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掌エッセイ

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心に水を。日々のあれこれを随筆や掌編に。ほどよく更新。
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【掌編】ヒトメ

【掌編】ヒトメ

それは何の前触れもなく現れた。

発端は「家の中に目ん玉みたいなキノコが生えてる」というエスエヌエスのつぶやきで、そこに添付されていた画像には、投稿主のアパートの壁からにょきっと生えた、ちょうどシイタケくらいのサイズと質感の“目”のような何かが映っていた。

投稿主はその何かをキノコと呼んでいたが、あくまでも生態的な類似性を鑑みてそう呼んでいただけで、それが実際にキノコであるかは判断が待たれた。

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【掌編】最後のライブ

【掌編】最後のライブ

デンジャラス・マッドの4人は頭を抱えていた。

決まらないのだ。解散ライブのセトリが。ロックに捧げた35年のキャリアの中でアルバムにして20枚、延べ300曲以上の時に激しく、時に優しいロックンロールを世に届けてきた。その中から、わずか20曲を選び出すのは容易なことではない。

とりわけ、アンコールの最後を締めくくる曲──言わば“マッドベイブ”(注:ファンのこと)たちと踊るラストワルツ──はバンドの

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【掌編】チャダ子の夏

【掌編】チャダ子の夏

腕が鳴るわ、とチャダ子は意気込んだ。

“映えスポット”としてウェーイ系に人気のキャンプ場から少し離れた、森の奥の古井戸のなかで、積年の怨念──あまりに長いこと恨みすぎて、そもそも何を恨んでいたのか忘れてしまったが──を一年かけて増幅させながら、夏の始まりを待ち続けていたのだ。

慣れた動きで四つん這いになり、蜘蛛のように古井戸の壁を駆け上がって外へ出る。そして思った──

あっつ。外あっつ。何こ

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【掌編】遅れてきたバス

【掌編】遅れてきたバス

「くそっ、十分前かよ!」と、私は毒づいた。

バスの話だ。ほんの十分の差で、最終バスに間に合わなかった。

そこは陸の孤島めいた高台の住宅街で、時刻を考えると、タクシーは簡単には捕まりそうもない。だめもとで愛用の配車アプリを開くと、到着まで三十分という表示が出た。

三十分もここで無為に待つくらいなら、駅まで歩くか。コロナ禍で運動不足が極まっているし、ちょうどいい機会だ。

そう腹を決めて駅の方向

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【掌編】最後の宅配

【掌編】最後の宅配

ピンポーン。呼び鈴が鳴った。
もう一回。さらにもう一回。

書斎でパソコンに向き合っていた私は、くそ、と毒づいた。せっかく筆が乗ってきたとこなのに。こっちは締切に追われてんだよ。

ピンポーン。
締切のことなど意に介さず、無情にも四度目の呼び鈴が鳴る。私は特盛りのため息を漏らして重い腰をあげ、書斎から廊下へと出た。

そして五回目のピンポンが鳴り響く頃、インターホンの前へと滑り込んで「通話」ボタン

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【掌編】スマホの顔認証

【掌編】スマホの顔認証

なんだよ、とおれは軽く気色ばんだ。

反応しないのだ。スマホの生体認証が。おれの顔が。だからログインできない。困るなあ、スマホくん。今からツイッタを開いて、仕事のあとの優雅なリラックスタイムを過ごそうとしていたんですけど。

そこでハッと思い至る──メガネか。

そう、おれはメガネを掛けていた。最近の生体認証システムは、なんならマスクだって意に介さず、登録された顔を正しく認識してみせるそうだ。だっ

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【掌編】チャンス君

【掌編】チャンス君

数年ぶりに会ったチャンス君は、ひどく面変わりしていて、以前のあの、こちらのどんより曇った心を優しい光で塗り替えていくような、人懐こくて尊い笑顔はすっかり消え落ちていた。

