人様の役に立つようなすごい発明をしたのでもないのに偉ぶって、「ふうん、それで?(完成度の高い私

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本があると、まっさきに奥付を見ちゃう。

本があると、まっさきに奥付を見ちゃう。

本が好きです。いえ、好きだという言葉で片付けてしまっているのかもしれません。ほんとうは、そんなに単純じゃない理由から私は、本を手に取っているのかもしれません。

本を手に取ると、私はまっさきに、いちばん後ろのページにある「奥付」を見てしまいます。いつ頃、誰が(なんという出版社が)発行したものなのかが気になるのです。また、さらにその前のページあたりに、何々という雑誌にいつからいつ頃まで掲載した内

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いかに砂漠か?

いかに砂漠か?

距離が近すぎると見えないことってあるものです。見えなくて、判断に足るような質量の情報が得られずに、結局もたらされた「近すぎる」提案は無下にされがちです。

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昨日、お風呂に入っていました。3歳の息子のためにどこかから調達された、「お風呂の壁に貼付けられる、水濡れOKの世界地図」が、その名の通りお風呂の壁に貼付けられたまま残されていました(そんな名前の商品ではないと

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Have a nice Gyoza.

Have a nice Gyoza.

餃子についての記憶をさぐるとき、思い出すことがみっつあります。

1に、餃子はともかく「中華」が個性的でおいしい、あるお店のこと。
2に、家の近所に出来たある専門店のこと。
3に、手作りして食べるときのこと。

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富士見台に源烹輪(げんぽうりん)という中華のお店があります。西武池袋線・富士見台駅からすぐです。家族のお祝いごとなんかでこのお店を利用することがあり

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ヤドカリ

ヤドカリ

家というのは、外の世界と、「自分のための場所」を隔てる仕切りの役目を有していると思います。これがないと、いったいどこからどこまでが「自分(のスペース)」なのかがだいぶわかりにくくなります。「いれもの」として、自分の体を「家」に見立てることもできそうですし、本当にありのままの意味での「家」もあります。床が、壁が、屋根が、私を守り、保つための役割を全うしてくれます。

年をとると、いろんなことが受

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生き写し

生き写し

結婚して妻と住んでいます。子も二人います。

私たちの住んでいるところから徒歩5分未満程度のところに、私の実家があります。そこに、私の両親が住んでいます。

近いので、私たち家族と私の両親は頻繁に会う機会があります。私たち夫婦の子どもの世話のことでも、頻繁に力を借りています。ありがたいことです。

私は、父の子です。ですから、いろんなことを写し取ったのでしょう。私の仕草や言葉づかい、態

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