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【掌編】スマホの顔認証

なんだよ、とおれは軽く気色ばんだ。

反応しないのだ。スマホの生体認証が。おれの顔が。だからログインできない。困るなあ、スマホくん。今からツイッタを開いて、仕事のあとの優雅なリラックスタイムを過ごそうとしていたんですけど。

そこでハッと思い至る──メガネか。

そう、おれはメガネを掛けていた。最近の生体認証システムは、なんならマスクだって意に介さず、登録された顔を正しく認識してみせるそうだ。だったら今回はたまたま何かが噛み合わず、仕組みが機能しなかったのだろう。人間でもあるよね、そういう日。自分のポテンシャルをフルに発揮できない日がさ。

おれは少し照れ笑いを浮かべながらメガネを取り外し、あらためて生体認証を開始するボタンを押した。

「顔を認識できません」

あれ、角度が悪かったかな。そこで今度はモニタにきちんと正対した上で、ボタンを押してみる。やはりうまくいかない。顎をひいたり、流し目になったりと、いくつかのパターンを試してみたが、うんともすんとも言わない。

スマホのカメラが壊れたのだろうか。ちょっと訝しく思いつつ、おれは右手で口元を覆い、少し考え込むような仕草をとった。

その瞬間、強烈な違和感を覚えた。

何かが違う。いつもと。その違和感の正体が何なのか、すぐには指摘できなかったが、右手で口元をまさぐっているうちに気づいた。

唇が分厚いのだ。いつもより、心なしか。おれの唇はもっと薄いはずなのに。

腫れているのか? だが、唇をどこかにぶつけたとか、うっかり噛んでしまった覚えはない。けどその唇は明らかに、ふだんのおれのそれよりもぽってりしている。

ざわわと胸騒ぎがした。その手を鼻のほうへ滑らせてみる。

やはり違った。この鼻もおれの鼻じゃない。何十年も一緒に生きてきた自分の鼻の形くらい、鏡を見なくたってわかる。鼻の穴が妙に横に広いし、鼻梁が少し尖っている。

そこでハッとなる──そうなのか。それで顔認証が働かなかったのか。

おれの顔がおれの顔じゃないから。
まるで別人の顔だから。

おれは急に取り乱して、今度は両手で、自分のものであるはずの顔にべたべたと触れてみた。違った。何もかもが。頬はふだんより落ち窪んでいるし、耳は全体的に一回りほど大きい。目も、瞼の上から触れたときの感触が明らかに違う。

顔が変わってるんだ。

それから両手でおでこに触れ、思わず息を呑んだ。

ちょうどおでこの真ん中あたりに、ぽっかりと丸い穴が開いていた。痛みはない。恐る恐る、その中に指を入れてみる。指先は何にも触れない。空洞だった。ただただ漆黒の闇が広がっていた。

え、え、え、これってどういうこと? なんで顔に穴が開いてるんだ?

恐怖心と好奇心が激しくせめぎ合い、最後には好奇心がすべてをねじ伏せた。おれは両手をその穴の中に突っ込み、内側からへりをガッと掴んだ。穴が左右にぐいと広がる。やはり痛みはない。取り返しのつかない何かをしている自覚はあったが、おれはその手にさらに力をこめ、穴を勢いよく引き広げた。

次の瞬間、穴の中から闇がごぼごぼと溢れてきて、おれの顔をすべて呑み込んだ。

同時にスマホの生体認証が反応し、ロックが解けた。

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