それは抜け殻だった。内外からのあらゆる感情に疲れ果て、すべてを諦めた人の顔だった。絶望と虚無に塗りたくられた顔だった。

「チャンス君、どうしたんだい?」

変わり果てたチャンス君に、私はたまらず声をかけた。数年前、モラトリアム

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【掌編】気がまわるやつ

【掌編】気がまわるやつ

田中(仮名)は昔から、よく気がまわるやつだった。

「一度きりの人生っていうだろ」

突然呼び出された先のファミレスで、私がくすんだオレンジ色のビニール張りのボックス席の向かいに座ると、田中はそれでスイッチが入ったように勝手にしゃべり始めた。

「あれ、嘘だわ」

田中はそう言うと、学生の頃から使っているブルーのリュックに手を突っ込み、何かをつかんでテーブルの上にどんと置いた。

「こちら、こけ橋

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【エッセイ】あちらのお客さまから

【エッセイ】あちらのお客さまから

一度でいい。“あちらのお客さまから”をしてみたい。映画で見るようなあれを。

そこは繁華街の喧騒がかろうじて聞こえる、裏通りに溶け込むように佇むバー。狭く薄暗い店内には横長のカウンターとスツール、いくつかのテーブル席が設えてあり、耳を優しく撫でるような音量でジャズが流れている。

さまざまな銘柄のハードリカーが壁際の棚を美しく彩り、カウンター内でシェイカーを振っているマスターが、不安げに入ってきた

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【エッセイ】エレベーターの乗りどき

【エッセイ】エレベーターの乗りどき

繁華街によくある、八階建てくらいの飲食ビルのエレベーターがどうも苦手だ。

そういった場所で飲み会があるとき、私はすぐにはエレベーターに向かわない。まずは柱の陰などから遠巻きに、大抵そうしたビルのやや奥まったところにあるエレベーターの周辺状況を、探偵になったつもりで偵察する。

そこに面識はあるけれど、あまり話したことがない、微妙な距離感の知り合いがいないか確かめるためだ。

そういった間柄の知り

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【エッセイ】焼香の手順

【エッセイ】焼香の手順

作法というものに基本うとい。

元々世の中の不文律を察する能力に欠けてはいたが、特にフリーランスになってからは、なけなしの社交性を発揮する場もほぼ失われ、たまに社会との接触を求められると、何かをやらかす確率が格段に上がった。

先日も、生前大変お世話になった方の通夜に、白いネクタイ姿で乗り込むところだった。

確かにエレベーターの中で鏡を見ながら、自分の仕上がり具合を最終チェックしているときも、「

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【エッセイ】マローヌ

【エッセイ】マローヌ

マローヌって何だね。

おれは今、ひとつのメモの前で途方に暮れていた。マローヌ。わからない。それはさっき終わったオンラインミーティング中に取っていたメモで、大きく「やること」と記された文字列の下に「マローヌ」と書いてある。

いや、実際にマローヌと書いてあるのかはわからない。ただ、ミミズがのたくったような筆跡の混沌に目を凝らし、脳内データと照らして解析すると、ぎりぎり「マローヌ」と読めるというだけ

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【エッセイ】猫トイレ一本勝負

【エッセイ】猫トイレ一本勝負

首を気持ち長めにして待っていたおれは、いざそれが届くともういてもたってもいられず、やりかけのタスクを放擲してハサミを手に取り、巨大なアマゾーンの箱を野蛮人になったつもりで切り開いた。

きた。きたきたきた。白いかまくら風のいでたちの、新しい猫トイレが。

さっそくそいつを箱から取り出し、ピクトグラムのような絵だけの説明書を見ながら組み立てる。そして一連の淀みない動きでもって、新しい猫トイレの中に猫

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【エッセイ】鴨のいる風景

【エッセイ】鴨のいる風景

昼飯を買いにコンビニへ向かってとぼとぼ歩いていると、近所を流れる小さな川の土手の上に人だかりができていた。

私も思わず野次馬スイッチを押され、吸い寄せられるように人ごみに加わって、眼下を流れる川に目を向ける。

カルガモの親子がいた。つがいが二羽と、その子どもたちが六羽。優雅にすいすいと水面を進んでいく親鳥に遅れてはなるまいと、風呂に浮かべる黄色いオモチャみたいな子ガモたちが懸命に泳いでいた。

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